小説 舞闘の音 第一幕(四)
その通信塔を無事制圧できたので私達はその見晴台で休息を取ることができているし、其処の設備を使って遠方まで音楽を運び、我々は活動範囲を広げている。
作戦の後、束子頭の彼は BlueBird と名乗った。爽やかすぎるふざけた名前だと思った。本名を名乗るつもりはないらしかったから、私も RedDress と名乗っておいた。咄嗟の思い付きにしてはわりと気に入っている。彼は、敵の返り血に塗れた私を見て「お似合いの名前だ」と苦笑した。
それはもう十年以上も前の話なのだけれど、そんな事もあったななどと懐かしみながら、現在の召集場所に向かう。昔の事を思い出したのは、今日、新入りが来ると指揮官が言ったからだ。うちの部隊の人数は少なく、今まで5人だったが最近6人目が入ったのだという。指揮官の音楽に酔いしれて殺戮できるほどの適性が必要だから人数が限られるのは仕方がない。少数精鋭といえば聞こえが良いだろうか。しかし今更ながら、私は B.B. 以外の人に会ったことがない。他の人は何処で活動しているのだろう……私はいつも彼と2人もしくは単独でしか任務に就いた事がなく、今回初めて新入りとはいえ彼以外の人間に会うことになる。私達と同じく、指揮官の音楽に惚れた人間――。どんな奴だろうかと思いを馳せつつ、外套に染み着いたハーブの匂いを楽しみながらゆるゆると歩き、召集場所に着いた。
其処は寂れた野外ステージだった。剥き出しの鉄骨がアーチ状にステージを囲んでいる。さほど大きくはなく、過去には子供向けのショーでもやっていたのかもしれない。そのステージの中央に腰掛け、あと2人の到着を待った。
夕暮れに差し掛かった頃、逆光で暗くなった2つの人影が近づいてくるのが見えた。いつもの束子頭と、彼より頭2つぐらい低い背丈の影——。
「子供か?」
私は思わず呟いた。取り敢えず束子頭に向かって右手を挙げ、軽く挨拶をする。すると向こうも右手を挙げて返してきたが、子供の方は何の反応も示さなかった。当然と言えば当然か。初対面の人間を警戒するのは正しい。お互いの顔が認識でき、言葉を交わそうとしたタイミングで各々の受信機に指揮官からの通信が入る。昔よりは幾分、穏和になった声音で。
「皆、集まってくれて有難う。君達のおかげで本日も作戦が遂行できる」
指揮官はいつもこの腰の低い挨拶から始める。私はこれを、自らの音楽を聴きに来てくれた数少ない客に挨拶するようだといつも思っていた。そこに売れないバンドマンの名残を見るようで私は好きなのだが。指揮官は続ける。
「其処から北北東に約 8km 進んだ先に数十人ほどの小さな集落がある。元は我々の民族が慎ましく暮らしていた土地だ。今夜、其処を奪還する。集落に住まう者を一人残らず殲滅せよ」
殲滅戦——たいして考えなくて済むので好きだった。動くものはすべて斬り捨てればいい。そう思うと無意識に歪んだ笑みがこぼれてしまい、新入り君に見られては印象が悪くなるとふと我に返り、不自然にならない程度に顔を背けた。指揮官は「但し」と言っていつもの台詞を付け加える。
「逃げる者は追うな。残る者を殺せ。 作戦開始はこれより400分後。2分前に通信を再開する」
そう言って、通信は終了した。
私達は顔を見合わせる。400分後とは、まだかなりの時間がある。真夜中の作戦にもかかわらず、かなり早く召集をかけられたものだ。疑問ではあったが、こちらから質問を投げかける事は不可能だ。指揮官からの通信は直接我々の脳内に響くが、こちらの発言を拾う器械は存在しない。演奏者一人の都合を、オーケストラの指揮者が拾わないのと同じだ。我々は指揮についていくしかない。
答えが得られない以上考えても無駄なので、私はステージに腰掛けたまま外套の内側からハーブを取り出し火を点けた。B.B. も同様の考えだったのか、私に「背中を借りたい」と言ってステージに上がり、私の背中を背もたれにして仮眠をとり始めた。2人で任務にあたっている時、仮眠をとる際にはいつもこうしているのだ。眠るとはいえ最低限の警戒を怠る事はないから、後ろ半分の警戒を緩めてもよくなった私は、傍にまだ突っ立っている少年にステージに座るよう左手で促した。そして柄にもなく、できるだけ柔らかな口調で問いかける。
「名前は?」
口に出してみて、たいして柔らかくなっていなかった事に気がつく。不器用なのだから仕方がない。早々に諦めて彼を観察する。歳は14、5だろうか。私の初陣の時と同じ年頃に見える。彼は、私の顔を見ることなく、足元の地面を見つめて「Azaya です」と名乗った。B.B. とは違って嘘はついていなさそうに見えた。だから私も、彼の名前に雰囲気を合わせて Reyna と名乗っておいた。後ろの奴が鼻で笑った気もしたが、気にせず話を続けることにする。
「初任務か?」
「はい」
B.B. と一緒に来たのだから彼とは何か話していたのだろうけれど、緊張しているのか馴れ合いを嫌う質なのか私が気に食わないのか、必要以上には話そうとしない。が、それはこちらも同じかと気づき、譲歩する。
「今回は殲滅戦だ。動くものはすべて斬り捨てればいい。指揮官の音楽は好きだろう?音楽に身を委ね、歌詞に感情を乗せ、自由に暴れればいい」
と言った後で説教臭かったかなと自己嫌悪に陥る。それを誤魔化すべくハーブの煙を深く吸い込んだ。彼は静かに「はい」と答えただけだった。その不愛想な態度は不安からくるものなのか何か鬱屈した不満を抱えているのか、この短時間では判断がつかない。自分が彼の年齢だった頃は……まぁ、不満だらけだったな、と思い、少し過去に思いを馳せると不意に「それは美味しいのですか」と訊かれた。一瞬、何の事かと彼を見ると、彼は初めて私の方に顔を向けていた。視線は私の右手に注がれている。
「あぁ、これか。美味しくは……ないかな。匂いが好きなんだ。服や髪に染み着くこの匂いが」
そう言って改めてハーブを吹かした。B.B. が眠りに落ちたのを、背中から伝わる僅かな呼吸の違いで感じる。
「いい匂いですね」
そう言った彼は既に私の方は見ておらず、遠い目で地平を見つめていた。何を考えているのかわからない子供だな、と思ったが、彼にしかわからない、もしくは明かしたくない何かがあるのだろうと思い、放っておく事にした。私も同じ類の人間だから。
そうしてしばしの間、2人で地平や空を眺め、ゆるゆると時間を潰した。
空は次第に日没を迎え、蒼昏い夜の空に燃えるような赤い雲が入り混じっていた。
陽は沈んだがまだ夜目がきく程度の闇になったところで、Azaya は「僕はそろそろ行きます」と言い、闇の中に消えた。私は右手を上げて見送った。
5分後、「じゃあ俺も行くわ」と言って B.B. が立ち上がる。私は「了解」と返事をし、見送ることはなく、ただ足音が遠ざかるのを聞いた。B.B. は、あの少年を見守りながら現地へ行くつもりだろう。そういう配慮が自然とできるあたりが意外と常識人であり、やや妬ましいところでもある。
背中にかいた汗が夜風で冷やされ、それが何とも心地よい。私は、これから訪れるであろう快楽の絶頂へ向けて、感覚を研ぎ澄まし、憎悪を膨らませる。それはいつまでも頭の中にこびりつく屈辱の記憶。毎夜感じていた肌の不快感、広場で受けた理不尽な暴力、私を封殺しようとした母の言葉……それらの記憶を呼び覚ます。その記憶は十年以上経った今でも薄れることはなく、当時抱いた感情を生々しく思い出す事ができる。そうやって追体験する事で更に脳に深く刻まれる気もする。私は、戦闘の前にはこれらの記憶を思い返す事をルーティーンにしていた。かつての若々しい暴力的な感情を呼び覚ます。そして気がつけば暴言を呟いている。クソッタレどもめ、どいつもこいつも皆、殺してやる、などと。
しかしその言葉は冷静になれば、意のままにならなかった自分に向けて言っている呪いの言葉だとも思う。私は、かつての私自身を無かった事にしたいのだ。そしてそんな思いを振り払うように、戦場で敵を薙ぎ払っていたのだ。