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小説 舞闘の音 第一幕(三)

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その後、私は、病院のような研究機関のような、妙な施設で目を覚ます事になる。其処では白衣を着た大人たちが働いていて、瀕死になっていた私の命を救い、更には改造を施したのだと聞かされた。私はあの広場で、全裸で両腕を切断された状態で見つかったらしい。それを聞かされた時、自分の身に起きた事だとはにわかには信じられず、だけど実際に両腕は黒くて重い義手になり、身体は思い通りに動かなくなっていたから、その現実を受け入れざるを得なかった。
下半身に負った傷を見た時、私は自分の身体から離脱したくなった。下腹部から内腿、ふくらはぎにかけての縫合の痕は複雑な模様を描いており、その傷跡から行われた事を想像すると、それは気が狂いそうになるほどに残虐で、人間のやる事ではないと思った。悪魔の所業だ。
「そう、奴らを悪魔だと思いなさい」
白衣を纏った研究員らしき人間の一人がそう言った。薄い眼鏡をかけた知的な女性だった。
「まともな感性を持っていては、害を被るだけだから」
その人はそう言い、ただただ涙する私を慰め、励ました。眼球が零れ落ちるのではないかと思うほどに涙は流れ続け、目は抉られるように痛んだのだけれど、不思議と心には何の感情も湧いていなかった。悲しみも怒りも憎しみも湧かず、どちらかというと真っ白で空っぽな気持ちだった。傷つき改造され、思うように動かない私の身体は、既に私のものではない感じがした。いや、もともと私は弱い自分の身体を呪っていたのだから、むしろ改造されたことに感謝の念すら抱き始めていた。酷い目に遭ったがそのおかげで以前の弱い私は死に、新たな自分が生まれたのだと。だからまるで赤子のように泣き続け、心は真っ白なのだろうか。

感情が無くなり、言葉も失った私は、音楽療法を受けることになった。
様々な音楽を聴いた。最初は意味を成さない音がただ耳を通過するだけだったが、次第に頭の中に留まり始め、それは旋律になる。音がもたらす僅かな振動はいつの間にか小気味よい律動となり、少しずつ私の心臓に響き始めた。そうやって何日も何日も、代わる代わる音楽を聴かされ続けていると、自分の中で好き嫌いが分かれるようになっていった。
好きな音楽を聴いている間はとても気持ちがよかった。重厚な律動が鼓動の制御を奪い、体温は上がり発汗する。狂おしい旋律は肌に染み渡り、血が沸き立つような興奮を覚えた。あぁ、何かを思い出しそうだ。音楽と身体が一体化する感覚。音楽に浸される感覚。
しかしその反面、嫌いな音楽を聴かされている間は虫唾が走るほどの嫌悪感に襲われ、際限のない苛立ちの中に叩き込まれた。後頭部を掻き毟りたくなる不快感に止まない頭痛。雑音や騒音という言葉では足りない、感情を搔き乱す奇音。とても聴くに堪えず、発狂すらしそうになる。研究員たちは毎日入れ替わりで私が横たわるベッドの傍へやってきて、そんな私の何かを計測し観察していた。
そんな日々が続き、嫌悪感が限界に達した或る時、私はその日の担当の研究員に訊いた。この時にはもう身体を起こすぐらいはできるようになり、言葉も取り戻していた。
「何故音楽はこんなにも好き嫌いが激しく出てしまうの?嫌いな音楽は聴くに堪えないし苛々するわ」
半ば八つ当たりをするように問う。その日の研究員は前髪の重い細身の男性で、常に伏し目がちで静かに作業をしていたから、何となく気が弱そうに見えたのだ。無意識に強気に出てしまった。
その人は私に話しかけられるなど思ってもみなかったようで、少し目を丸くして一旦静止した後、私の目を見て「音楽は」と呟くように言った。この人が目を合わせてくるとは思わなかったから、私は少し緊張した。そして声には聞き覚えがあった。
「音楽は、耳から体内に侵入し、あらゆる臓器に作用します。耳は目とは違い、簡単に閉じる事はできません。自分の意志に関わりなく音を拾い、そして身体が侵蝕される……誰も嫌いな人に身体を侵されたくはないでしょう。だから嫌いな音楽は凄まじく嫌悪するのです」
そう言い終わる頃には思い出していた。この人は、私が凶行に及ぶきっかけとなった音楽を浴びせた vocalist だったのだ。それを悟った時、私は猛烈な羞恥に襲われた。私は貴方の音楽に呑まれて凶行に走り、返り討ちにあったのだという事をこの姿が告白している。貴方の音楽に侵され、気持ちが昂りすぎた挙句に、暴力的な衝動を抑えられなかったのだという事を。
何かを計測している機器の電子音が高くなる。平静を装っていたが数値には表れているのだろう。そう思うとますます熱が上がるようだった。
その人はその計器を横目でちらりと見たものの特に気に留める事もなく、それ以降は何も話さずに坦々と作業を進めてこの部屋を去った。私もその間、何も言えずに大人しくしていた。それ以降、この人——今の指揮官と生身で会う機会は無かった。

義手の扱いに慣れてきた或る日の事、最初に私を励ましてくれた女性の研究員が、凛とした声で或る事実を告げた。
「貴女の事件をきっかけに、我々は奴らに報復を開始した」
奴らというのはあの小麦色の肌を持つ民族のことで、この頃には褐色の民と呼んでいるらしかった。対して、我ら防塵布を纏って暮らす民を、白の民と呼んでいるらしい。白、というのは日光に弱い我々の肌の色というよりは、潔白という意味を表しているのだそうだ。正義は我らにあり、お前たちが先に平和を乱したのだという主張である。
「知っているか、我々は長年、奴らから陰湿な差別を受けてきた。差別はいけないと学校では教わっただろう。だけどそう言う教師は皆、褐色の民だ。貴女に惨い仕打ちをした奴らも裁かれる事はない。何故なら裁判官も皆、褐色の民だからだ。我々は奴らの土俵で生かされているに過ぎない。差別は既に社会に組み込まれている。我々には奴らの定めた範囲内の自由があるのみだ」
彼女からは長年、腹の底に押し留めて腐敗し、ねっとりと湧き立つような怒りを感じた。言葉を選んで話してはいるが、感情が抑えきれず声が僅かに震えている。彼女はベッドに座っている私の顎を右手で掴み、顔を近づけた。化粧品の匂いが舞う。頬には彼女の爪が食い込んだ。
「私は貴女に期待している。その両腕は私が開発したの。奴らを殲滅するために。戦場で舞い、敵を切り裂くのよ」
魔女のような囁き。吐息がかかるほどに顔は近く、私の目を覗き込む。僅かな嫌悪感を感じた時には既に、彼女の右腕を切断していた。私の左手の甲からは、自然と切っ先が伸びている。
彼女は薄い眼鏡からはみ出るぐらい目を丸くしてバランスを崩し、床へと横転しそうになるところを左手で私の右肩を掴み堪えた。彼女の爪が今度は右肩に食い込んだが、左手まで切断するのはやりすぎだと思ったのでしなかった。
この時に初めて分かった事がある。力を持つと大して考えなくなる。大抵の事は力で捩じ伏せられるのだから、我慢する必要がなくなるの。あぁ、もしかして、広場で私を踏み躙ったあの子もこんな気持ちだったのかなとふと思い出す。相手の弱さに考えが至らず、ただ思った事を力尽くで押し通しただけ。
「素敵な腕をありがとう」
改造兵士クリーチャーを造った研究者は、その怪物クリーチャーに殺られるのがセオリーでしょう……なんてそれは冗談で、これ以上は傷つけるつもりはない。私は貴女に感謝しているのだから。ただ少しばかり押し付けがましくて癇に障っただけ。
彼女は額に脂汗を滲ませ、息も絶え絶えになって
「そうよ、それでいい」
と言った。狂科学者マッド・サイエンティストかと思った。

応急処置のためだろう、彼女は離れた右腕と共に、頼りない足取りで部屋から出て行った。
私はベッドに腰掛けたまま、血で汚れた左腕をぼんやりと眺めていた。そして改めて、広場で舞っていたあの子に近づいた時の状況を思い返す。今思えば確かに、あの場に白の民は居なかった。だけど私は何とも思わなかった。それは、差別はいけないと教わっていたから、皆も同じ考えを持っているものと思い込んでいたからだ。見た目は違っていても皆、平等であると信じ込んでいたのだ。だけど奴らには、私は異物に映ったに違いない。格好の餌食に映ったのかもしれない。私を誘うように手を差し伸べた彼女は既に私を嘲るつもりでいたのだろう。皆の眼前に引き摺り出し、弱みを抉る事に快感を感じていたのだ。何という悍ましい思考。私は何も知らないまま近づいた。憐れな……私。
当時の自分の状況を客観視し、その無防備さが滑稽で笑えてきてしまった。でもこれからは大丈夫。この腕があるから。あの研究員の期待に応えてあげる。
とその時、後頭部に静電気が走ったような僅かな痛みを感じた。そして声が聞こえた。男の声。私に音楽の説明をした研究員であり、私を豹変させた vocalist の声が。
「この声が、この歌が聴こえたならば」
周りを見回すが誰も居ない。頭の中に直接、声が響いている。後頭部から首筋を肩を背筋を、じわじわと粟立つような感覚が下りてくる。その声は続ける。低く静かに、まるで独り言を呟くような声音で。
「今宵、当館の屋上へ上がってほしい。月の昇る方角に通信塔が見える筈だ。明日未明、其処を制圧する」
あの重い前髪の下から殺気を込めた眼で歌う姿を思い出し、私は思わずにやついた。声が背筋に浸み、身震いがする。いや、身悶えしたのかもしれない。身体が勝手に彼の声に呼応していた。得体の知れない情動が暴走しそうになるのを、右の義手で首根を押さえ、自分の中に閉じ込める。これが、身体を侵されるという意味——。心身の制御を奪われる恐怖を感じつつも、心酔する人に支配されるというのは危険な快楽の香りがした。意志を強く持たなければ溺れてしまいそうなほどに。
こんな改造も施したのなら言ってくれればよかったのに、などと、白衣に身を包んだ彼を思い出しながら私は呟いた。

宵を見計らって屋上へ上がると、既に一人、知らない男が立っていた。手摺の無い屋上で、砂塵舞う強風に煽られるのも厭わず、ただ前方を見据えて立っている。そして両腕には私と同じ、黒くて硬い義手を備えていた。茶髪のツンツンした頭が束子のようだと思ったが、まぁ……本人には言った事はない。全くもって好みではないなというのが第一印象だったが、歳は近そうだと思った。そいつは私を横目で一瞥した後、特に興味がないといった風で再び前方の景色を眺めた。前方にはパラボラアンテナを幾つも備えた巨大な鉄塔——通信塔が、月を背景にして聳え立っていた。するとまた後頭部に痛みが走り、音声が聞こえ出す。相変わらず昏い声だ、と苦笑した。束子の彼も反応したので、同じ音声が流れ出したものと思われた。
「本作戦の指揮はわたくし、B]uEp^in[ が執る。対象ターゲットは前方に見えるあの通信塔。今は敵部隊が占拠しているが、奴らにあの設備は使いこなせまい。よって我々が頂戴する」
名前を名乗っただろうか。うまく聞き取れなかった。しかし私達を何処で見ているのだろう。視線だけで周りを伺うが、それらしい物は見当たらない。隣の彼も、少々戸惑っているように見えた。そんな事はお構いなしに声の主は続ける。
「施設内の人間を殲滅せよ。逃げる者は追うな。来る者を殺せ。闘おうとするな。ただただ急所を抉れ。君たちの初舞台に相応しい、最高の音楽を用意している。戦場で……舞ってくれ」
戦場で、舞う。その為の、最高の音楽。どんなものだろうと胸を膨らませつつ、ふと隣を見やると、茶髪の彼もにやつきながら私を横目で見た。あぁ、そうか、こいつも指揮官の音楽に心酔しているのだとその顔を見てわかった。私もきっと同じ表情をしていたに違いない。同志だと思った。
こいつが例の、見晴台で暇潰しをする間柄の同期である。

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