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だから私は、二十歳に旅をする。【LA一人旅編】

ハタチ。

2024年2月下旬。ちょうど数日前に二十歳を迎えたばかりの私は、東京モノレールに揺られていた。
これから長旅に出る人とは思えないほど小さなスーツケースを足に挟み、居心地の悪そうな姿勢で、東京モノレールの車窓から見える街並みを噛み締めていた。清潔で洗礼されて、でもどこかごちゃっとしている。私にそんな街が恋しくなる日は来るのだろうか...。

今回の記事は、二十歳になったばかりの私が、ロサンゼルスで体験したそれはそれは濃い5日間をまとめたものです。楽しんでいただければ幸いです。💫


bye-bye東京

東京で20年を過ごした私は、この雑多な街で送る日常生活に疲れていた。まだここを知り尽くしたわけではないけれど、他の場所にも行ってみたい...。

幼い頃私は、大人になったらまずは一人で世界を旅しようと考えていた。

ハタチ。大人になったはずの私はそれを「子どもの頃の夢」と決めつけていた。そんな自分に嫌気がさした。思えば最近、私の頭の中にある価値観が凝り固まってきているような気もする。そんな自分を変えようと、気づけば大学の講義中に航空券の値段を確認していた。

羽田空港

42のJ...。格安で片道のLA行き航空券を予約した私は、空港の印刷機から勢い良く吐き出されたチケットに印字されている座席番号に目を通した。窓側か通路側か、地獄の中央席か、アルファベットと照らし合わせながらチェックインの順番を待っていた。よっしゃ、Jってことは多分窓側やな。
これから数ヶ月一人で日本を離れるというのに、全く緊張していない。まぁせめて、これから当分は和風デザートやらを口にすることはできないだろうから、抹茶の何かでも食べて飲んでおこう。この程度の緊張感だ。

飛行機では隣の人と仲良くなりたい

機内で自分の座席を見つけた私は驚愕した。座席は通路側だった。どうしてHIJの並びでHを窓側に設置したのだろう、反対側はAが窓側なのに。なんて考えながらしばらくしていると、隣に一人の女性がやって来た。
どうやら彼女は団体でLAに向かうらしいのだが、一人だけ離れた座席になってしまったようだ。9時間のフライトで一人は寂しい。羽田を離陸してから1時間ほど経った頃、私は意を決してその方に話しかけた。
「LAには何をしに行かれるんですか?」この質問を皮切りに、お互いがLA行きの飛行機に乗ることになった経緯を語り合った。そこで私はあることに気がついた。
「やばい、LAとNY行くことになったのはいいけど、何も計画してないな」旅は一期一会、行き当たりばったりが楽しいでしょ!と意気込んでいた私は、飛行機と宿だけ予約し、他のことは何も考えていなかったのだ。

Hello ロサンゼルス

よく「海外のスタバで注文をしてみた」というリールやショート動画を見かける。日本のスタバでは番号で呼ばれるが、アメリカでは名前やニックネームでドリンクを渡すのが一般的だ。そして面白いのが、英語圏の人は日本人の名前のスペルがわからないらしい。
子音三つの「Aoi」ならば尚更むずかしいだろう。そこで謎の好奇心が芽生えた私は出口から一番近いスタバに直行し、アイスラテを注文してみることに。結果はなんと、正しいスペルで「Aoi」。
空港のスタバだからインターナショナルな名前に対応していただけなのかもしれないが、幸先の良いスタートだ。

"Aoi"が正しいスペルで刻印されている

【DAY1】

空港からはrichにUBER

ドゥンドゥンドゥン…。空港からホステルまでは20km離れていたため、Uberを配車した。運転手は無言で、ヒーリングミュージックからヒーリング要素を取り除いたみたいな不思議なビートを永遠と流していた。サンタモニカ近くのホステルに到着する頃にはそのビートにも不思議と愛着が湧いていた。

格安ホステルでの出会い

車を降りるとそこには映画で見たことのあるあの桟橋が目に飛び込んで来る。しかし時差ボケで気が朦朧としていた私は、すぐにホステルに直行した。そさくさとチェックインを済ませ、予約したベッドがある8人部屋へと向かう。
「知らない男8人の相部屋かぁ、頑張ろう。」
部屋に入ると、そこには四つの二段ベッド。渡されたカードの番号と、ロッカーに書かれている番号を照合する。錆びれて解読できない数字を見つめていると、ようやく旅が始まったという実感が湧いてくる。なんとか番号を照らし合わせ、自分の場所を確認した。

「下の段か…。」幼い頃は二段ベッドに憧れていたけど、それは上段に乗る前提であったということにサンタモニカで気づくことになるとは想像もしていなかった。

飛行機で一睡もしなかった私が、今一番優先すべきことは睡眠だろう。早くベッドに潜り込もうとしたその時、上段で誰かが起き上がった。ホステルでは同じ部屋の人とのコミュニケーションは大切だと、どこかのサイトで読んだことがあったので、一応挨拶はしておく。
「Hi! How are you?」
「I'm good」眠そうな声で帰ってきた返事は、馴染みのある日本人アクセントの英語だった。
「Are you Japanese?」
「Yes」

彼も今日愛知から到着したということで、時差ボケにやられていたらしい。遠く離れた地で日本人に会うと安心する。ホステルで相部屋を選択した私はどうやら賢明だったようだ。自分の頭を撫でたくなった。
そして私は、DAY1からDAY3まで日本人の彼と行動を共にすることを決めた。

ここではKen(仮名)と呼ぼう。

日本人に会えた安心感からか、朦朧とした気も吹き飛び、KenとTrader Joe’s(アメリカのスーパーマーケット)や薬局を見て回った。銀色のバケツに入れられた花束、無造作に置かれた巨大な三角のチーズたち。どれを撮っても絵になるなぁと感心しているうちに、空は茜色に染まっていた。
LAは一つ一つの建物が離れており、かなり歩かされる。
あの有名な桟橋の横まで歩き、休憩がてらサンセットを見ているとKenが持参のカメラで私を撮影してくれた。

This is LAの夕焼け photo by Ken
写真の裏は想像の10倍多い人

桟橋にあるハンバーガーショップでアメリカンサイズの洗礼を受け、腹を満たした我々はホステルへと即帰宅し、早めに寝床についた。

【DAY2】

「甘い〜記憶〜SWEET MEMORIES〜🎶」
2日目の朝は、片耳から流れる松田聖子のSWEET MEMORIESと共に始まった。昨晩隣のベッドにいた大男のいびきがうるさかったため、Airpodsを耳に詰め込み、松田聖子のプレイリストを流しながら眠りについた。
何故かわからないが、アメリカの空気と松田聖子の曲は相性が良い。「マイアミ午前5時(松田聖子の曲)」ならず、「ロス午前8時」も悪くない。

ビバリーヒルズには住みたくない

路肩に止まるのは高級車ばかり。白いベンツGクラス、かっこいい。この日は無料の朝食を済ませ、バスでビバリーヒルズに直行した。ビバリーヒルズには住宅街と、ラグジュアリー商業地区の二つがある。

まずは住宅街の散策。住宅街はあまり観光客が来る場所ではないらしく、犬の散歩をしているセレブの方々が、険しい顔でこちらをチラ見する。

しばらく散歩をしてみた。ここの住民には悪いが、ビバリーヒルズには住みたくないと思った。

大きな家で好きなインテリアを好きなようにできる。ガーデニングもできる。そこまではいいが、大金を払ってまでここに住む理由見つからない。ここに住むお金持ちは、我々庶民には到底理解できない人生の意義を持っているのかもしれない(深い)。

とはあれ、LAを訪れた際はビバリーヒルズの奥まで散歩してみるとよい。歩き始めて10分まではモダンで巨大な豪邸や、リトルヴェルサイユ宮殿のような庭に圧巻される。しかし、10分後にはそんな感情は無くなるだろう。何が言いたいのかというと、街全体に色がないのだ。
グレーでスベスベに舗装された歩道、そしてその脇には3cmほどにカットされた芝生の緑、家もグレー。東京もコンクリートジャングルと呼ばれるが、東京には色がある。そんな街で人生を過ごしてきた私は、こんな場所で生活していたら圧倒的な色不足に陥るに違いない。
住むならもう少しごちゃっとしたところ、山の中がいい。強いていうなら、家の中も有名デザイナーが作った角張ったゴツいテーブルではなく、自分で作ったような愛着の湧く家具で埋め尽くしたい。

その後はIn-N-Out、ハリウッドを訪れて観光をしたのだが、本記事では省略させていただく。

ビバリーヒルズにある雑誌のセレクトショップ

LAで日本の田舎を感じる

陽が沈む頃にはホステルに無事帰還し(アメリカでは毎日が戦場)、コインランドリーに2日分の洗濯物をぶち込んだ。待ち時間に何かすることはないかと、ランドリーにあったボロボロのベンチに腰掛けGoogleMapを開く。近辺を探していると、なんと徒歩5分の場所にApple Storeがあるではないか。元Appleオタク(詳細は前記事に)の私は、脳から身体に信号が伝達されるよりも早く立ち上がり、気づけばApple storeへ向かっていた。

コスメ用品やアパレルショップが立ち並ぶ商店街の一角に、ガラス張りの建物が現れる。外観はApple表参道にそっくりだ。故郷で見慣れた建物を目にすると、落ち着くものだ。

そんな感情に浸るのも束の間。入り口のすぐ横に、ドラッグでバチバチにキマっているお爺さんが2人屯している。表参道では絶対に見ることのない光景だ。彼等を刺激しないよう、怒ったジャッキーチェンくらいのスピードで(伝われ)スーッと通り過ぎる。
中に入ればこっちの勝ち。店内は洒落たビートが響き、和気藹々とした雰囲気が私を包み込み温める。雪が燦々と降りゆく白川郷のお宿で、温かい鍋を食べているのではないかと脳が錯覚するほどだ。ちなみに、白川郷へ行ったことはない。

当時日本未発売のApple Vision Proをつけて興奮する私

【DAY3】

今日はKenと行動を共にする最後の日。レイカーズのスタジアムやGTA5にも出てくる有名なビル群があるダウンタウンエリアを二人で観光し、健康志向高めのお高いポケを食べた。約2日間お世話になったKenとはここでさようなら。彼はラスベガスへと旅立った。今思えば、一人で旅人として渡米した我々にとって、お互い頼り合う相手がいたということは非常に心強い。この後の旅にも大きく影響したことは間違い無い。

トイレどこですかっていう

そしてDAY3は7年越しの夢が叶う日でもある。大袈裟に夢というほどでもないが、私にとってはビッグイベントだ。結論から言うと、Kemioさんが「トイレどこですかっていう」という動画で歩いているハイキングコースにいくことである。そして願わくば、実際にトイレがないのか否か検証することも小さな夢だ。

この動画を見たのは私が中学2年生の頃だろうか。LAに行ったら絶対にこの場所でハイキングをしようと決めていた。その日は私が思っていたよりも早く訪れた。

Uberに揺られること30分。両脇にヤシの木が生えた道の先にはHollywoodサインが顔を出している。さらに道を走らせると今度は蛇のようにクネクネとした道に入る。おそらくここがセレブがたくさん住む有名な坂道なんだろうなぁ、などと考えているとハイキングのスタート地点に到着した。

山の麓は想像通り、世界中から訪れた観光客が写真撮影に興じる。ハリウッドの看板はまだ小さいが、観光客で賑わう。丸ごとパイナップルやジュースを販売するおじいちゃんには長蛇の列だ。いかにも観光地という感じである。

ハリウッドの看板

しかし私の目的地はここではない。観光客の間を通り抜け、歩道がない道を数十分歩く。そのさらに奥の住宅街を抜けると、地元民(セレブ)が集うハイキングコースに到着する。ここから頂上まで全長は何kmなのだろう。二時間ほど歩くと頂上である、ハリウッドの看板が間近に見えてくる。私の目的地はここだ。看板の裏は何もなく観光客も見当たらない。

こんなに有名なオブジェクトを独り占めしているぞという優越感に浸っていると、あろうことか尿意を催す。

あれほどKemioの動画で予習したではないか。この片道2時間のハイキングコースには、お手洗いなど存在しない。
私に残された選択肢は立ち小便か高速下山。私は後者を選択した。

高速下山中に撮影された一枚

あれから一時間半ほど経っただろうか。陽も段々と沈み始め、鳥たちが帰路に着く頃、私はようやくスタート地点に辿り着いた。パイナップルおじいちゃんや観光客の間を高速で通り抜け、あらかじめ配車したUberに乗り込んだ。しかし、予算の関係でこのUberでホステルまで直行することはできない。
ビバリーヒルズに公衆トイレがあるという情報を耳にしていた私は、運転手に
「ビバリーヒルズまでお願い。でも急ぎでね。」
と伝えた。

20分後、私は安堵の顔で公衆トイレから出るのであった。めでたしめでたし。

トラブルはこれだけで終わらないのがアメリカ

今いるビバリーヒルズから、ホステルがあるサンタモニカまではバスで30分。あたりはすっかり真っ暗になっていた。
LAの路線バスは聞いていたより治安も悪くない。暗闇のLAを歩くよりはだいぶマシだ。Google mapでバスの時間を確認すると、最終バスがあと20分で出発するらしい。何があるかわからないので、最終バスがやってくるバス停には余裕を持って到着した。バスは案の定10分ほど早くやってきたため、乗ることができた。

このまま乗り換えもなくホステルに帰り、温かいシャワーを浴びたら今日は完璧だ。温かい気持ちとトラブルを乗り越えた達成感を車内で噛み締める。

しかし一筋縄で行かせてくれないのがアメリカだ。突如運転手が車内アナウンスを始めた。
「このバスは目的地を変更するわよ」
「!?」
ざわつく車内。そのざわめきが徐々にため息へと変わっていく雰囲気。ん?これってもしかして、結構やばいやつ?車内に漂う落胆の雰囲気は、私の不安ボルテージをマックスにさせた。

ホステルからまだ6kmほど離れた地点での降車を余儀なくされ途方に暮れた私は、バス停のベンチに座り込んだ。

夜は、常夏のLAとは言えどかなり冷え込む。ハイキングのために、ハーフパンツにシャツを羽織った程度のoutfitで外に出ていたため、体感気温は5℃くらいだっただろう。一応他の路線を走るバスは、一時間後に近くを出発するらしいので、待つことに。
20分くらい待っただろうか。冷たい風が足を吹きつけ、横ではドラッグの取引が始まる。我慢の限界に達した。予算はだいぶオーバーするが、Uberを呼ぼう。
こうしてなんとかトラブルを乗り越えることはできたが、LAの洗礼を浴びた1日であった。

【DAY4】

昨日のハプニンングで身体が疲れているようであった。この日は大事を取って、ホステルでネトフリを見て終わった。こんな1日もありだろう。

ホステルの無料朝ご飯

【DAY5】

NYへの出発を明日に備えた今日は、『chilling day』と勝手に名付け、海辺でゆったりと過ごすことにした。ただし、ただの休暇のためにのんびり過ごすわけではない。将来はオーストラリアかヨーロッパまたはアメリカ西海岸内しはハワイに住むことを視野に入れている。今回はその予行練習、この土地が自分に合っているのかを確認するための大事な日だ。

憧れのマリブビーチへ

数々の楽曲や映画で度々登場するMalibu beachはロサンゼルス市街地からは少し離れた場所に位置する。白い建物に青い文字の看板。アメリカ版サントリーニ島のようなこの場所は、治安も良く、ビーチには世界中からサーファーが集まり、岸の上はお金持ちが別荘を持つ場所として知られる。

ビーチに流れ着いた丸太に腰をかけ、歌詞に「Malibu」が登場する曲を一通り聴きながら、一昨日我が身に起きた壮絶なハプニングを振り返っていた。20kmほどしか離れていないのに、なぜここはこんなに平和なんだろう。一時間ほどそそんなことを考えていたが、答えは見つからず、有名なMalibuの桟橋へと移動した。

桟橋の先端には白塗りの木材で建てられたお洒落なカフェがある。トレンドに振り回されたお洒落ではなく、昔から続く雰囲気を大切にするお洒落。そんなお洒落が好きだ。話が逸れそうなので、話を戻そう。
アットホームな店員さんに迎えられ、アイスラテとBLTサンドウィッチを注文すると、テラス席に案内された。

Malibu Farm Pier Cafe

ここは自分も含め一人で食事をとる人が多い。ある人は音楽を聴きながら、またある人は本を読みながら、各々の時間を心から楽しんでいる人ばかりだ。

Malibuで"生き甲斐"について考えてみた

ある一人の女性が前の席へとやってきてサラダボウルとレモネードを注文し、本を読み始めた。おそらく現地住民だろう。洗礼されたファッションや立ち振る舞いから、滲み出る只者ではない人感。
一体なんの本を読んでいるのか気になり、覗いてみると、表紙には『IKIGAI』と書かれていた。あの「生き甲斐」?
一度気になると徹底的に調べたくなる私は、「IKIGAI 本」とGoogleで検索した。一体どんな本なのか、そして海外でなぜ生き甲斐というタイトルの本が流通していのか、どんな内容か、要約サイトなどを読み漁った。

近年、自分の存在意義や、何を世の中(コミュニティや家族・友人)に貢献したいのかについて考える人が増え、IKIGAIという日本的な単語が世界え注目されるようになったらしい。
確かに昔から、安定的な職業だから。年収が高いから。親に言われたから。普通になりたいから。という理由で自分のやりたいことや意志を持たずして、キャリアや生き方を決める人が一定数いるように感じる。それが良し悪しではないが、たったの数十年で構築された日本の資本・就活システムに疑問を持たず、信じすぎるのは大きなリスクなのではないだろうか。私もこの本と同様、そんなこと、つまりは生き甲斐について昨年から考えるようになっていた。

思えば、今回旅をすることにした理由も、IKIGAIに通ずるところがある。私の場合、このまま日本で安定的な大学生活を送り、就職活動をすると、自分の内にある「本当にやりたいこと」を忘れてしまうような気がした。人生の目的を深く考えずに、周りの当たり前に流された将来設計をしてしまうのは、勿体無い。
私は自分自身に秘めた可能性を大いに信じている。
こう言うと、「何こいつ」と思われるかもしれないが、そんなことはお構いない。自分の信念は強く自分の軸で生きることを大切にしているからだ。あまりこれを他の人に言うことはなかったのだが、noteでは赤裸々に思いを綴ろうと思う。
ということで、新たな経験をし、頭の中の価値観を更新する目的で休学、海外へ渡航したわけだが、思いがけない出会いやハプニングに見舞われながら、IKIGAIについて思考を巡らせた。こうして、chilling dayは終わりを迎えた。

未知数だ

さっきの話に戻るが、前の席にその女性が座ったこと、その女性がこのカフェで読書をすることにしたこと、私がMalibuに来たこと、一昨日のバスでの事件。さまざまな事象や経験が重なったから、生き甲斐について考える機会が巡ってきた。もし、一昨日のバスがトラブルなくホステルに到着し、次の日にMalibuに来ていたら、私は生き甲斐について考える機会を失っていただろう。それか他のことについて思考を巡らせていたのかもしれない。その事象の組み合わせは無限大で果たしない。

この旅で、得た経験(したこと・事象)はいつか役に立つかもしれない。もしかしたら、もう役に立っているのかもしれない。何かを経験するということ、それは必ず未来を形作る。未知数で面白い。


だから私は、二十歳に旅をする。


最後に

最後まで見ていただき、ありがとうございます。

LA編はここまでです。なぜLA編?

実は続編にNY編、Paris編と続きます。現在、絶賛執筆中ですので、このnoteがいいなと思った方は、フォローしてお待ちください🌟

最後に、一枚LAでの思い出の写真で締めたいと思います。
ありがとうございました!

LA最終日、サンタモニカビーチに別れを告げる

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