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吉本ばななさんの「吹上奇譚」を読んだ -名もなく散るすばらしい花-

第4巻を読み終えた。最後に圧倒されてドーンときた。少し長いけれど引用させて頂きます。ネタバレがあるのでご了承ください。

私は思った。
世の中は、損得とか、自分をよく見せて結果的にお金に換えるとか、ここぞという時にだけうまく参加してなんとなくうまくいってしまうとか、そういうことでいっぱいだ。
そして美鈴のような人は全く評価されずに生きていく。命がけの仕事をしても、わかってくれる人は少数だ。(中略)
才能がありすぎて不器用であるゆえに、家から出られなかったり、健康に気をつかえなかったり、食べることに無頓着だったり、陽に当たらなかったり、変なところで出過ぎてしまったり(中略)、これからも多分たくさん苦労する。
(中略)すぐに目の前の人におびえたりかみついたりするし、人前に出ることも、きれいに社交的な言葉をまとめることもできない。絶対に損するだろうし、理解されないだろう。
そしてそんな彼女がもしもうっかりと死んでしまったら、これだけ地味にやってきた人生でも「生前彼女に救われました」と涙しながら出てくるハイエナのようなものがぞくぞくいそうな。ハイエナたちは生前の彼女をほめたたえ、損したままの彼女は死んでるから生前の扱いとのギャップも二度と言えはしない。
なんというばかばかしいことがこの世にあるんだろう。でもそれが現実だ。生きていて、得していて、うまくやれて、つごうのいいときに涙できる人が必ず勝つ。親や一族や企業や、なんだかわからないけれどそういう大きなものたちのバックアップがあって、いっそう力と輝きを増す人たちがいる。有名になったり、お金がたくさん入ってきたり。
そんな世界の片隅で、そんな報われそうにない人に、たまに笑顔になりながら小さな家族で生きていくことくらい、全うさせてやってもいいんじゃない?と思う。その手伝いになる事であれば、なんだってしよう。
私は好きだった。そういう報われないけれど地球の空気をきれいにしているような生き方が。
(中略)
こんなふうに、名もなく散るすばらしい花に力を貸したい。軽蔑すべき個々の人を憎むのではなく、美しい行為だけによりそっていたい。この人生の時間の全てを、例え無為に見えたとしもそういうことに使おう、と。
地上ではてんで冴えなくて、まるで何もしないで人の話を聞いたりちょこっと働いたりして、極楽とんぼのように生きてただ死んだみたいに見える人生になったとしても、きっと何かが美しい根っこを張り、もう一つの世界で大きな花を咲かせるだろう。

吉本ばなな「吹上奇譚」第四話ミモザより

寝る直前に読んで、はぁ〜となってそのままバタリと寝た。

そうして朝瞑想をして仕事を始めると、最近なんだか時差で自分の傷つきを感じる事が多いなと思った。あぁ、このことに傷ついていたのだ、悲しかったのだなと。そして、こんなしょうもないことに自分は傷ついていないと蓋をしていたなと。そう気付いてから、小さな傷つきがぞくぞくと、これでもかと、ダメ押しのように押し寄せてくる。もはや笑ってしまうくらい。わかったよ、ごめんよ、確かに傷ついていたし、そのことに気付いて動いた方がよかったよねと。ちっぽけな一人の自分として、積み上げていったものを失うこと、手放すこと、それを繰り返して、また裸一貫、無一文からスタートするのが、きっと本当は清々しいのだなと、そう思った。無名の輝きを持つ人たちのことを思い浮かべながら。

(前略)今みたいないい世界の中にいるんなら、永遠に続いたっていいよ。人生にいちばん大切なのは、地位でも名誉でも金でもない、自分がそう思える場所にいるかどうかってことなんじゃないのかな?

吉本ばなな「吹上奇譚」第四話ミモザより

準備は着々とできている。あと少し。部屋を片付けて、新しい部屋になったら、動こう。そう思った。

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