過去との遭遇・5・思い出の本
やっときた車内販売で、ホットコーヒーを買った。
通路側の席に座る、隣の人の前に何度も腕を伸ばすのは申し訳なくて謝ると、目が合った。
心臓が止まりそうだった。
…彼だ。
彼はわたしに気づいているのだろうか。
わたしを恨んでいるのだろうか。
ホットコーヒーのカップは熱いはずなのに、わたしの指先は熱さを感じないほどに冷えていた。
わたしは、彼を傷つけた。
夏休みに彼と神社で会った。
わたしが宿題を持っていくと、彼も次の日に宿題を持ってきた。
わたしの作ったクッキーを、彼はおいしいといって食べてくれた。
彼と過ごす時間が楽しくて、こんな時間がずっと続けばいいって思ってた。
…だけど。
夏休みが終わると、様子がおかしかった。
「夏休み、神社でなにしてたの?」
クラスメイトにそう言われたときには、背筋が凍る思いがした。
誰にも知られていないと思っていたのは、わたしたちだけだった。
みんなとっくに知っていて、噂していたんだ。
ずっと嫌いだったけれど、もっと嫌いになった。
それに、楽しく過ごした時間を汚されたような気持になった。
彼とはいろんな話をした。
彼が住んでいた街のこともたくさん聞いた。
彼の両親が離婚したことや、街にはお父さんとお兄さんが住んでいることも話してくれた。
ここにきて、彼がものすごく気を使って暮らしていることや、嫌な思いをたくさんしていることも、十分すぎるくらいにわかった。
これ以上、彼が嫌な思いをするのは嫌だと思った。
「わたしが彼を誘ってみたけど、おもしろくなかった。」
ひとりに話すだけで、あっという間に話は広まる。
インターネットなんて比にならないくらいの拡散スピードだと思う。
きっと親の耳にも噂は届いていただろうけど、見て見ぬふりをしたかったのか特に咎められることはなかった。
噂はエスカレートするばかりで、ひどいものになった。
わたしは彼をさけたし、彼もわたしには関わりたくなかっただろう。
もともと、学校では接点なんてなかったし、夏休みの間の幻だったんだと思う。
彼は街の高校へ進学すると噂で聞いた。
お父さんとお兄さんと暮らすのだろう。
きっと、彼もそう望んでいたのだろうし、それが彼にとってもいいと思った。
夏休みや冬休みには戻ってきていたようだけれど、それも噂で聞いただけで、彼に会うことはなかった。
スマホを取り出そうと、コーヒーをドリンクホルダーに置く。
そして、バッグを開けて、ドキリとする。
いつか会ったら返そうと思っていたんだ。
本当に会うことがあるなんて、思ってもいなかったけれど。
…心の奥底では、願っていたのかもしれない。
もう一度、会いたいと。
あの時は、恋なんかじゃないって思ってた。
すきって気持ちは、もっとわかりやすくてはっきりしたものだと思っていたんだ。
だけど。
もっと話したい、早く明日になってまた会いたいと思ってた。
一緒にいる時間は、とても早く過ぎてしまった。
緊張して作ったクッキーを、おいしいって食べてくれてうれしかった。
…夏休みが永遠に続けばいいって思ってた。
どんな噂をされたって、どんな風に見られたって、堂々としていればよかった。
彼を守るつもりでいたけれど、きっと彼を傷つけただけだった。
心無い噂をささやかれて、好奇心の目にさらされて、嫌な思いを重ねただけだろう。
幼稚でバカなことをしたわたしのことを、恨んでいるのだろうか。
彼に返さないまま持ち続けている本に、そっと触れる。
何度も何度も読んだ。
内容も暗記してしまった。
ボロボロになったカバーを取り替えようと思ったこともあるけれど、これは彼の本でわたしのものじゃない。
だから、勝手に取り替えはできなかった。
チラリと隣を見る。
「!!!」
まさか目が合うなんて思わなかった。
慌てて目をそらしたけれど、心臓はさらにバクバクしている。
話しかけたほうがいいのだろうか。
だけど、もしも彼がわたしのことを覚えていなかったら?
もしも、彼はわたしのことを恨んでいたら?
…もしも…。
次々に「もしも」が浮かぶ。
知らぬふりをしようか。
でも、今この新幹線に乗っているということは、彼も同窓会に参加するということじゃないのかな。
バッグの中でそっと本に触れる。
もし会えたら、謝ろうって思っていた。
うそをついて、傷つけて、ごめんなさい。
そう伝えたいってずっと思っていたから、この本をずっと持ち歩いていた。
彼がどう思っていたのかわからないし、もしかしたら忘れてしまっているかもしれない。
でも、わたしはずっと謝りたかったんだ。
バッグから、そっと本を取り出す。
恐る恐る彼を見ると、驚いた表情でこっちを見た。
「覚えてますか?」
思ったよりも声が震える。
「…その本、おもしろかった?」
彼は意地悪な笑みを浮かべてそう言った。
「それほどおもしろくはなかったかな。」
「ぼくもそう思う。」
彼はそういいながら、こっちを見た。
お互いに顔を見合わせて、あの頃みたいに笑った。
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