「二極化」は好きではないけれど
スピリチュアルにおける「二極化」という表現は、実はやっぱりあまり好きではない、ということにようやく気づいた。
分断や分裂みたいなイメージが好きでないのかもしれない。
あるいは、未だに「優劣」と結びつけているのかもしれない。
けれども、「違う」のはどうしようもないのだから、お互い違うんだと諦めて、「二極化で結構」と思ってしまうほうがスッキリするかもしれない。
どうやったって、生きる世界が違う人たちと同じにはなれないのだ。
良い人・悪い人とかいうことには関係ない。
たとえ基本的には良い人でも、タイプが違えば感覚や価値観が違うことはある。
二極のまた先の「多極化」と思うほうがいいかな。
おおまかな方向性はあっても、誰とも「ぴったり同じ」ではないから。
でも、おおまかな路線が別れるというなら仕方がない。それが自然の流れなのであれば、潮の流れに逆らっても仕方がないように。