過去との遭遇・4・夏休み
彼女に本を貸した。
数日後には読み終えたと言われた。
続きが気になると言われたけれど、もう夏休みになってしまう。
きっと彼女は、ぼくと話しをしていることも、他の人には知られたくないのだと思う。
だから、提案をしたんだ。
橋を渡った川の向こうの神社で待ち合わせをするのはどうか、って。
3時に待ち合わせをした。
川の向こうに神社があることは、なんとなく知っていたけれど、どんなところなのかわからなくて早めに家を出た。
母は仕事で朝早くから夜遅くまで留守だったし、祖母は畑仕事や近所の人との立ち話で忙しかったから、それほどぼくの行動にはうるさくなかった。
街の図書館へ行きたいというと、バス代を多くくれた。
近所の付き合いってのは、思っているよりずっとずっと面倒なものみたいで、誰かの家にお邪魔したかと思うと、時々は自分の家に招かなきゃならないらしい。
そんなときは特に、ぼくが家にいることがきっと邪魔だったんだと思う。
祖母はぼくを邪魔にしないけれど、家に招かないと祖母が近所の人に意地悪をされてしまうのだろう。
彼女に渡す本とペットボトルのお茶をバッグに入れて、街の図書館へ行くといって家を出た。
川の向こうには、山道と神社しかないから、人が通ることがほとんどない。
昔は山道を使って街へ行っていたようで、その名残のように車が通れる幅の橋がある。
ぼくは、もうひとつの小さな橋を渡って神社へ向かった。
赤くて立派な鳥居をくぐって奥へ進む。
静かすぎて、少し緊張した。
腕時計を見ると、2時半だったのに、もう彼女の姿があった。
パラパラと本のページをめくりながら、時々微笑む彼女の髪の毛が風になびく。
もう少しながめていたいと思ったのに、ぼくの足音に彼女が気づいて顔を上げた。
「…早くない?」
「…そっちこそ」
慣れ慣れしかっただろうかと、一瞬後悔したときには、彼女は弾けるように笑っていた。
「そこ暑くない?座ったら?」
彼女は少し移動して、場所を作ってくれたらしい。
本を渡すだけだと思っていたけれど、予想外な彼女の行動に戸惑いながらも隣に座る。
「これで完結?」
「うん。」
彼女は本を受け取ると、バッグにしまって、小さな袋を取り出した。
「クッキー食べない?嫌い?」
「嫌いじゃない。」
ポンっと手のひらに袋を渡された。
彼女はもう一つ袋を取り出して、小さなクッキーを口に放りこむ。
「…手作り?」
「好きじゃなかったら、食べなくていいから。」
彼女の言葉は優しくない。
だけど、嫌いじゃない。
優しい言葉の裏に隠された、嫌な気持ちばかりを受け取り続けてしまったけれど、彼女の言葉には嫌な気持ちがない。
サクッと軽くて甘いクッキーは、思ったよりもずっとずっとおいしかった。
「…学校楽しい?」
こっちも見ないで彼女は言う。
「楽しくないからって、行かなくていいなら楽だよね。」
「あはは、わたしもそう思う。」
彼女のお母さんは、ぼくの母よりも年上だけど、この地区では今だにぬりかえられることのない陸上の記録を持っていると祖母が話していた。
「せっかく街にいたのに、こんなところに来るなんて、嫌じゃないの?」
「選べるならね。」
「そうだよね。」
遠慮のない彼女の言葉は、なぜだかとても心地よくて、久しぶりに会話をしている気持ちになる。
毎日母や祖母と交わしている会話は、会話であって会話じゃない。
「わたしは早くここから出たい。」
「うん、ぼくも。」
それから、毎日のように神社で会うようになった。
宿題を持っていったり、おやつを持っていったりして、日が暮れるまで他愛もない話をした。
彼女と話しをするのは、とても楽しかった。
窓の外をにらみつけるように眺めている彼女の横顔を、盗み見るように眺めながらすっかり意識が過去に戻っていた。
彼女はぼくに気づいているのだろうか。
気づいているけれど、気づかないふりをしているのだろうか。
車内販売が近づいてきたときに、彼女が勢いよくこっちを向いた。
ぼくも慌てて車内販売に目をむける。
「ホットコーヒーください」
彼女はよく通る声でそういって、ぼくの前に腕を伸ばして、お金を渡したりホットコーヒーを受け取ったりする。
「前をすみません」
困ったように会釈をする彼女は、やっぱりキレイだと思った。
夏休みが終わったあと、学校では噂が広まっていた。
ぼくたちが神社で会っていたことは、とっくにみんなが知っていて、あることないこと…いや、ないことばかりが噂されてしまっていた。
ぼくはいい。
噂には慣れていたし、好奇心にさらされることにも嫌ってほど慣れていた。
彼女のことが心配だったけれど、話しかけてしまったら、彼女がよけい嫌な思いをするかもしれないと思って、なにもできなかった。
だけど。
彼女は変わらず、凛とした態度で、不機嫌そうに窓の外を眺めているだけだった。
否定も肯定もせずに、すきに噂をすればいいと言わんばかりの態度だった。
始めは彼女に向いていた好奇心が、彼女には通用しないとわかると、矛先がこちらに向いた。
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