小説 花の意志 第1話 姉妹
上界の片隅の小さな町に、わたしはお姉ちゃんと2人で暮らしていた。
両親は2年前、国からの招集通知を受けて家を出ていったきり、一度も帰ってきていない。
今、この国では奇妙な病が蔓延しており、その病に罹った人達を助けるために、一定の基準で国民を招集し、訓練ののちに任務にあたらせているのだと聞いていた。
その病は、"花に至る病"と言われていた。
或る花の成分が血液に入ることで感染し、それは血液を媒介して人に伝染する。
その病に罹ると徐々に意識が朦朧として自我を失い、最終的には人体を突き破って花が咲くことからそう呼ばれていた。
花が人に寄生したように見えることから、その花は"寄生花"と呼ばれていた。
人間が異形と化すことから、人々の恐怖は凄まじいものだった。
ただ、治療法は無くはないらしかった。病に罹った人は、都市部にある特殊な病棟へ隔離されて治療を受ける事になっている。
でも、人々の差別は深刻だった。
花の殲滅を謳う過激な者達による病院の襲撃事件が発生し、その一方で、何故かまったく関係のない暴力事件も頻発するようになり、治安は悪化した。
身の危険を感じた人々は都市部から離脱し始め、今や都市部は、廃墟が建ち並び暴力が横行する、荒廃した街となっているらしい。
この状態を正すため、国は国民を招集し、治安維持活動や人命の救助、そして"寄生花"の駆除を行なっているのだという――。
これらの話は全部、町の図書館の館長さんから聞いた話だった。
わたし達は本来ならまだ学校へ通っている筈の年齢だったのだけれど、学校は或る日突然、無期限の休校になったから、代わりに図書館へ行っていたのだ。
館長は博識で美しい女性で、世の中で起きている色んな事を教えてくれた。
お姉ちゃんは、そんな館長さんをとても慕っていた。
お姉ちゃんは毎日のように図書館へ通い、館長さんとお話をし、あらゆる本を読み漁った。神話、宗教、歴史、文学、哲学、科学、軍事、医学、生物学……興味の赴くままに色々と。
お姉ちゃんは本を読む事で、生き方を模索しているようにも見えた。
両親が居ない今、本を読んでひたすらに知識を蓄える事を、心の拠り所としていたのかも知れない。
わたしは、そんなお姉ちゃんを尊敬していた。
わたしは、賢くはないし勤勉にもなれない。今の世の中にひとりで放り出されたら生きていけなくなる。それは自分でもわかっていた。
だからわたしは、ずっとお姉ちゃんについて行こうと思った。どんなに過酷な状況になろうとも、お姉ちゃんと一緒なら構わない。わたしには、お姉ちゃんが一緒に居てくれることが、心の拠り所だった。
だけど或る時、お姉ちゃんは冷めた目をして言った。
「サナ。今の世の中、生きる価値はあると思う?」
わたしは驚いて聞いた。
「どうして?都市部は危険だけど、この町はまだ平和だよ?」
「そう……今はまだね。だけどそれも、いつまで続くかわからない。私ね、今の世の中に興味が無くなってしまったの。みんな、争いと暴力ばかり。昔から人間はそうだった。何も変わっていない」
お姉ちゃんが何を言おうとしているのか、わたしには掴みきれなかった。だけど、わたしにはお姉ちゃんが必要だったから、言うべき言葉は決まっていた。
「わたしは、お姉ちゃんが大事だよ。お姉ちゃんが居てくれるだけで、生きる価値はあるよ」
そう言ってわたしは、お姉ちゃんにしがみつくように抱きついた。そんな悲しい事を言わないで、と強く思いながら。
「……そう?」
お姉ちゃんは微笑んでくれたものの、その目は少し寂しそうにも見えた。
翌朝、目覚めると、お姉ちゃんの姿は消えていた。
わたしは、不安に押し潰されそうになりながら近隣を捜した。だけど何処にも居なかった。
お姉ちゃんが行きそうな場所は、他には図書館しか思い浮かばなかった。
わたしは、まだ開館前の図書館へ走った。
無理を言って館長さんに会い、お姉ちゃんが居なくなった事を伝えると、思わぬ答えが返ってきた。
「あなたのお姉さん……最近見かけていないわね」
わたしは一瞬、言葉を失った。
お姉ちゃんは毎日図書館へ通っていると思っていたのに、一体、何処へ出掛けていたのか。
ひとまず事態を把握した館長さんは、自警団に連絡して捜索してもらうと言ってくれた。
わたしは、連絡があるまで家で待つようにと言われた。
夕刻、館長さんから連絡があった。
お姉ちゃんがこの町から出て行くのを見た人がいるらしい。
詳しく聞くと、お姉ちゃんは明け方、この町の端にある廃工場の敷地から、下界へ続く道を一人で歩いて行ったのだという。
下界は砂と灰に塗れた廃都市となっており、今や殆ど無法地帯だと言われていた。そんな場所へ一人で行くなんて、危険極まりない行為だ。
わたしが絶句していると、館長さんは言った。
「言いにくい事だけれど……あなたの身の安全を考えると、お姉さんを追わない方がいいわ」
誰も下界に行きたくないし、関わりたくないのだ。わたしの身を案じて言ってくれている館長さんの気遣いもわかる。
だけどその言葉は、お姉ちゃんを見捨てろと言われたに等しく、わたしは酷く傷ついた。
お姉ちゃんは貴女を慕っていたのに、どうしてもっと助けようとしてくれないの――。
わたしは怒りと失望を歯を喰いしばって堪え、「わかりました」とだけ返事をした。
この後、わたしは、
・危険を承知で、一人でお姉ちゃんを捜すことにした。
→ 第2話 a. 下界 へ
・館長の言う通り、追うのをやめることにした。
→ 第2話 b. 侵食 へ