「4TEEN」石田衣良/読書メモ
個人的な創作の備忘録。
時間の都合でサクッとメモ。
非常に良くできた小説。
読み終わって、思ったのが、まず、アメリカの、J・D・サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」邦題は「ライ麦畑でつかまえて」だ。
サリンジャーの1951年に出版された「キャッチャー・イン・ザ・ライ」はアメリカ全土で、空前の大ヒット&アメリカのPTAから(不道徳だと)の猛反発にあった青春小説金字塔だ。
簡単にいえば、世間を憎む少年が現代のアメリカの底辺の地獄めぐりをする(合ってるかな?)。
1959年のフランス映画でフランソワ・トリュフォー監督の「大人は判ってくれない」もそうだ。不良になってしまった少年の地獄めぐりといっていい。
すると、フランソワ・トリュフォー監督が、アメリカのサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を本歌取りして映画を作ったのかは定かではない。
「ライ麦畑でつかまえて」は一流の作家でもちょっと真似できないような「完璧な少年」の一人称で世界を構築している。「ライ麦畑でつかまえて」の魅力のおよそ八割は「主人公の独白」にある。あの世間(大人)を斜めに見る捻れた感じはサリンジャーにしか出せないと思わせるほどだ。
それに比べて、まだ映画館で一度しか見たことないのだが、だがそれでも映画「大人は判ってくれない」は冷徹なほどの「三人称」で物語が語られる。主人公が社会に見捨てられた感が半端ない(かった記憶だ)。
パクリ。本歌取り。とまではいわないが(いってるじゃん、笑)。
4TEENは完全なる、14歳の4人が主人公の「ライ麦畑〜」が、状況は反転している。彼らは「普通のどこにでもいる中学生」「社会に馴染んだ普通の14歳」としてリアルに描かれている。富裕層の息子でウェルナー病(早老症)だとか、親が呑んだくれで暴力親父、成績優秀の優等生、特技もない普通の14歳(語り手)として4人に役割を「分業化」させている。
それは時代だ。浜崎あゆみ、小池栄子、嵐などが(例えや、流れる曲などで)登場してくる物語の時代(2003年出版)で「不良」はもうクローズアップされない。石田衣良は、あえて「普通の14歳」(それも4人)を舞台にセッティングした。場所は東京月島。ラストの(書き下ろしか?ちょい長めの短編)の「十五歳への旅」はこの作品だけをどこかの新人賞に応募したら一撃で「芥川賞」だというくらいに上手だ。
当たり前だが(補足として)
直木賞はデビューして十年選手の作家に「あなたはもうベテラン作家です」という太鼓判を押す、ベテラン作家にあたえる賞。主に長編。
芥川賞はその年(年に二度あるが)に出版された、新人作家のなかで最も優秀な作品に与えられる。短・中編。
ちなみに、みんなの大好きな村上春樹さんは芥川賞に対しては「そもそも、芥川賞がすごい、なんていうけれど、日本に数にある出版社のなかのその一出版社の文芸春秋社がただ主催しているだけの賞なんだけど、」を前置きして、
「日本の文藝界に新風を巻き起こすような才能のある新人作家が、一年に二度もボロボロと出てくるはずがないとおもう。優れた才能なんて二年、三年にひとりでるかでないかなんじゃないかな」
といっている。たしかに、むかし芥川賞作品集を最初のほうから読んでいったことがあって、初期の頃は「受賞作なし」というのがすごくあった。選考員が井伏鱒二や川端康成や小林秀雄などの時代だ。ま、直木賞は別だろうけど。
気になる(また話が逸れる)のだが、直木賞作家の多くはやたら、下町が好きだ。
犯人がなぜか、下町、足立区や墨田区や江戸川区の、職工、ネジ工場の、豆腐屋の住み込みの下働き、多い。時代の流れに大きく左右され、銀行の融資が止まり、貸し剥がし、地上げ、廃業で人生をダメにする。あるいは犯罪を犯した後に隠れ家としてそこに逃げ込む。
とにかく、直木賞作家は(だってベテラン作家だもんねそりゃあ)物語の構成から描写からなにから、うまい!読ませる!読者を魅了する!
その一言(三言だったが)に尽きる。
備忘録としては、こんなところか。