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小説 舞闘の音 第一幕(五)

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頭の中に静かに音楽が流れ始める。これは作戦開始2分前である事を意味していた。
まるで砂漏のような静かな音楽。しかしその背後には何処となく不穏な空気を纏った旋律が潜み、凶兆を想起させる。
私は暗闇の中、息を潜め、対象の集落を観察していた。走ればもう十歩ほどで集落に入れる。殆ど潜入していると言ってもいい位置に居た。集落の人間は寝静まっているようだ。
音楽は徐々に盛り上がりを見せ、身体に染み入ろうとするのがわかる。それは例えるなら、腕の太さほどもある蛇が尾骶骨からゆっくりと腰を腹を胸を鎖骨を撫でて這い上がり、首に巻き付いて耳元で舌を出す――そんな怪しい気持ちよさを湛えていた。思わず声を漏らしそうなほどに心身が熱を帯びていく中、歌が始まる。それは意外にも荘厳な歌だった。幾重にも重なる澄んだ混声が、恵みの豪雨のように私に降り注ぐ。まるで大聖堂に響く聖歌のように。すべての者に無慈悲な死を。歌がそう告げている気がした。これは聖戦である、と。すべての行いが肯定される。身震いがして、私は臨戦態勢に入った。仮に私が獣だったなら、全身の毛を逆立てていた事だろう。
私は両腕の刃を突き出し、静かに走り出した。手近な家の窓を割って中に侵入し、寝台に横たわる人影の喉元に刃を突き立てる。続けて家の中を素早く歩き、別の部屋に横たわる人影にも同じ事をする。すべての部屋を覗き見て人影がなければ、入口の扉から出て次の手近な家へ向かう。同様の事がこの集落のあと2箇所でも行われている。隠密を意識しているわけではないので、徐々に目を覚ます人が出てくる。起きた人と鉢合わせてはその人を斬り倒し、私の動きは次第に暗殺から舞踏へと変わる。どこからか悲鳴が聞こえ始める。集落はいよいよ雑音に塗れる。そうするとわざわざ家に侵入しなくても、自ら外へ出てくれる人も増えてくる。慌てて家から出た迂闊な人影を斬り捨て、物陰に隠れようと屈み込む臆病な人影を突き刺し、大の字になって向かってきた無謀な人影を薙ぎ払った。そうして私は舞った。生ぬるい返り血を幾つも浴びて。たっぷりと浴びた血液は頭からこめかみを通って首筋へと滴り落ち、着衣の中へ滑りこんでゆく。丁度、先ほど蛇が這った痕とは逆方向に、鎖骨を胸を腹を撫でてゆく。あまりの心地よさに天を仰いで笑っていた。そこから先はたいして記憶に残っていない。多分、本能の赴くままに暴れたのだろうな、とは思う。

視界に動くものが入らなくなったので、集落の中心部にある広場を目指す。そこから見回せば、まだ何か見えるかもしれない。そう思って向かった先には見慣れた束子頭の影が見えた。うっすらと白んできた空を背景に真っ直ぐ立ち、彼も静まった集落を眺めているようだった。
私は気分がよかったので、とてもとても気分がよかったので、いや、本音を言うと滅茶苦茶に犯してほしいほどに身体も心も昂っていたので、艶やかな足取りで彼に背後から近づき、馴れ馴れしく彼の左肩に右手を置いて耳元で囁いてみる。
「ねぇ、この後どう?」
私の中に控えている獣をおくびにも出さぬよう気をつけながら、艶めかしい声音で彼をお誘いする。意図は通じていると思う。だって貴方もいつもこんな風に私に囁くでしょう?
彼は普段と変わらぬ視線を私に向け、頭の先から胸元のあたりまでを見下ろした後、やや目を細めて
「その汚れ、洗ってもにおいが残るだろう。血生臭いと興が醒める」
と言って断った。今まで私がお前の要求を断った事など一度もないのに、私からの要求は断るのか、と憤怒しそうになり、思わず胸ぐらを掴んで唇にだけでも食らいついてやろうかと思ったが、何人もの返り血を浴びた後、さすがに不潔な気もして何とか思い留まった。何よりそんな事をしようものならば、胸ぐらを掴んだ時点で彼は全力で私を張り倒すだろう……それも一興か、と一瞬よぎったりもしたが、却下した。相当痛いだろうからな……。そうして私は無意識に力を込めていた右手を緩める。断られた悔しさを紛らわすべく、私は別の話を振った。
「どうして貴方はあまり汚れないの?」
今日だけじゃない。いつもそうだ。両手こそべっとりと汚れているものの、その他は多少血痕が飛び散っているぐらい。いつだって涼やかな顔をしている。その彼は言う。
「お前とは流れている音楽モノが違うんだ」
「そう……聴いてみたいものね」
どんな音楽を聴けば、我を忘れて本能のままに舞い踊ってしまうことなく、冷徹に任務を遂行できるのか。どんな旋律、どんな律動が彼をそうさせるのか。
しかし彼は真面目に忠告した。
「やめたほうがいい。合わない音楽を身体に入れると発狂するぞ」
「そうね、それは知っている」
かつて研究所で嫌いな音楽を目一杯聴かされたから。虫唾が走るほどの不快感と言おうか、唾棄したくなるほどの嫌悪感と言おうか、際限のない苛立ちの渦に叩き込まれて本当に発狂しそうになったものだ。
そうやってしばしの間、他愛のない話をしながら身体から不意に漏れ出てしまいそうな情欲を何とか抑え込もうとしていたが、それはこの後に知る2つの出来事によってきれいに霧散する事となった。

1つ目は、Azaya の死体を見つけたのだ。鉈か斧のような厚みのある刃物で頸動脈を一太刀、即死であったものと思われる。或る家の入口近くに倒れており、隣家の外壁を真っ赤に染めていた。入口で家主と鉢合わせたのだろうか。屈強な男の仕業と思われた。そいつは Azaya を殺った後、集落の外へ逃れたのだろう。もし居残っていたならば、私か B.B. が殺している筈だから。
私は、髪を束ねていた布を解いた。これは、自分が負傷した時の止血用として所持していた物だが、任務が終わった今、使ってしまっても問題ない。その布を Azaya の顔に被せた。他に弔い方を知らない。何故なら、仲間の死体を見るのは初めてだったから。
「彼を死なせずに済む方法はあっただろうか」
昨日の夕刻、ぎこちない会話の場面を思い返しながら、私は独り言のように呟く。初陣に際し、予め何か言ってやれる事はあっただろうか、何か教示できる事はあっただろうか、と。少しの沈黙の後、 B.B. は答える。
「彼は弱かったのだ。だから死んだ」
Azaya の背後を見守りながら此処まで来たくせに、死んだらそんな言い草か。私は彼の冷酷な発言に反論する。
「しかし私達は彼が未熟だという事を知っていた。何か予め助言できる事があったんじゃないかと思うと――」
そこまで言って私は、自分の発言の無意味さを痛感する。今更後悔したところで、まったくもって意味がない。時間は戻らないのだから。私は深く溜息をつき、彼に詫びた。
「悪かった。私が愚かだった。忘れてほしい」
「別に何とも思っていない」
「そうか……それならいい」
そう言って私達は、Azaya の死体をあとにし、本日の成果を確認するべく、集落内を歩き始めた。

2つ目のこと。朝日が昇り始め、集落の被害状況、もとい我々の戦果が自然と目に入り始める。それらの死体を見て回ると、或る少女の死体が目に留まった。普段なら特定の個体に目が留まる事など全く無いのに、どちらかというと死屍累々の量をぼんやりと眺めているだけなのに、その日は景色が違って見えた。仲間の死を初めて目の当たりにしたせいかもしれない。Azaya と同じ年頃に見える褐色のその少女は、下腹部から大量の血液を流し、内臓を引き摺り、その末端には彼女の内臓にしては大きすぎる赤い塊があった。よく見ると赤子である。へその緒が繋がった赤子。それが認識できた時、どういうわけか、全身の血の気が引くほどの強烈な嫌悪を感じた。眩暈と吐き気に襲われ、思わず口元を抑える。私らしくもない。これまでも敵の惨状は散々見てきたはずなのに、どうしてこんな反応が起きてしまったのか、理由を説明できない。頭で考えても仕方のない、生理的な反応に近いと感じた。少女に我々の武器による裂傷は無かったから、下腹部からの大量出血により絶命したものと思われた。
「憐れな……」
思わず私は呟いてしまった。自分たちが殺ったその他の死体は棚に上げて、若すぎる妊婦の躯に得も言われぬ悍ましさを感じる。この感情は何処から来るのか。そこに思考を巡らせかけた時、私の発言を聞き咎めた B.B. が横目で睨みながら言う。
「敵を憐れむとは、心に悪魔が棲みつきでもしたか」
悪魔――そう、奴らを悪魔だと思いなさい――私のこの双腕を造った研究者が言った言葉だ。こいつも同じ教育を受けてきたという事だろう。しかし目前の少女を悪魔だと言い切るには無理があるように思えてならなかった。いや、これこそが彼の言う、心に悪魔が棲みつくという事なのだろうか。
彼の煽り文句には無言のまま、周囲の死体に目を向ける。これも今までは全く気にかけた事がなかったが、殆どの死体が女か子供であった。成人の男は一割に満たない。
「弱いからか……」
私は一人で結論付けた。極限の状況下では、肉体的に弱い者から死んでいく……だから Azaya も命を落とした……そんな風に考えを巡らせていると、私の応答を待っていた彼の頭に疑問符が浮かんで見えたので、別の事を問うてみる。
「なぁ……私達のやっている事は正しいのかな」
彼は明らかに眉を顰めて「お前」と言ったかと思うと、急に胸ぐらを掴み、
「自分への被害を忘れたのか。その両腕は奴らに切り落とされたのだろう」
と低く抑えた声で凄んできた。その言い方は私を諭そうとするようでもあり、偉そうで気に食わなかったが、それほど私の発言は馬鹿げていたのだろう。冷静に考えてみれば確かに、私の方がいつもと違う感覚に陥っているという自覚はある。しかし私は思った事をそのまま口にした。
「確かに私の両腕を切り落としたのは褐色の奴らだが、この少女が私に何かをしたわけではない。我々は褐色の民を悪魔だと教えられてきたが、本当に皆が皆、そうだと思うか?」
彼は「正気か」と言いたげに目を丸くした。そのままぶっ飛ばされるかと思ったが、何とか堪えたようだ。そう、彼は本来、衝動的に行動する人間ではない。私の発言を頭の中で反芻している筈だ。
彼はしばし沈黙して怒りを鎮めた後、私を突き放し、少女の死体を見下ろして言う。
「所詮はシーソーゲームだ。端から絶対的な悪も正義も存在しない。迷ったら死ぬぞ」
彼からその発言を得た事は、私にとっては或る種の収獲であった。彼も心の何処かでは違和感を感じていたという事だ。そうでなければ私をぶっ飛ばして終わりだっただろう。私はその事に少しだけ満足した。
しかし彼は、怒りを抑えたストレスを吐き出すかのように深い溜息を一つつき、横目で私を睨みつけて言った。
「だが、今度血迷った事を言ったら殺す」
雑念が入るのを嫌ったのだろうが、殺すなどと軽々しく言ってくれる。思わずふふふと笑い出しそうになり、殺れるもんなら殺ってみろよと中指を立てたい衝動に駆られたが、此処で彼と本気の喧嘩をするつもりはないので、
「わかった」
とだけ返事をしておいた。

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