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こころ

【先日、会社の上司から「君、少し変わってるね」と言われました。私は変わり者の自覚が無かったため、頭の中は疑問符でいっぱいになり「えへっ?」と何ともマヌケな回答しか出来なかった。
そもそも、変わってない人なんて存在するのか?「普通の人」って言うけど普通が何か分からないんだよね】

今回は「こころ」というタイトルで"私"と"K"について
語ろうと…(それ夏目漱石じゃん!)冗談ですごめんなさい(笑)
今回は「こころ」のありかたについて私なりに記述していこうと思います。

「こころ」って何?

さてさて、「こころ」と聞いて多くの方が"ハート"や"魂"など形の無い物を連想したかと思います。(ここで脳や心臓などを連想された方は良い意味で論理脳が強いのかも)

「ちょっと待って」世の中には"親切心"とか"向上心"って言葉があるけどそれって頭の中から生まれるんじゃないの?という疑問を私は抱いた。
なぜなら、今までの経験や記憶、それらが脳回路を巡って思考を生み出し行動したりするワケだ。
「心の○○」とか「○○心」とか言われてもあまりパッとしないはずだ。

結論:「こころ」というのは「脳である」。「ハート」や「魂」というのはあくまで偶像や記号のようなものなのだ。
※添付画像前頭前野に思いやり、利他心と記述されていますね

こころ=脳を裏付ける証拠を1つ知っている。
それは、ミラーニューロンという脳の神経細胞だ。
(これについては知識が薄いのでざっくり書きます)

「こころ」の写し鏡

「親切心」を例に挙げミラーニューロンについて少しだけ…
画面越しのあなたは誰かに親切にされたことはありますか? 多くの方が誰かに親切にされた事があるかと思います。やはり親切にされると、嬉しいという感情が湧いてくるのだがミラーニューロンはこの嬉しいという感情を学習する。学習した知識はどこでアウトプットされるか分かりますか?  
答えは対人の状況なのです。
例えば電車で杖をついたおばあさんが乗車してきてあなたが席を譲ったら、おばあさんは親切にされ嬉しいはずだ。
親切にされた事がある人であれば、この「嬉しい」という感情をミラーニューロンが学習しているのでおばあさんが何故嬉しいのか理解できる。
つまり親切心という「こころ」には脳が大きく関わっていると言える。

同じ色に染まる必要は無い

「こころ」は人それぞれ十人十色なのだ。
だって今まで経験した事や記憶は皆違うじゃない。

前書きで「変わり者」と呼ばれた話をしましたが、「変わってる」と言った上司は私と全く同じ景色を見てきた訳でも無いし、今まで経験してきた事も全くの別物なのだから「変わってる」のは当然。
私の友人の中にも私と比べて変わってると思う所は確かにある。 
でも私はそれを咎めたり差別したりする事はしない。何故ならそれが友人の「こころ」であるからだ。
が、社会は人々に「普通」を押し付けるワケだ。
社会が「□こそ正しいのだ」と言えばそうなる。そこで1人が「いいや○こそ正しいのだ」と言った所で「普通汚染された群衆」に踏み潰されてしまう。
地動説を唱えたコペルニクスがそうだったように、マイノリティは「社会規模の普通」つまりマジョリティから弾圧されてしまうのだ。(なんと恐ろしい…)

マジョリティは受容することが苦手なのかな?と考えてみた。当然だ、世の中の全ての事象を受け入れろと言われても無理があるかもしれない。(これは全ての人に共通することだと思う)
だからマイノリティが受容を願うのではなく、マイノリティがマジョリティを受容してしまえば一時的に解決出来ると思う。

最後に…

「自分は周りと比べて変わっている」と悩む人がいるかもしれない。
もしそんな人が私の記事をここまで読んでくれたのならば1つだけ言いたい事がある。

それは、いくら周りに否定されても自分を変えないで欲しい。これに尽きる。
自分を変える前に今の自分を全力で受け入れて、否定する人達すら受け入れて、何もかもを受け入れ、大きな「こころ」を持って欲しいのです。

私も「変わり者」と言われたが、上司にとって都合の良い自分に成り下がるつもりは毛頭無い。
断じて無い。
なぜなら、変わり者と見られる私こそ私そのものだから。
ありのままを壊してまで手に入れたいと思うほど「普通」に希少価値は無いから。

「こころ」にだって多様性があった方が世の中カラフルになると思わない?

と、ここまで不平不満を一心不乱に綴った私の「こころ」がほんの少し大きくなった事を実感し、またそれに感動しながら、欠伸を一つ…

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