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「太宰治へ」連載小説(一)





 ━━いますよ」
 彼の母は目を細めてこう言った。


 太陽は私の真上で大きく胴を広げていた。久しぶりに私は彼の家に行った。彼の母と少し過去の彼について話をしていると、彼の母が突然
 「あの子の絵、見ます?」
 といったので、彼が描いた絵を四枚ほど見た。

一枚目は大変美しい富士山の絵であった。これは彼が小学五年生の時に、富士山に行ってきた訳ではないのであるが、どうしても行きたいという願望をそのままにして描いた絵らしい。私は小学生の時の彼の様子を知らないが、ある程度予想できた。この美しい絵のおかげである。

二枚目は、地元の三百メートルほどの山を描いていた。中学一年生の時、学校がある感染症のせいで休みになって脂肪取りのために走っている時、この山をみて、あまりにも美しかったから描いたらしい。水色の宝石のような空の真ん中に、とても三百メートルとは思えぬ山を万緑の色で大きく描いていた。彼の目にはあの富士山よりも、美しく見えたらしい。私はこの時も彼の様子を知らなかった。でもやっぱりある程度予想できた。私は感心した。彼ほど自分をみつめ、またそれをこの画用紙にぶつけ描くという技が上手い人はいないだろうとおもった。

三枚目は、ある田舎の秋の田圃の一景を描いていた。薄暗い軽トラックと夕日に照らされた田圃と重い稲を背負って下に俯いた稲穂と右往左往している刹那をえがいたような赤とんぼとが描かれていた。秋の夕暮れとは思えないほど残酷に虚しく描かれていた。題は虚無、らしい。この頃の彼は、笑顔の奥にこの一景のような、なにか抱えているような残酷なものがあった。この世界に呆れているようにも見えた。

四枚目は真っ黒い夜の中に浮かぶ真っ白い月とそれを追いかけるコウノトリが飛んでいた。翼を大きく広げていた。なぜコウノトリか、私には分からなかった。そして、私はなぜか、驚かされた。たしか、彼には憧れがあった。おのれの志の強さの美しさを描いているのであろう。そう思うと、私は彼にあんな事を言ったのを今更ながら後悔した。

彼の母が私の目をまっすぐみた。沈黙画。

「センスはあるけど、ねえ」
 すこし笑いながら言った。私は即座に言った。
 「いえ、美しいですよ」
 「そうですか、そうですね。あ、そう彼のノートを見ますか。あんまり見せたくはなかったのですけれど」
 私は大丈夫ですよ、と断るつもりであったが、彼のことについてもっと知りたいと思った。その欲に負けて私は卑しいとは分かってはいたが、すみませんと言って、一言、罰悪そうな顔で呟いた。
 「見せて欲しいです」

 彼のノートは二冊あった。どれも汚れていた。表紙には、「社会」の文字を横線二本、マジックでひいてあって、「新世界」と新しく書かれてあった。私は腰掛けに座ってそのノートを読み始めた。妙に重かった。薄い横目で時計を見てみるともう二時であった。

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