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「太宰治へ」連載小説(四)
しかももとの水にあらず。私は虚無を恐れました。なににおいてもです。定理はいずれもプライドが絡みついているということです。なにかしておらなければ、もう一瞬にして影となって風と共に去ると、思っていました。
私はこれを胸をはって言えます。背中をむちで叩かれようが冷水を浴びようが言えます。私は努力を怠ったことはありません。なににおいてもです。勉学においても、運動においても、猿芸においても。それ故に、虚無というものが嫌いなのです。汗を一滴一滴ながしこんでつくる結晶が、仮になにかにぶつかって粉々になるとしましょう、誰かが、気が狂ってそれを海に投げ込んで、自分の水平線を濁したりするとしましょう。ああ自分はこれらを想像するだけで、寒気がするのです。私は努力に裏切られたことがないのです。だからこそ、このようないかん結果を予想してしまうのです。杞憂。
自分は、赤の他人でさえも努力の虚無という状況におちいっているとなれば同情し、それから自分の安否を必ず目が赤く濁るまで確認するのです。
私は常日頃努力だけを疑いながら信じているのです。努力の虚無。むなしい。
虚無の努力を続ける者を自分はつくづく馬鹿だとおもいました。そして、尊敬さえします。これは見事な、最近の流行りの猿芸なんぞではありません。真にそう思うのです。
そういった者が確か自分のクラスにいたような気がします。たしか名をKといいました。記憶が曖昧でよく言えません。ああ忘れました。ひょっとしたら自分は、忘れたいのかも知れません。