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小説 花の意志 第3話 a. 追手

わたしは、彼女に助けてもらう事にした。
理不尽な暴力を目の当たりにしたわたしにとって、手を差し伸べてくれた強い者について行くのは至極当然のことだった。


彼女の住処は、廃都市の片隅にあった。元々は図書館だったらしい。しかし図書館というよりも、教会に本棚が置かれている、といった印象だった。
天井は高くアーチ状になっており、中央には奥まで見通せる通路が伸びている。
壁際には太い柱が整然と建ち並び、荘厳な雰囲気を醸し出していた。
通路の両脇に、長椅子に取って代わるようにして本棚が配置されていたが、傾いて別の本棚に寄りかかっていたり、本が雪崩出ていたり、砂埃に塗れていたりして酷く乱雑なものだった。
それらで足の踏み場が無くなりつつある中央の通路を抜けると、左右に扉が見えた。この奥が居住スペースらしい。

居住スペースの扉を開けると、歪な鉄の兜——手打ちで自作したように見える――を被った風変わりな少女が出迎えてくれた。
「おかえりなさい、師匠。うわぁ、すごい血ですね。返り血ですか?」
わたしを見るや否や、少女は明るい声でそう言った。
師匠、と呼ばれた黒ずくめの女性はその少女に「彼女にシャワーと着替えを用意してあげて」と言い、わたしは、場違いに明るい少女に半ば強引にシャワー室まで連れて行かれ、着替えを受け取った。
彼女はルカと名乗った。

シャワーを浴び、用意された質素な灰色の作業服に着替えた。丈が少し短い。小柄なルカの服だと思われた。これを着て鉄の加工を行っているのではないか――そんな光景が目に浮かぶ。
ともあれさっぱりし、お礼を言おうと来た道順を戻ると、天井が半分剥がれ落ちているダイニングに、師匠——わたしの師匠ではないが、他にしっくりくる呼称も無いのでそう呼ぶことにする――と、さっきの鉄兜の少女とは別の女の子が、食卓で話をしていた。その少女はわたしよりかなり若い……というか幼い印象だった。……いや、よく見ると今朝、刀で私の脚を切り落とそうとしたあの子ではないか!
何故、此処に?全身が粟立つ。するとそれが伝わったのか、少女はこちらに気づき、ばつが悪そうな表情で目を伏せた。
わたしは、怒りに震えたものの言うべき言葉が見つからず、拳を握り締めて突っ立っていると、師匠もわたしに気づき、事情を説明した。
「この子はあの男に恐怖で支配されていたんだよ。帰る場所を失ったようだから連れてきたんだ」
――わたしも恐怖で支配されそうになったぐらいだから、ましてやわたしより幼い子がそうなってしまうのはわからなくはなかった。だけど、あの時、もしも脚を切り落とされていたらと思うとゾッとした。
やるせなくなって沈黙したまま尚も突っ立っていると、その子は立ち上がり、無言のまま深々と頭を下げた。
謝罪のつもりなのだろう。わたしは「もういいよ」と少々ぶっきらぼうに言うと、その子は目を伏せたままスタスタとこの部屋から出ていった。

わたしは改めて師匠に向き直りお礼を言った後、聞いてみた。
「どうしてわたしを助けて下さったのですか?」
すると師匠は、わたしの頭を撫で、優しく抱き寄せて言った。
「私は、一人でも多くの女性を理不尽な暴力から救いたいんだ。あなたが無事で本当によかった」
わたしは、緊張感が解けて涙が零れ落ちそうになった。だけど何故だろう、このまま甘えてはいけない気もした。
わたしの頭を撫でる左手は硬く冷たく、あの男に突き付けられた銃を思い出させる。彼女の左手は、まるで黒い甲冑のような義手だった。

その日から、わたしは彼女らと寝食を共にする事となった。
そして師匠は、これからは自分の身は自分で護れないといけないからと言って、銃の扱い方を教えてくれる事になった。
わたしを取り巻く環境の変化が激しくて、束の間、お姉ちゃんの事を忘れてしまっていた。

数日後の或る朝、わたしは強かに身体を揺すられて目を覚ました。
はっと起き上がると、例の鉄兜の少女——今は被っていなかったけれども――のルカが深刻な顔で、声音を落として言った。
「この建物の周りを誰かがうろついている」
事の深刻さがすぐには理解できないでいると、彼女は続けた。
「微かな足音が聞こえるんだ。わざわざこんな廃墟に来るなんて、普通の人間じゃない。今、師匠が確認しに行っているけれど、最悪、この家を出ないといけないかも知れない」
そう言って彼女は、物騒なことにライフル銃を準備し始めた。
わたしに扱える武器は無く、武器を持つ心構えすらもまだできていなかった。

あの刀の少女は――?
そう思った矢先、図書館の方から窓硝子が散乱するような大きな音が聞こえた。
わたしは動揺したが、ルカはいたって冷静で、わたしは彼女の指示に従い、姿勢を低くして後ろをついて行った。

彼女が図書館へ繋がる扉をそっと開けると、若い男の声が聞こえた。
「何日か前に、此処に血塗れで帰ってきた奴が居るだろう?お前か?お前でなければ居場所を言え」
わたしは血の気が引く思いだった。誰だか知らないが、わたしを探している。
ドアを少しずつ開けていくと、中央の通路に、仰向けに倒れている少女と、その少女の胸ぐらを掴んで銃を突きつけている、フードを被った少年の姿が見えた。銃の先にはナイフが着いている。フードのせいで口元しかよく見えないが、その雰囲気は、わたしの首を絞めて殺そうとしたあの男を思い出させた。
少女はあの刀を持っていた子だ。負傷したのか、力なく呻き声を上げるばかりだった。
「何処に居る……言わなければ目を抉る」
わたしのせいであの子の目が抉られてはいけない――。思わず立ち上がろうとしたところをルカに手首を掴まれ、その場に膝をつく。
「感情的になってはいけない。出て行ったところで今の君には何もできないのだから」
そう言われてぐっと拳を握った瞬間、「待て」と師匠の声が図書館に響いた。

乱雑に組み合った本棚の、ある一部の影がわずかに動いた。真っ黒なロングコートに身を包んだ師匠がゆったりと姿を見せる。
「何故、そいつを探している」
師匠が威圧的に問うと、少年は直ぐに銃口を向け、「お前か」と言うや否や発砲した。
師匠はすぐに本棚の影に隠れた。その場に複数の弾痕がつく。散弾銃だ。
少年はすぐにその場へ駆け寄ったが、既に師匠の姿は無い。
少年は言う。
「そいつは俺の兄を殺した。唯一の肉親だったんだ!」
「復讐か。何故、此処がわかった」
別の場所から師匠の声が響く。死角から別の本棚へ移動しているらしかった。
「返り血をたっぷりと浴びただろう。兄の血液には細工がしてあったんだ。居場所がわかるんだよ」
そう言って、少年は声のした方へ躊躇なく発砲した。
何故そんな細工を?とわたしは思ったが、師匠はそれ以上は問わなかった。
そしてまた別の場所から師匠が姿を見せたと思った瞬間、発砲音と共に少年がうつ伏せに倒れた。足を撃たれたようだ。
師匠は素早く駆け寄り、少年の手から銃を蹴り飛ばす。少年の側に仁王立ちになり、銃口を頭に向けて言った。
「兄思いの優しい奴だな。だがその兄は人を殺そうとした。自業自得だよ。お前はどうする?生きたいか。それとも兄の元へ逝きたいか」
相手が子供だからか、威圧しつつも殺気は感じられなかった。
少年がどう出るか。少しの静寂の後、全く別の男の声が聞こえた。
「そこまで!」
声がした方を見やると、図書館の入口に成人の男性が立っていた。少年と同じくフード付きのコートを羽織っている。砂塵が多いこの地域での標準装備なのだろう。
男はフードを下ろし、コートの下の右手から、白く美しい太刀を覗かせた。

「久しぶりだね」
男は、師匠に向かって柔らかな表情でとても嬉しそうに言った。やや癖のある黒髪が風に靡く。師匠と歳が近そうだが、その屈託のない笑顔のせいで若々しく見えた。
師匠は銃口を男の方へ向け、絶句している。男は、ゆっくりと建物の中に入り、負傷している少年を見て言った。
「うちの部下が私怨で身勝手な行動をして済まなかった。救助隊は呼んでおいた。間もなく到着するだろう」
そして、改めて師匠を見つめ、何か言ったようだった。この場所では聞き取れない。
男は師匠を真っ直ぐに見据えて左手を差し伸べ、ゆっくりと一歩ずつ歩み寄ってくる。しかし、師匠は銃を向けたまま、一歩ずつ後退りをしていた。
それを見たルカは静かに言った。
「まずい、師匠の様子がおかしい。知り合いだか何だか知らないけれど、銃を持たない人間相手に圧倒的優位に居るのに、後退りをするなんて」
確かに。言われてみると、少年とのやり取りと比べて明らかに動きが鈍い。
ルカはそれを瞬時に判断し、鋭く言った。
「私が奴を引き付けるから、取り敢えず君は師匠を連れてこの場から離れて」
「えぇっ!?」
急に重荷を背負わされ即座に断りそうになったが、彼女はそれを封じるように両手でわたしの肩をしっかりと叩き、「頼んだよ」と言った。

彼女が飛び出す。わたしは必死で師匠の腕を掴み、裏口から逃げ出した。

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