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今瞳に映るこの美しい世界で一人
【ふとこんな事を考えた。「もし今この世界で私一人だけになったら、私は寂しさを感じるのだろうか?」と。
始めの内は寂しさを感じるだろう。
しかし、それはほんの短時間だ。
恐らく、私は生きながらに己を殺してしまうだろう。
これは物理的な死を意味しない。
「自分が何者」なのかすら認知出来なくなり、やがて自分を律する自我には穴が開き、果てには空洞となるだろう。
何も存在せず何も知らない。ゆえに知らない事をも知り得ない。
それは本当の意味での「無」であり「死」である。】
はじめに
私は孤独について考える事が多い。
というか、一人の時間が圧倒的に多いので必然的に孤独について考えてしまう。
今回は私が思う孤独について、ほんの少しだけ書こうと思います。
どうか最後までお付き合い下さい。
孤独とは
孤独。すこし暗さや虚無などを感じる言葉だ。
しかし、哲学者のアドラーは孤独についてこのような言葉を残している。
「孤独を手に入れた者は金鉱を手に入れたも同然だ。孤独は自分の内面を耕す時間なのだから」と。
(ポジティブすぎる…)
言われてみれば確かにその通りだと思う。
この言葉を受けて私は「孤独を感じる時にこそ自分を深掘りし、自己肯定を積み上げろ。そうすれば孤独に対する恐怖も払拭される。」という解釈をした。
孤独に対するイメージが一転した。
皆さんはどう解釈しましたか?
ナゼ孤独を感じるのか
孤独を感じるのは何故だろう?
私はこう考える。
世界に人が存在する事で孤独という概念が生まれ、「輪」から一瞬離れる事でそれを感じる
のだと。
始まりがあれば終わりがある。出会いがあれば別れがある。繋がりがあれば孤独もある。
つまり孤独とは人間関係あってこその物だと思う。
前置きに記述したように、本当に一人になってしまえば孤独すら生まれない。
だから孤独を感じるあなたは確かに存在しており「人間関係の輪」の一員に他ならないのです。
輪から離れても良い。戻りたい時に戻れば良い。
輪といっても「かけがえのない一つ」という訳では無い。小さいものから大きいもの、色々あるさ。
だから好きな時に好きな輪に入れば良い。
最後に…
眼前の世界から一歩下がってみれば、「輪」の輪郭がより大きくそして鮮明に見えるはずだ。
今私が見ている景色は文面では伝えきれないほど広大で美しいものだ。
孤独を感じながら孤独について考える。
これこそ自分は「大きな輪」の一員であることを足らしめる存在証明のような物だ。
さて次はどこへ行こうか…