昨日までの自分に「いいね」って言えますか?
親はいつから親になるのだろう。
命はどこから来るのだろう。
親とはどのような存在なのか、
子供とはどのような存在なのか。
親とはどうあるべきなのか、
子とはどうあるべきなのか。
親としてどう在りたいのか、
子としてどう在りたいのか。
混沌とした世界でおやこのみちを考える親子道を提唱しています。
はじめましての方もふたたびの方も
お立ち寄りいただきありがとうございます♪
ここからのお話がますます楽しい親子関係への
何らかの氣づきのきっかけと成ることができたならさいわいです。
ごぶさたしています。
みなさまおげんきですか?
私はずっと考えていました。
日常生活を送りながら、
今日のご飯が食べられることに感謝をしながら、
まあまあな健康状態に感謝しながら、
友人とのちょっとしたやり取りの中の氣づきの中から何を学べばよりたのしいことが増えていくのか…。
家族ってなんだろう…。
命ってなんだろう…。
病気の事、争うこと、地球のこと、ご先祖さまのこと、子供の頃のこと、学校のこと、生活習慣のこと、お金のこと…などなど…
こうやって思い返してみると氣のおおさに思わず笑いがこみあげてきます。
どんだけ欲張りなんだろう。
どんだけ好奇心が旺盛なんだろう。
どんだけ悩み考えたいんだろう。
それが…今の私の姿なんだ。
そう思えて、新たな気持ちで
ここに戻ってきました。
そして、ポツリポツリとつぶやきます。
誰かを変えることはできません。変えることができるのは自分だけです。
全ての自分を受け入れることができるのも自分だけ…
地球の生き物は自分自身を見ることができない構造になっています…。
自分を知るには、見るには、映し出す何かが必要なんです。
その代表は鏡かもしれませんし、目の前にいる自分以外の誰かなのかもしれません。
(偶然にもこの文に出逢い、読み進めてくださったあなたにとって、私からのメッセージが、ご自身をより知って、さらに好きになるためのきっかけとしてご活用いただければ倖いと思います)
コンピューターが生まれて、記憶、記録という世界に大変革が起こったと思います。
素晴らしい!と思っていたのもつかのまでした。
どんどん進化して、映像も記録も簡単かつ複雑に加工する技術も生まれました。誰でも、コツと知識とコンピューターがあれば改ざんできちゃいます。好きなところだけ切り取って都合よくかっこよく伝えることもできます。
人間なんだなって思います。愛おしいです。
人間なんだというめで、情報を見ないとどうなるのか…。
その一つが『誤解』だと思うのです。
誤解から生じる延長線上に『争い』はあって、そこに『正義観』が絡んでくると手がつけられなくなってくるのかな?
正義が成り立つためには悪が必須…。
悪があるから正義が成り立ち、
正義があるから悪が成り立つ。
悪がなければ正義もなく、
正義がなければ悪もない…
…と、言い切れるような、言い切れないような
モヤモヤ感は残りますが、全く違うとも言い難い。
私から見た正義は、別の誰かから見たら悪かもしれない…。立ち位置によってその判断は変わってしまうものだと思うのです。
その時々で、私自身の中にも天使と悪魔がいてそれぞれの意見を好き勝手に言ってきます。(いろいろなアニメでも表現されていますよね。まさにそんな感じです)
昨日の自分と今日の自分、昨日の価値観と今日の価値観これもまた、違ってくると思うのです。新しい出逢いの中に、今まできがつかなかった何かを発見し変化と進化が進んでいく。
昨日まで正義だと思って行動していたことが、そうではなかったと見方が変わることもある。それが、悪から正義への変化ならば、そのハードルは低く感じるけれど
正義から悪への変化だとするならば、そのハードルはとてつもなく高く感じます。正義だと思っていたものが実は悪だったなんて受け入れがたく、何かしら理由を見つけて正義のままにしておきたい…。正義の側でありたいと思えば思うほど…。一番の正義は、自分に正直であることだとわかってはいてもなかなか心の整合性がつけられない。
昨日まで信じていたことが間違っていたり、正義に反することっだったとわかったとき…
あなたは昨日までの『全部の自分』を認める受け入れることが出来ますか?
私には簡単なことではありません。ですが、認め受け入れて、変化していきたいと思います。
真摯に受け止め、自分を許すことができたなら、見える世界が変わるような気がします。
もしも、許すことが、できたのなら。きっと正直に世界を見ることができるように思うのです。
正直に世界を見ることができたのなら、どんな正義もどんな悪もまっすぐ見ることができそうな気がします。まっすぐ2つを見ることができたとき、今まで見えなかった真ん中が見えてくる…。正義でも悪でもないちょうどいいポイント。
ゼロポイントと呼ばれることもあるようです。
世界の中心。世界のおヘソ…。
私は何も持たずに生まれてきました。すべての記憶を忘れて、生まれてきました。多くの人と同じように…。
だから…、私の言葉は全て『私が生まれて今日までに出逢った言葉の集合体』です。
それは伝言ゲームのよう。
少しづつ、経由する人の感覚で、加えられたり削られたりしながら、私に届いた言葉たち。
それは、きっと遠い遠いご先祖様からの愛の伝言だと、私は思うから、必要とする人に(私自身にも)伝わることを願いながら言葉をつむぎだしていく…。
先人の知恵と愛を思いながら…。
親から子へ伝えてきたように…