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色に囚われた人間
私のこころは物心ついた頃からたくさんの色で感情を彩り、溢れさせた。
次から次に脳内に浮かび上がる色たちは、その時の気持ちを代弁するような、また、解像度を高めるような、そんなふうに私には感じていた。
それらはシャボン玉のように舞い上がるときもあれば、突風のように吹きすさぶ。ぐるぐると回るときもあるし、切り刻まれたようにぐちゃぐちゃになることもある。
自分ではコントロールできなかったが、年齢とともに大きな感情以外はあまり気にしなくても過ごせるようになっていった。
感情に色がつくーこれが誰しもある脳の反応ではないと知ったのは、本当に最近だ。
これだけ共感覚の発信をしているのだから、今では「これは共感覚だ」と自覚することができている。しかし気を張っていないと「え?まさかこれも共感覚?」と驚いてしまうこともある。
あの人は何色だから、という前提で自分が無意識に話を進めているときがあることに最近気づく。想像以上に私は人の印象を色を使って認識しているようで、それが「共通認識」であると30年以上も過ごしてきたからか、いつの間にかそれ前提で話すことがあるようだ。
言葉として出すことはほとんどないが、話をしながらあの人は水色だよな、となんとなく思い描いて話す。時折何かしらで色が話題になったときに、「そりゃあ、水色でしょ?」と決めつけて話してしまうことがある。
そんなにも人の話題に色が出てくることはない。だけどこれが共感覚だと自分で認識せずにいることがあり、相手が少し戸惑った反応をしてやっと気づく、ということが二度ほど続いた。
私の脳は、色々なものへの識別に「色」を選んだ。いわば私は、色に囚われた人間なのだ。喜びから悲しみ、愛ですらも、私の中では色になる。
色にしないと認識すら違和感があるのだ。これを囚われたといわずして何と言おう。
パソコンに向かってこの文章を打ちつけていたら、目の限界が来てここからはスマホから。右目の白内障進行のためか、最近またモニターが眩しいと感じる。
彩り溢れた世界、ファンタジーのように語られることの多い共感覚をなんとなく今日はネガティブに描いてみたくなった。
最近リアルすぎる夢をいくつも見るストレスで、自分の脳に対して多少の苛立ちがある。気味悪いほど現実みたいで、ホラーで夢なんてもう見たくない。
その上現実世界では色がいつもくっついてくる脳内なんて、うっとうしいのよ。
でも私が生きていくにはこの色だらけ、夢の妄想だらけの脳がどうしても必要で、こいつを使いながら生きていかないと前に進めない。
もっとスマートでわかりやすくて、いちいち感情的にならなくて、さっぱりした脳がよかった。生まれる時に選べればいいのに。
そんな愚痴を零しても誰かと脳を交換できるわけでもないのだから、ほどほどに使って生きてやるか。
山口葵
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