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「最後の弟子」第一章/講演会にて(スケッチ)

東九州ベイグランドホテルの大宴会場に設置された「モテる作家のファッション講演会」の会場は開演して30分経ってもガラガラだった。
「タカさん。今日の講演の先生、だれだかわかります? 」
二列前の席から、シャカシャカと音がもれ聴こえてくる。顔面をあさぐろく日に焼いたいかにも漁師ふうの青い作業服の袖をとおした上腕三頭筋を小突かれたタカさんと呼ばれた男はワイヤレスイヤホンのかたほうをはずした。これ最近かったんだよ、とニヤリとわらって、タバコの黄色い脂にまみれた歯をみせる。今度はつぶれた左の耳に刺さったほうのワイヤレスイヤホンを、指の腹でポンっとたたいて音をとめる。自慢げだった。
「しらね、ネクタイの締めかたボンを書いている作家だろ」
蒼ヰ瀬名が勤める漁協の同僚だった。
タカさんを小突いたのは、漁協に、役所から出向という形できている、蒼ヰが卒業した地元の高校のふたつ上の先輩にあたる三橋眞也という名の男だ。彼は役所では新卒入社からずっとキャリア組だったらしい。だが、町のうわさでは三年前に、前市長の選挙で役所内でヘタをうった。それが原因なのかは不明だが、当時の助役にきらわれてしまい市役所の業務代行という格好で霧岬漁港前にある漁協事務所にデスクを置いている。デスクが四席しかない漁協本部の蒼ヰの向かいのデスクだった。
タカさんと呼ばれた男は年嵩からいえば蒼ヰより十より上の地元の、元漁師の日高健治。日高は海難事故かなにかで脊椎を損傷していてそれが原因で身障者制度の給付金を受け取って、本州へと北に抜ける国道ぞいに建ちならぶこの漁村の入り口ともいえる河口橋の手前に、でん、と居座るように、木板とトタンとをかき集めてこさえた、台風でもくればいつでもふき飛ばされそうな掘立てごやの実家をすて、市街地に移りすんでいた。日高は蒼ヰの直属の上司にあたる。
天井に真四角に埋めこまれた暖房が、ガタガタと老いた犬のようにうなっている。会場の設営をみとどけてそのまま帰るつもりだった三橋と日高の青色の漁協のマル魚マークの作業着の背中が、汗でぐっしょりとぬれている。蒼ヰはうつむいた。昨年の夏に市役所のクーラーの効いた会議室でだれかとだれかが、うちわとビールを手にこの企画を立案したらしい。知らぬ間に助役まで話があがった。その酒の肴のような企画話が三橋をつうじて、大学を卒業してからずっと家でひとり小説を書いているとかねがね町にうわさのあった蒼ヰにきた。そのうわさ話はいったいどこで漏れたのか。が、それは事実だった。そこで蒼ヰは今回の「作家のファッション講演会」は三橋眞弥の肝煎りのプロジェクトということで企画を組んでもらうことになった。だが三橋はノータッチだった。結果として役所のなかでは、今日の「モテるファッション術」講演を企画をしてホテルを手配して催し、税金を使ってまでしてわざわざ東京から老作家をこの港町に呼んだのはマル漁の蒼ヰだ。ということになるだろうと蒼ヰは思った。
蒼ヰは自分が作成した資料をみる。美月華樹(みつきはなき1955年 - )は、日本の作家、文筆家。医療ジャーナリスト。有限会社ダークホース取締役社長。東京・葛飾区生まれ。67歳。伊集院大学卒。『週刊毎朝』の記者、デスクなどを経て独立、ノンフィクション作品、コラム、エッセイ、小説なども書く。元新聞記者。大手新聞社から独立してバブル期に医療ジャーナリストを確立。27歳のときにダークホースなるライター集団を立ちあげ、旅行などの雑誌業界で企画を出版社に売りだして大成功を収める。若い頃から弟子をとるのが好きで、弟子に大手出版社編集長、SF大賞、ノンフィクション大賞、直木賞作家がいる。直木賞。田舎でいつまで経ってもうだつのあがらない物書きの蒼ヰも知っている。直木賞作家となれば一般人からしてみたら大作家なんじゃないか。蒼ヰは思った。老作家は海外の文豪ヘミングウェイのようなフルフェイスで白い髭を蓄えていた。天井に貼りついたうなるエアコンからの暖気で顔が熱っているのか皮膚は張りがうかがえる。実年齢よりも二十は若くみえた。

平台で講演舞台の嵩をいつもの倍にしたはずだった。だが、老作家は中列目にすわる蒼ヰの席から上半身しかみえない。
壇上で、ジェスチャーを大きくまじえ、大人のスーツの上手な着こなし術を講演している老作家は、まるでうごく鏡餅だった。背が異様に低いそんな男が「モテる作家のファッション講演会」をやっている。浴衣をきた男女が、講演会場の入口に立つ、「本日の講師、作家、美月華樹」に目をやって、手ぬぐいを肩にかけ立ちどまる。一歩ふみこんで会場内をぞく。首をかしげて去っていった。それでも背は低いが決してインチキ臭くない威風堂々とした風貌、離れたマイクに充てるバリトンの客席にまでしっかりひびく低い声、客席を見渡しながらゆっくりと歩く、くるりと光った革靴が踵をかえす。物怖じしない自信の満ちた目。時間をかけてよくみてみると、やはり講演を依頼するに値する高級スーツをしっかりと着こなしている。蒼ヰはこのファッション講演はまちがいではなかったとおもう。

九州東ベイグランドホテルのイベント会場はまばらだった。三橋を通じて役所へ根回しをし、年末には丸一日かけて日高とともに市街でポスター貼りをやったが、日高は、みろよ、おれ足がさ、といって助手席から降りようとしなかったので結局、蒼ヰが三百枚のビラをすべて貼ってまわった。年が明けてイベントの蓋を開けてみると、最初は、ホテルのシフト前の若い従業員が興味で覗きにきていたが、歯が抜け落ちるように、消えていった。

「なんだい、Vゾーンってのは」
耳にイヤホンを挿したまま日高が三橋に訊ねる。歪めた笑いをみせた日高は、小突く。くろく皺の寄った大きな手で口元をふさいで日高は、あれか、おまんこのゾーンか。卑猥に笑った。歯はタバコの脂で黄色い。しょんべんにいく、コーヒーでも買ってくっけど。スラックスに手を突っ込み自分の逸物を掻きながら会場から消える。三橋の首が後ろを向く。あと。頼むわ。おれも。でる。手刀をきって会場を離れる。蒼ヰの前は誰もいなくなった。みかんを食べ終わった老婆が会場を出ていく。三百人の収容を予定して設営したホテルのイベント会場は蒼ヰだけになった。腕時計をみる。講演予定時間は残り30分あった。ホテルの外湯に浸かった老婆がふたり、椅子に腰かけみかんを剥いている。結局、日高も三橋も蒼ヰを残して会場を去って行ったようだった。


メモ)

老作家は、プロとして講演を最後までやった。会場を後にする。蒼ヰが老作家のアテンドをする。

ホテルの寿司屋かどこかで軽い食事(第二章へのつなぎ)をする。

(2700文字)


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