小説 平穏の陰 第二部(3)
「狂ってる」
僕は開口一番、そう言った。
「ああ、狂ってる」
と立花先輩も相槌を打つ。
「先輩もですよ。よくあんな人に優しい言葉がかけられますね」
僕は少々煽ったつもりだった。だけど先輩は黙った。肩透かしを食らった気分だ。
代わりに別のことを言い出す。
「巻き込んですまなかったな」
「いえ、僕が無理矢理ついてきただけです」
「君も今日はゆっくり休んでくれ。これはうちのクラスの問題だから、君が心を痛める必要はない」
「……ありがとうございます」
とは言ったものの、僕は複雑な気持ちだった。僕には関係大ありなことだった。だって僕は、藤堂先輩を――と思うと嗚咽しそうになったから、考えるのを止めた。立花先輩に気づかれたくはない。
あたりはもう日が暮れ、星がちらほらと見え始めていた。
その後、昏睡状態に陥っていた7人は、それぞれの肉体が限界を迎えたタイミングで亡くなっていった。
暖里亜先輩は、警察が事情聴取を行った後、今はどこかの施設でカウンセリングを受けているという。
僕はというと、あれ以来図書室に行く気が起きず、休み時間はぼんやりとクラスの皆の様子を遠目で見ていたり、興味のない会話に聞き耳を立てたりしていた。
時折、僕の噂話や嘲笑が聞こえたような気もするが、僕にとってはもうどうでもよく、このどうでもいい時間がとても平穏で愛おしく、涙すら流しそうになった……けれどここで泣いてはまた変人扱いされるから、ぐっと堪えたけれども。
そう言えば僕の家庭は平穏ではなくなっていた。
父さんと母さんが離婚することになったらしい。
母さんとはここしばらく、一緒に食事をしていなかった。仕事が忙しいからだと聞いていたけれど、父さんの嘘だったのかな。
僕も僕で、自分のことに精一杯だったから気にも留めていなかった。
母さんが家を出て行くことになり、僕は、父さんと一緒にこの家に残ることとなった。
僕はまだ母さんが居るうちに、母さんの仕事が見たいと言って作業室を見せてもらった。
久しぶりに入る作業室。そこには老若男女、様々な等身大の人形たちが、椅子に座ったり、壁にもたれかかったりして並べられていた。その光景は、何だか授業参観を想起させる。
「この人形たちはどういう人が買うの?」
と訊くと、母さんは手近な一体を眺めながら、
「勿論、人形が好きな人たちよ。人形という存在に惚れ込んだ人たち。人と同じ形をしながら動かず老いず、凛として無感動に世の中を見つめている……そんな独特な魅力があるのよ」
「へぇ……」
そんな話をしながら作業室を見て回ると、昔、僕のお気に入りだった女の子の人形がまだ残っていた。今は僕の方がだいぶ大きくなって、年の離れた妹のように見えてしまう。
「その人形、好きだったでしょう?置いていこうか」
「ゔ……」
ばれていたのか。まぁそうだよね、母さんだもん。
僕は、その子を置いていってもらうことにした。
母さんが家を出た後、この作業室は僕の部屋になった。
仕事具や人形たちが居なくなったこの部屋はやたらと広く感じる。
僕は取り敢えず勉強机とベッドを運び入れ、女の子の人形は椅子に座らせて壁際に置いた。
相変わらず、漆黒の瞳が綺麗だった。
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