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中国に単身で旅行する話
【グローバル化が急速に進む社会では開放人間と閉鎖人間が存在する。
開放人間は比較的社交的で心広く外国人や異文化を受容することが出来る。
閉鎖人間は心狭く新しい物を拒絶してしまう。
これからグローバル化が完全体へと進むにつれ開放人間は大いなる進化を遂げるだろう。
閉鎖人間に訪れるべき未来は恐らく緩やかな死だ。】
はじめに
私は2020年5月に単身中国旅行を計画している。
正しくは「計画していた」になりますが…(泣)
人生の上り坂真っ只中コロナという「まさか」に足を掬われてしまい計画は見送り…
かなりショックですが気を取り直して本題に移ります。
上記にある通り、私は中国へ行く予定でした。 旅行といえばハワイだったりヨーロッパだったりするけど、何故私は中国を選んだのか?ということについて少しだけ…
真実を確かめなくちゃ
中国と言うと「マナーが悪い」だとか「国民性が悪い」だとか言う人が時々います。
しかし、彼らの多くは中国に行ったことが無い人が殆どなのだ。
では、一体彼らはどこからそれらの情報を得ているのか?
それは、ズバリ「メディア」です。
メディアといっても紙媒体のものだったり電子媒体のものであったり様々だ。しかし全てのメディアに共通することが1つある。
それは「質問出来ない」ということだ。
そう、メディアと私たちの間に発生するコミュニケーションは常に一方通行であるのだ。(私の父がテレビに向かって話していることは口が裂けても言えないね…)
だからメディアがとんでもない嘘をついたとしても私たちは真実を確認することは出来ない。
メディアに植え付けられた印象は直ぐに捨てるべきだ。
言葉が悪くなるが、真実を確かめようとせず真実から遠ざかり楽に生きようとする人は大馬鹿者だと私は思う。
どうして出所の分からない断片的で不完全な情報を丸呑みしてしまうのだろう。
丸呑みだけならまだ可愛いものだ、中にはメディアのように至極不確かで質の悪い情報をあたかも「これは事実だから、異論は断じて認めん」という態度でペラペラと語ってしまう。これが一番許せない。
私は短気だからそういう人を見ると物凄くイライラする。器が小さいのだ。
でも「本当」を大切にしたいという欲求はどうしても抑えられないものなのだ。
だから感情的になってしまうのかもしれない。
真実に近づくために
こうやって文句ばっかり言って行動しない内は、楽をしているのと同じだ。
だから実際に中国へ行き、真実をこの目で確かめたかったのだ。
本当にマナーが悪いのか? 本当に国民性が悪いのか?etc
私は、そうやって現場に足を運んでこそ価値のある情報を獲得できるのだと思う。(現場や状況が把握できてない上司の無茶苦茶な指示とか最悪だよね)
そして、それらの情報はスマホやテレビで見る景色とは一味違った景色が見えるはずだ。
最後に…
「自分の無知を正しく理解することで真実に一歩近づくことが出来る」
これがあの偉大な哲学者ソクラテスの「無知の知」というものなのですね。
自分の知識や情報が全てではない。だからせめて、真実に近づくために一歩踏みだしましょう。世界は広大な情報の海なのだから。
コロナウイルスに苦しむ人がいる中で「コロナ最悪」なんてあまり言いたくない。
ゆ~っくり気長に待つとします。
おやすみなさい。