子育てを支えてくれている言葉
noteでどんなこと読みたいですか?と
インスタでフォロワーの方に聞いたときに
子育てのことを聞きたいという声をいただいた。
なるほどたしかに。
わたしはインスタではほとんど子どものことは書いてなかったな。
正直、人に話せるような立派な子育てをしてないというのは大きい。
おいしいご飯を作れるわけでもないし
家は片付いてないときが多いし
なにはなくとも笑っていようと思っていても
疲れ果てて笑ってあげられることすらできない日もある。
日々子を育て…いや、子に育てられの毎日。
子どものことで思い悩むこともあるし 心配や不安でいっぱいになることもしばしば。
元々幼稚園の先生だったから
子育ては慣れてるでしょなんて言われたこともあるけど残念ながら全くそんなことはない。
まず客観的になれない。
登降園の時間が決まってるわけでもないから終わりが見えない。
どっしり構えたお母さん には程遠いけど
働いていたときに出会った言葉に救われ支えられているので、ここに書き留めておこうと思う。
新卒のときに主任の大ベテランの先生が教えてくれた言葉。
「子どもの成長はらせん階段なのよ」
という言葉。
子どもにはそれぞれ個々のペースがあるのはもちろんのこと、育ちも様々で、育っていく中にはいろいろなことがあるけれど。
例えばわかりやすく言えば
幼稚園や保育園に行きたくないと泣きながら登園していた子がいたとして。
やっと泣かないで登園するようになったなぁ、安定してきたなぁと思っていたら、また泣いて登園するようになった。
この場合一見戻ったように見える前と同じ行動でも 実は成長した上でのまた新しい行動なのだということ。
らせん階段はクルクルと回りながら登っていくので途中何度も同じ景色を見ることになるが、実はそこは前回に同じ景色を見た時よりも何段も上にいたりする。
人の成長もそれと近いものがあるのだと主任が話してくれた。
働いている時もその言葉はわたしを支えてくれていたし、子育てはもちろん、今のわたし自身を支えて居てくれている言葉。
わたしは子育てを語れるほどの場所にまだいないし、とにかく必死な渦中にいるので
これからも迷うだろうし、悩むだろうし、立ち止まってしまう時もあるかもしれないけど。
前にも後ろにも横にも長く広い大きな視野で物事を見ることって
必死な時ほど忘れちゃう。
だからときどきこの言葉を思い出しながら
子どもたちと一緒に育っていきたいな、と思う。