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母親の後悔と社会

#母親になって後悔してるといえたなら
新潮社の本。
このタイトルが伝えたいのは、「女は産むべきか産まないべきか」の問いではない。また「子どもを産まなければ良かった」の後悔でもない。
問題の本質は、母親の大変さやパートナー選びの失敗でもなく、子供を産む決断や子育ての責任を個人に負わせる社会の側にあるのでは、という問題提起だ。

後悔なんて感じたことはないという人はそれでいい。後悔を口にする母親は間違いなく少数派だろう。

今月、国連女性差別撤廃委員会による8年ぶりの日本審査が実施され、日本は勧告を受けた。
途上国で女の子が学べないのを見て、伝統だからとか宗教だとか言う人はもはやいないと思う。それと同様に世界は日本が差別的な国だと見ている。
日本のジェンダーギャップ指数(2024年6月)は146カ国中118位。失われた人権の30年を生きてきた私たちは、普通に暮らしているその感覚がもはや差別的なんだと疑った方がいい。

時代や環境の不運、パートナー選択の失敗、個人の特性や能力、情報不足、時間が解決する…と切り捨てるのは簡単だ。
しかし、選択も責任も個人に委ね、知らんふりをして、子育ても介護も家族と個人の問題にし、ジェンダー問題など感じたことはない、つまらない愚痴を言うな、子どもの気持ちを考えたのか、自分語りをするな、と母親を黙らせて、生きやすい時代はくるのだろうか。

母親の後悔に目を留めることは、どんなタイミングであっても子どもを産むのを躊躇わない社会、ひとり親でも安心して子育てできる社会、をつくるきっかけになるかもしれない。そんな社会は、いま子育てに満足している人にとっても、子どもを産むことを迷う人にも損のない社会だ。

#母親になって後悔してるといえたなら は、未来に生きる子どもたちのために「生まれ変わったら母親にならない」ではなく、そんな社会なら母親になってみたいと思える社会を願う人々の告白でもあると思う。