統一教会二世と発達障害に生まれ、ボーダーを併発している画家の話_カルトとメンヘラとアート_
こんにちは、『メンヘラ展』主催者で、統一教会二世画家のあおいうにです。
今回はざっくり「カルトとメンヘラとアート」について話したいと思います。
統一教会については今まで詳しく書いてきました。
以下のnoteをご覧いただけるとありがたいです。
私の人生は統一教会に支配され翻弄され続けてきました。
私の人格形成において、カルトの影響は計り知れません。
また、私のアート表現においても、カルトはべったりと癒着して切っても切り離せない関係があります。
例えば、性的なモチーフを描き続けるのは、性に厳格な統一原理の教えへの抑圧と反動であり、「こんなものを描いたところで堕落しない」という確認行為です。
歌を始めたのも統一教会の影響であるし、ブラックメタルというサタニズム音楽を聴くのも、教会的なものに反発したいという気持ちが少なからずあると思います。
ドールやぬいぐるみを集めているのも、洗脳によって「虚な人形」として操られている信者たちを象徴しているのではないでしょうか。
一見関係がないようなものも、このように「統一教会」というキーワードで紐解けることを最近になって発見したのです。
私はそのことに目を向けるのがずっと怖かった。
自分の好きなものや表現が統一教会によって形作られているなんて。
でも、もう逃げるのは辞めにしましょう。
今夜は徹底的に「カルトとメンヘラとアート」について掘り下げて考えていきます。
また、私は統一教会に家庭に生まれた二世であると同時に、発達障害(ADHD)の当事者でもあります。
小さい頃はそれによるコミュニケーション不和でいじめられたり友達が少ない方でした。
でも、統一教会ではいじめなんかなくみんな優しくて仲間が沢山いました。
信者同士は兄弟姉妹であるという教えであり、また、「為に生きる」の精神を教えられました。しかし、その限定的な条件下での優しさは偽善でしかないのです。
私も、その偽りの優しさ、楽しさの幻影に惑わされていました。
今現在はそのごっそりと奪い取られ、失った青春を取り戻すために、積極的に人と交流を図っています。
「集団・組織・グループ」に属したい。人と何か合作をしたい……。
人と人が関わること、コミュニケーションに対する永遠の渇望と憧憬があるのです。
時には他者に対して異常な依存心を抱えることもあります。
ADHDを基盤として、二次障害の「境界性パーソナリティー障害」を患っていることも関係します。所謂、「ボーダー」というやつです。
ボーダーの主な症状は、
・見捨てられ不安とそれに対するなりふり構わない努力
・理想化とこき下ろしの両極端を揺れ動く不安定で激しい対人関係
・不安定な自己像、同一性障害
・自傷行為
・自殺自傷行為のそぶり、脅し
・情緒不安定
・慢性的な空虚感
・激しい怒り、癇癪を起こす
・解離性症状、記憶喪失
などが挙げられます。
ちなみに妹も同じ病気を患っています。姉妹で二人も同じ疾患ならば、やはり家庭環境要因が濃厚でしょう。
私には私らしさ、個性がないのではないかといつも感じています。
人の意見を聞き過ぎるし、付き合っている相手の言うことがイコール自分になってしまうこともしばしばあります。
確固たる自我や、自己同一性、意見がほぼないままここまできてしまいました。
だから、作風も毎回絵柄やコンセプトががらりと変わります。
慢性的な空虚感が拭えないまま制作を続けているからです。
しかし、「自分とは空虚な人間である。」という、確固たる自我があるではないですか。作品を空虚になぞることで「自分は空虚な人間である。」と再確認しているのです。「自分がないのが自分」なのです。
その空虚さを少しでも埋めてくれるものが、絵の具の感触です。
昔から触覚には過敏で、誰もいないのに触られたり乗っかられる感触がする、「幻触」に悩まされることもしばしばあります。幻聴・幻覚、金縛りも幼少期からよくありました。
絵の具を触る。まずヒヤッとした温度がある。ペタペタした粘度がある。じっとりとした湿度が。ツンとした臭いがする。
物質をリアルに感じていく。
キャンバスに絵の具という物質を乗せていく行為が私を現実に引き戻す儀式です。
だから、仕上げは指で描くこともあります。
「絵の具と触れ合いたい」という、欲動が私を絵画制作へと突き動かすのでしょう。
絵画制作は、リストカットやオーバードーズよりも上位の快感です。
結局、セックスやドラッグや自傷行為などの短絡的で刹那的な快楽は、自己実現や自我の獲得に繋がる深い蓄積のある快楽には勝てません。
空虚を感触で埋める瞬間こそが、生の実感なのです。
絵があるから私は自分自身でいられるし、絵があるから生きていけるんだと思います。