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小説 花の意志 第6話 再会

翌日から、お母さんはいつもと同じ時刻に家を出て仕事へ行った。
お父さんが亡くなったのはまだ4日前の事。とても立ち直ったとは思えない。
わたしは、いつも通り振る舞うお母さんを見ている方がかえって不安で、心がざわついた。
お母さんが出掛けてしばらくした後、わたしはひとりソファーに座り、鬱々と考えていた。

お父さんを殺した暴力は理不尽極まりないものだった。
どうして人命救助をしている人たちが攻撃されなければならないのか。過激派と呼ばれる人たちの考えが理解できない。
そもそも暴力なんて理解できないものだとお母さんは言っていた。確かにそうなのかもしれない。
もうすでに暴力が身近に存在し、わたし達の生存を脅かすものになっている。花に寄生されるよりも先に、同じ人間によって殺される――。
『みんな、争いと暴力ばかり。昔から人間はそうだった。何も変わっていない』
そう言ったお姉ちゃんの言葉を思い出す。お姉ちゃんには既にこの状況が見えていたのだろうか……。
それを確かめる術もないまま、もう二度と会えないかもしれないという不安で、わたしは失意の底に沈んだ。

気がつくとわたしは、灰色の景色の中に居た。
建物も空も地面も灰色。灰色の砂煙が舞い上がる廃工場の一角に、わたしは立っていた。
工場の壁には、背の高さをゆうに超える鉄板や鉄パイプが乱雑に立て掛けられ、僅かな振動でもあればすぐに崩れてしまいそうだった。
周囲を注意深く観察しながら、わたしは静かに歩き始めた。
少し先に灰色のガラクタの山が見える。大量の鉄の廃材がうず高く積み上げられ、その麓には人影が見えた。
廃材の山を背にして力無く座っている、その姿には見覚えがある。
「お姉ちゃん!」
わたしは崩れそうな鉄板などの存在を忘れて駆け寄った。
「お姉ちゃん!!」
もう一度呼び掛けてその場にかがみ、虚空を見つめるお姉ちゃんの両腕に触れる。
お姉ちゃんの服は酷く傷んでおり、殆どの肌が露出していた。そしてその肌は、血や脂で赤く鈍い光沢を放っている。でもその身体はまだ温かかった。
お姉ちゃんがわたしに気づく。わたしの顔に視線を合わせて、
「あぁ……サナ……来たの……」
と弱々しく言った。確かにお姉ちゃんは自分の口でそう言った。
だけど次の瞬間、お姉ちゃんの首を赤い線が横切った。
その線を境に上下の位置がずれ始め、お姉ちゃんの首は胴体から滑り落ち、重々しく地面に落ちるのを見たところで絶叫と共に飛び起きた――。

全身に嫌な汗をかいていた。見開いた目からは涙が流れていた。嫌な夢だ。
鉄棒で頭を打ったかのように頭痛と耳鳴りがしていた。しばらくの間、その場から動けなかった。
………

――しかしその日の夜、お母さんから奇跡のような知らせを受けた。
お姉ちゃんが救助されて、都市部の或る病院に搬送されたらしい。
右脚に深い切り傷を負い、左手首には花が咲いた状態で運ばれてきたそうだ。
手術で右脚の傷の縫合はしたそうだが、左手首の花は特殊な治療が必要という事で、今お姉ちゃんは隔離病棟にいるらしい。
意識はまだ回復していないという。
だからしばらく面会はできないが、通常なら10日もあれば、人体と花を切り離すことができるという事だった。

わたしは安堵した。これでもう何も心配する事は無い。
わたしは、お姉ちゃんと再会できる日を心待ちにした。

数日後、搬送先の病院からの連絡を受け、わたしとお母さんは一緒に病院へ向かった。
その病院の周辺は治安が悪化しているらしく、わたし達は車で、定められたルートを通って会いに行った。
病室ではお姉ちゃんが静かに眠っており、右脚と左手首には包帯が巻かれていた。右脚の傷は、太腿から足首までを縦に裂くように傷ついており、誰かが故意に刃物で切りつけたようだと担当医は言っていた。
わたしは胸が痛んだ。だってきっと、下界のクソ野郎に傷つけられたに違いないから。
お母さんは、お姉ちゃんの額に頬に手を触れ、「良かった」と溜息を洩らした。

その日、お姉ちゃんの意識が回復する事はないまま夜になり、お母さんは一度家に戻る事となった。次の日も仕事があるのだから仕方がない。お姉ちゃんと同じ症状の、他の人を助ける仕事が。
わたしは、お姉ちゃんの傍に残る事にした。お姉ちゃんの目が覚めるまで近くに居たかったから。
わたしは、ベッドの傍の椅子に腰かけ、お姉ちゃんが居ない間に起きた出来事を思い返しながら、ただひたすらに意識の回復を待った。

翌朝、窓から白い光が射し込んできた頃、お姉ちゃんはゆっくりと薄目を開けた。
わたしはすぐにでも声をかけたくなったが、まだ意識がはっきりしない様子だったから、静かに見守っていた。
お姉ちゃんは、天井をひと通り見回した後、わたしに気づいたようだ。
「…………サナ?」
か細い声でお姉ちゃんは言う。よかった。記憶は失っていなかった。
「おかえり。お姉ちゃん」
お姉ちゃんと再び会話をする事ができた喜びで胸がいっぱいになり、自然と涙がこぼれていた。

お姉ちゃんは寝たままの姿勢で自身の左手首を目線の先へ挙げ、霞む目を凝らして確認するように言った。
「私は人間に戻ったのね」
そう言うお姉ちゃんの表情は寂しそうで、目には力が入っていなかった。
それを見てわたしは確信した。
「そうだよ。お姉ちゃんが……嫌悪している人間にね」
お姉ちゃんは目を丸くしてわたしを見た。少しの間を置いて、わたしは訊く。
「お姉ちゃんは、花になりたかったの?」
お姉ちゃんは、わたしの意図を探るようにじっと目を見つめた後、ふっと目を逸らし、窓の方を見ながら、そうだと言った。


館長さんの話、覚えてる?
花が蔓延すると共に、何故か花に関係のないところでも暴力事件が増えてるって話。
私は、どうしてそんな事が起きているのか知りたかった。何故なら、それに巻き込まれたくなかったから。
いつも思っていたの。人間はどうして争いばかりするのだろうって。歴史を見ても争いばかり。どうして同じ人間同士で殺し合うのだろうって。
だから、色んな本を読んだ。答えは見つからなくても、何かヒントになるものが得られるかもしれないと思ったから。
結果、思ったのは、人間は愚かな生き物だという事。生物として欠陥があるとすら思えた。
ある本によると、同種同士で殺し合うのは社会性を持っているからだと書かれていた。人間は進化したが故に殺し合うようになった。だとするとこの先もそれは変わらない。
私は人間の生き方に失望した。そんな人間社会に巻き込まれたくなかった。みんな社会性など捨てて、誰もが自分が生きることだけに専念すればいいのにと思った。
誰もが、自分が生きることのみに専念する方が、生物として健全だと思うの。その結果、弱肉強食が起こり淘汰が行われる。それが自然。
私は、花の生き方に憧れた。僅かな隙間を見つけてどこにでも根を張る。地上が砂漠になれば、人間を苗床にする。恐ろしい進化を遂げた花。
それが、真の強さだと思った。


「寄生されてわかったの。花は人間との共生を望んでいる。苗床が無くなれば、花も生きてはいけないから」
花が人間との共生を望んでいる?わたしにはふざけた発想にしか思えなかった。
「そんなの共生なんかじゃない。人間は動けなくなって自我も失うんだから、それは人としては死と同じじゃないの?花に身体を明け渡してるだけだよ」
お姉ちゃんは目を細めて言う。憐れむように、蔑むように。
「花になってしまえば個体としての意識や肉体は重要ではなくなるの。大事なのは種として繁栄すること。個体は幾ら摘まれても、種として生存できればいい。それがこの花のたった一つの意志」
「……お姉ちゃんの言っている事は、わたしには理解できないよ」
「そうだね。人間は個体の意志が強すぎるから、わからないと思う」
――いや、違う。そんな事じゃない。もっとシンプルな事。
「違う。お姉ちゃんは間違ってるよ。人間に生まれたのだから、人間として生き抜くべきなんだよ」
わたしは、お母さんがそうしていたように、ベッドに寝ているお姉ちゃんの前髪を、頬を優しく撫でた。まるで、愛らしい子供に接するかのように。
お父さんのように遺体となってではなく、生身の肉体をもって戻ってきたお姉ちゃんがとても愛おしいのだ。
お姉ちゃんはその事を知らない。個人の存在がどれほど愛おしいかを。
「お姉ちゃんはもっと自分を大事にした方がいいよ。自分の身体も、その意識も。お姉ちゃんは世の中を俯瞰して見ようとして、自分の目の前の事が見えなくなっているの。わたしが、どれほどお姉ちゃんを大事に思っているかもわからないんでしょう?」
気づけばわたしの左目からは涙が流れていた。

お姉ちゃんはしばらく沈黙した後、わたしの左頬にそっと触れて言った。
「ごめんね、サナ。サナの事は好きだよ。だけど……誰かを大事に思う事は、その人を仲間だと思う事。仲間を作る事は、仲間になれない人を敵視する事もある。その連鎖で争い事は止まない。最初は純粋な思いもいつの間にか暴力の渦になり、それは濁流のようにあらゆるものを呑み込んでしまう。私は、そんなものに呑み込まれたくはないの。……だからサナも、私に構わず、自分が生きる事のみに専念してほしい」
――わたしの思いは伝わったかもしれない。だけどそれ以上にお姉ちゃんの意志は固く、わたしには崩せない事を悟った。
これ以上は返す言葉も思い浮かばず、お母さんに連絡すると言って、わたしは一旦病室を出た。
胸が、苦しかった。

お姉ちゃんの意識が戻ったことをお母さんに連絡し、再び病室に戻ると、お姉ちゃんの姿は消えていた。
ベッドは空っぽになり、窓が開け放たれている。まさか窓から出て行ったのだろうか。幸か不幸か、此処は1階だった。
さっきの話の後だ。すぐに追いかけようという気にはなれなかった。
だけど、この周辺は治安が悪いらしい事をわたしは知っている。

わたしは、
 ・お姉ちゃんを追いかける事にした。
  → 第7話 a. 人間 へ

 ・お姉ちゃんを追わない事にした。
  → 第7話 b. 自我 へ


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