
長谷川幸洋さんの日本保守党への批判動画を文藝春秋PLUSチャンネルで観て
保守よりの立場から日本保守党の設立あたりで、百田尚樹さんと有本香さんのユーチューブチャンネル「あさ8」を毎日のようにチェックしていたこともあり、もともと長谷川幸洋さんは日本保守党支持者だと認識していたので、去年の晩秋あたりに長谷川幸洋さんがこの党から離れた、と側聞したときには「ふーん、そんなものか」と軽く受け流していた。私自身はもともと参政党支持者だったこともあり、日本保守党へは一定の距離を置いていた心情があったからだ。
事前情報として、長谷川幸洋さんの来歴をウィキペディアより抜粋。
千葉県生まれ。千葉県立千葉高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業後、1977年中日新聞社入社、1987年、東京新聞経済部へ異動。1989年、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院 (SAIS) で国際公共政策修士 (MIPP)。東京本社外報部、ブリュッセル支局長、1999年に論説委員に就任し、2010年、論説副主幹に就任。2017年3月1日付人事にて、副主幹から外れた[1]。2018年3月31日付で定年退職し、以後はフリーランスのジャーナリストとして活動。2009年、第18回山本七平賞を受賞[2]。
とある。ジャーナリストで東京・中日新聞で論説委員をしていたようだ。本人としては現在は保守主義を信奉しているのだね。この動画自体続きがあるようなので、すべてを観たわけではないが、この動画の最後に次回予告があるので前後編(これまでのパターン的に2回で終わることが多い)通した趣旨は理解するし、私が主張したいことは「保守主義」に対するものであって、日本保守党への批判に対するコメントが主ではないので途中としても語ってかまわないとの判断があった。ちなみに私は高市早苗さんが総理になっても、3年前なら期待していたが現時点ではまったく期待していません。自民党そのものの在り方に対して懐疑的になっているので、自民党を割って新党を高市さんが立ち上げない限り、保守よりの人が期待する政治は行われないだろう、と考えるので。
さて。動画引用したので、動画の内容そのものに対する私の所感を記しておく。
①長谷川さんは飯山陽さん寄りの立場から批判しているのだな
②長谷川さんの批判は、現状の日本保守党の規模や結成から今までの短期間であることを考えると、当たらないものばかりだな
③長谷川さんは「新しい保守主義」「国家保守主義」を標ぼうするけれど、英語にするといわゆるネオコン、Neoconservatismってことだよね
①はそのまま。②に関して、私は参政党の元支持者の立場から、新しい政党というのはカリスマ的な代表が独裁者のように切り盛りするのが当たり前だし、そうするのがスムーズに物事が運ぶ、と考えている。参政党も当初ゴレンジャーといって5人の中心メンバーがいるが、結局分裂し、現在の神谷宗幣代表を頂点とする組織の運営が軌道に乗ってきた印象がある。れいわ新選組だって山本太郎代表が議席を増やすまでは独裁者といってよい立場だったと認識している。ガバナンスを問題にするが、そりゃ何もなかったところから新しい政党を立ち上げたら問題はいくつも起こるわけで、そこに目くじらを立てるか、というと私はそこはある程度寛容で良いのではないか、と思う。かつて参政党で持ち上がった様々な案件もあわせて考えると日本保守党の場合は許される範囲である、と考える。
③が、今回私がこの記事を書こうと思い立った理由でもある。
「保守主義とは何か?」ここは実は私も日本保守党に対して、違和感を抱いている部分だからだ。他の人が指摘しないだろう形でまずいうと、この党の英語表記。Conservative Party of Japan、と表示されている(Xの公式アカウントより)。普通に「日本保守党」を英語訳するとJapanese Conservative PartyとAIは訳してくれる。ジャパニーズではなくオブジャパンとしているのは、おそらく「日本を強く豊かに」という日本国をより強くイメージしているのかもしれない。そこは良い。問題は、コンサバティブ。これをどれくらい考えたのか?単純に「保守」の英語はこれだからだよね、といういささか浅薄な印象を受ける。なぜナショナリズム(民族主義)ではダメなのか、国益主義という意味もある。こっちのほうが日本保守党の標語には合致しているのではないか?なぜこういうことを指摘するか、というと、元参政党支持者(繰り返し過ぎw)として、グローバリズムとの対峙という覚悟が薄い、もしくは無いのではないか、と勘繰りたくなるからだ。まだジャパンファースト、と押し出すならわかるのだけれど、そこまで現在主張しているのだろうか?…と、党の英語表記から、この政党のイメージに対して批判したくなってしまう。そのイメージの肉付けとして、この動画のような様々に沸き起こった日本保守党への批判が影響している、それはあるように思う。
さて。その上で、長谷川幸洋さんのネオコンを連想させる、期待する保守主義への形も私は違う、と批判したい。そもそも、彼の頭にある保守主義思想の根源が欧米にあるとうかがえる。その根源から、違う、と私は考える。私がなぜ「国体主義的リバタリアン」と自認しているのか?リバタリアンという個人主義の部分はここでは置いておく。保守よりとは言うし、前は保守と言ってきたのだけれども、上でちょっと書いたように、一口に「保守主義」と言ってしまうと、じゃあ民族主義じゃないの?国粋主義って表現もあるよ?国益主義ってのもあるんだねぇ…そう、表現がたくさんありすぎて、正直に告白すると混乱しちゃうのよね。そこで現時点での私は、日本における保守というのは、国体への距離感だ、という結論に達したわけ。保守って言う人たちに対して、国体という単語が出るのか、もし国体を出すのならばそれをどのように解釈しているのか?を尺度として判断する。が、残念ながら、私のみるかぎり、今現役として活動している政治家で、保守といっている人も含め「国体」という言葉そのものを述べる人はいない。そういう意味では、現存する政党はすべて保守政党とは言えない、というのが私の評価。
ただし、だ。だからといってすべてを否定するのもまた違う。なぜなら現時点での国民の民意を否定することになるからだ。それこそ参政党、日本保守党があるのに、それが保守ではないと断じるのは不寛容でしょう?と思うのだ。選挙ジャーナリスト畠山理仁さんは、選挙の投票を「よりマシな『地獄の選択』を」と呼びかける。そこまで悲観はしないが、現在国政政党は11もある。そのどれも評価しない、支持しない、というのは国民として違うのではないか。マシなほうはどちらか?…で、私は支持はしないが現状選挙があると参政党の候補に投票はしている。
そういえば昨日の夢で神谷代表がでてきて、参議院選で大躍進していた。その数が多すぎるので「まさかねぇ」と私は苦笑していた。いずれにせよ、今年の夏は選挙が重なる。政治に関心ある者として楽しみだ。