小説 花の意志 第4話 b. 変事
お母さんの家は大きな都市の近郊に在った。遠くには背の高いビル群が霞んで見える。
お母さんの家はというと、鉄の直方体に窓とドアが付いただけのような簡素な家だった。近隣にも同じような家が整然と建ち並んでいる事から、他の家にも何処からか招集された人が住んでいるのかも知れない。
今はこの家にお父さんと一緒に住んでいるのだけれど、昨日は帰ってこなかったらしい。仕事が忙しいと時々そういうことがあるのだという。
家に入るとお母さんは、夕飯の準備をしながら色々と話してくれた。
お父さんは今、救助隊として働いているそうだ。
救助隊は、花に寄生されて失踪した人の捜索や救助が主な仕事だけれど、最近は、花を殺そうとする過激派の抵抗が激しく、救助作業の妨害や攻撃をしてくる事があるのだという。だから身の危険を感じた場合は、最悪、相手を殺すことも認められているらしい。
救助隊が人を殺す――その矛盾がこの国の混乱を象徴しているようだと思った。
救助隊は下界へも行くらしく、お姉ちゃんの捜索願いを出せば必ず救助隊が見つけてくれる筈だとお母さんは言った。
お母さんは今、病院で働いていて、花に寄生された人の治療を行っているのだという。人を治療する過程で花にも詳しくなったらしい。
今日はあの町に避難指示が出た事を知り、本来なら許可なく持ち場を離れてはいけないところを、仲間の助けを借りて抜け出し、わたし達姉妹を連れ出しに来てくれたのだ。だけど家に入っても姿が見えず、困惑していたところへ丁度わたしが帰ってきたのだという事だった。
――そんな話を聞きながら夕飯を終え、今日は眠りについた。
お母さんと一緒にいる安心感から、その日は深く眠った。
翌朝、仕事へ向かうお母さんを見送った後、わたしは家の中でお姉ちゃんの事を考えていた。
お姉ちゃんは本当に、自らの死に場所を求めて下界へ行ったのだろうか。
下界は危険すぎる。死に場所を見つけるどころか、恐ろしく惨い仕打ちを受けて殺されるだけかもしれない。お姉ちゃんがそれを知らない筈がない。
きっと何か別の目的があったのだ。命を賭してまで成し遂げたい何かが……。
下界には何があった?大量の灰色の砂と、鉄の廃材、そして、花——。……もしかして、"花に至る病"に――?
わたしは、お姉ちゃんが自ら望んで"花に至る病"に罹りに行った可能性を考えた。花になれば、自我を失うことができるから――。
夕刻、わたしは夕飯を作りながら、お父さんとお母さんの帰りを待っていた。
お姉ちゃんと2人だけになってから夕飯を作るのはわたしの日課になっていたから、いつもと同じ感覚で作って待っていた。
2人が帰ってきたら早速、お姉ちゃんの捜索状況を訊かなくては。そう思い、わたしは気を張って待っていた。
だけど……お父さんもお母さんも、夕飯の時刻を過ぎ、周りの家の電気が消え始める頃になっても帰って来なかった。
自分の心に黒い不安が渦巻くのがわかる。
何か良くない事が起きたのかも知れない。もしかすると、このまま2人とも帰って来ないなんて事もあり得るかも知れない。
悲愴な思いに沈みそうなったその時、玄関で鍵を回す音が聞こえた。
急いで出迎えに行くと、ドアを開けたのはお母さんだった。
わたしは一瞬、安堵した……けれど、お母さんは別人のように顔色が悪く、目が据わっていた。
「あぁ……サナ……ただいま」
お母さんはそう言うなり鞄を力無く落とし、その場でわたしを強く重く抱き締めた。身体に爪が食い込むほどに。
お母さんの体重を支えられなくなって、わたし達はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
お母さんの身体は震えていた。声には出さなかったものの、泣いているのではないか――そんな気がした。
少し落ち着いた後、わたし達はダイニングに戻った。
わたしは、温かい飲み物を用意し、お母さんに差し出した。
お母さんはぽつりとお礼を言い、カップを両手で包んでしばらく黙り込んだ後、静かに話し出した。
「今日、お父さんが殉職したという知らせがあったの……」
――玄関でのあの様子を見た時から、実は覚悟はしていた。だけど実際に言葉で聞くと、頭を殴られたような衝撃が走り、心臓が痛んだ。自分の動悸を全身で感じる。
「過激派の人間が病院を襲ったらしくてね、救助隊が駆けつけたのだけれど、お父さんに向かって火炎瓶を投げつけた少年が居たそうよ。救助隊は耐火服を着ているから直接の被害は無かったのだけれど、その少年を取り押さえようと近づいたら……少年が……自爆したと」
――耳を疑った。まさか。何故、自爆など。理解ができなかった。
「どうして……」
わたしはそう言うのが精一杯だった。
お母さんは悲しい目をして言った。
「暴力なんて理解できないものよ。それが暴力だから」
そう言ってお母さんは、一筋の涙を流した。
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