6年通った保育園を卒園する娘へ
あと2日で娘が保育園を卒園する
生後半年で預けて働いてたから6年間通った保育園
もしかしたらアタシと何かしら経験した時間より保育園で先生や友達達と遊んだ時間の方が長いんじゃないかなと思ったり…
娘にとっては当然だけど、この節目は共に駆け抜けたアタシも相当量の思い入れがあるわけなのです
哺乳瓶デビューも
離乳食も
はじめてのあんよも
トイレトレーニングも
お箸の使い方も
鉛筆の使い方も
鉄棒も
マットの上ででんぐり返りも
縄跳びも
気付いたら出来る様になっていて
全部保育園に教えてもらった
なんかこう書くと、楽してんじゃんと思われるかもしれないけど乳児を他人に預けると言う事の負い目もあったり無かったり
いつの間にか彼女の口癖は
「ママが足りない」になった
働きながらの子育てはとにかく忙しいくて時間が無くて…
18:30に帰ってきて
ご飯の支度
洗濯
お風呂
21:00までには寝かしてあげないと!と思いながら22:00をさす針を横目に自己嫌悪を抱きながら布団につき翌朝6:00には…の繰り返し
(寝るのが遅いと寝不足で翌朝機嫌悪くて朝の支度が遅くなるから)
毎日が瞬きの如く気付いたら終わっていく日常
その日その日は必死過ぎて正直覚えていない事が多くて、心の中の叫び声はいつも
「疲れた…誰か代わってほしい」
保育園から職場に電話がかかってきた時のゲームオーバー感
熱が続いて小児科をハシゴした夜の帰り道
職を失えば、乳飲み子がいる身の転職は容易では無いのはわかってる
何日も欠勤が続いた時の気まずい空気
インフルエンザだって予防接種してるのに何回かかったか…
あとコロナも
ほぼワンオペでの育児は孤独と耐えながら、我が子と共に戦っている様な感覚だった。季節の変わり目とかもぅ戦友だよね。どちらかが風邪引けは共倒れの運命共同体
病児保育を頼った事も多々あり
保育園の帰りにスーパー寄ったり
公園寄ったり
もっと余裕のある子育てしたかったなって今となっては切に思う
してあげれない事も多かったけど、せめて1日の中の10分だけでも同じものを見て同じ気持ちになりたくて、帰り道に自転車を漕いで近くの川沿いを少しだけ遠回りして帰ったんだよね
鳥がいるとか
飛行機雲が見えたとか
虫が付いてきてるだとか
今日の風は気持ちが良いだとか
お星様を見つけたとか
他愛も無いない会話
それでもアタシにとっては彼女と一緒に風を感じた大切な時間だった
保育園のお話も良いけど『この瞬間』のお互い思ったお話をしたかったんだよね。
この時間は何故か向き合って優しい気持ちになれたから
付き合ってくれてありがとうという気持ちを此処に置かせてね
哺乳瓶でミルクを飲むのにクラスで1番最後まで抵抗していた彼女
今は自転車が大好きで、一緒にあの川沿いを並んで走れるようになった
ハンドルのところに引っ掛ける椅子に座ってた頃は信号待ちの時間はぎゅーの時間だったのに
こんなに大きくなったんだね
ps:トップの写真は川沿いで娘と一緒によく見た夕陽。
この時をいつ迄覚えてくれているのかはわからないけど、アタシにとっては大切な思い出の1つになりました。