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小説 舞闘の音 第一幕(一)

【あらすじ】
音楽は耳から体内に侵入し、あらゆる臓器に作用する——此処では音楽によって士気を高められた兵士が、両刃を仕込んだ義手を武器に戦場で舞っていた。
指揮官の鳴らす音楽に心酔していた私は、音楽に侵され敵を切り裂く行為にこの上ない快楽を得ていたが、自らが築いた屍の中に若すぎる母子の死体を見つけ、思いがけず憐憫の情を抱いてしまう。
これは正義なのか。迷い始めた私に同期の仲間は忠告する。迷ったら死ぬぞ、と。
これは、闘いの果てに自らの正義で生きる決意をする、或る一人の女の物語。

此処は砂漠。砂漠の上に建つ都市。
抜けるような青空の下、地平線の彼方まで黄金色の巨大な砂山が広がっている。
太陽の光を燦々と浴び、すべての生き物を等しく淘汰する潔癖で眩しい大量の砂たちは、この街に近づくにつれて徐々に灰味を帯びてくすみ、燃え殻や鉄屑の入り交じった産業廃棄物の砂と化してゆく。
その砂塵の上に石畳を敷き、煉瓦を組み、コンクリートを塗り固めて人々は生活の場を造っていた。灰色の砂煙が舞う中、防塵の布を頭から被り、できる限り肌を露出せぬようにして生活する。作物に付いた灰を丁寧に拭い、汚れた水も何とかして飲まんとする一方で、彼方に見える工場地帯からは濛々と灰煙が立ち上っている——そんな景色を私は今、通信塔中腹の見晴台から眺めていた。縦横無尽に吹き荒ぶ乾燥した風に煽られ、長く伸ばした黒髪が、後ろで束ねているのにギシギシと絡まってゆくのがわかる。風砂から肌を護るための外套も、パタパタと激しく翻っていた。間違いなく髪にも肌にも良くないのだけれど、私は此処からの景色が好きで、時折訪れてはお気に入りのハーブを吸いながら、小一時間はゆるゆると休息をとる。この景色を見ていると、死の世界は均質で美しく、生きるとは汚れるものなのだと安心する。
ガントレットの様に硬くて黒い義手で、紙に巻いたハーブを手に取る。この義手とはもう十年以上の付き合いで、昔は力加減を誤ってハーブもよく粉々にしてしまったものだけれど、今ではとても愛おしい。手の甲には両刃が仕込まれていて、有事の際にはそれを突き出して舞えば、敵の首を落とす事だってできる。そうやって私は、兵士を職業としていた。望んでなったわけではないのだけれど。
——と、そこに一人の男がやって来る。彼は同期で、私が此処でくつろいでいると、時々現れる。
風音に紛れていても足音は判別できるたちなので、私は見向きもせず無視を決め込むのだが、彼はいつも馴れ馴れしく、至近距離に近づいては私と同じく硬い義手で私の左肩を掴む。そして耳元で「なぁ」と言うので、仕方なく顔を向けてやる。
彼の意図はわかっている。いつもの事だから。私達は唇を許す仲だった。
最初は薄い花弁を食むように。しかしそれは次第に熱を帯び、やがて彼の肺に染み着いたハーブの味を感じるほどに深くなる。
その味が私には苦すぎて、急に目が醒め熱が冷めたところで、薄目を開けて彼の顔を覗き見る。すると彼はいつも、妙に切ない顔をしている。それは多分、私を通して別の誰かに想いを馳せているのだろう……例えば、叶わなかった初恋の相手とか、亡くしてしまった元恋人とか――などと考えているうちに、彼の方も違和感に気づき、ゆっくりと唇を離す。
私は何にも気づかなかった振りをして、できるだけ綺麗な瞳で彼の目を見るが、彼は視線を逸らし「邪魔したな」などと詫びの言葉を入れ、潔く去ってゆく。満足しなかったのかもしれないが、去る者を追う必要はない。
私は再び前を向いて元の景色を眺め、彼の足音が聞こえなくなった頃に、火を点けたまま右手に持っていたハーブを吸い直す。彼がどんな人間かはよく知らないし、私も自分を明かしていない。ただ手近な存在だったから。お互いにその程度だろう。いざとなれば人の首を片腕で絞め上げるほどの腕力を持つ女を恋人にしようとは思わない筈。だから言うなればこれは……ハーブの次に好きな嗜好品のひとつ——。
とその時、指揮官から召集の無線連絡が入った。私の両側頭に埋め込まれた受信機が、耳の鼓膜を介さずに音声を伝達する。指揮官の声音は低く心地よく、洗練された言葉で指示事項を伝達する。それはまるで歌うように。そう、指揮官の本職は音楽。音楽で兵士を鼓舞し、戦場で舞闘させる。私は、指揮官が鳴らす音楽に心酔していた。その指揮官からの召集――。
私はハーブの火を揉み消し、心が弾む思いで召集場所へ向かった。

指揮官の音楽と出会ったのは15歳の頃。私は、今や眼下に見下ろす灰色の街で、鬱屈した毎日を送っていた。
当時はその街に2つの民族が共生していた。強烈な日差しにも負けぬ小麦色の肌を持ち、強靭で活発に行動する民族と、日差しや砂塵から身を護るため、頭から布を被って日陰で生活する繊細な民族。私は後者に属していた。その中でも私は特に肌が弱かった。乾いた風で皮膚は裂け、夜には虫が這うような痒みに襲われる。身体の至る所に自らの爪で掻きむしった傷がつき、そんな身体を他人の目に晒すのが嫌で、布の下には包帯を巻いて生活をしていた。私は、意のままにならない自分の身体を呪った。この苦しみを誰とも分かち合えず、孤独を感じていた。
そんな或る日、或る広場の片隅で、私と同じぐらいの歳の女の子が踊っているのを見かけた。灰色の石畳の上、照りつける陽光を目一杯浴び、小麦色の首筋には汗が宝石のように輝いている。露出の多い服装をしていて、上半身は殆ど下着と見紛うほどの布しか着けていないが、その色は晴天の空のような青色で、不思議な清々しさがあった。下半身も同じく空色で、丈の長い裾広がりの衣服を着用し、舞うたびに裾が華やかに広がる。手指の先には巨大な深紅の花弁を挟み、それを扇のように翻して舞い踊っていた。
美しいと思った。既に何人かの子供や大人たちが彼女に見惚れていて、私もその中に加わった。同じ年頃の彼女に勝手に親しみを感じ、できれば友達になりたいと思った。すると彼女と目が合ったのだ。彼女はそれ以降、私の方を見つめて舞った。まるで私を誘うように。
私は引き寄せられるようにして近づき、彼女が差し伸べた手を取った。彼女は、灰色の重苦しい布の下から覗く包帯でぐるぐる巻きになった私の手を取り、手首のあたりからおもむろに包帯を引き剥がす。露わになった薄い皮膚に陽光が滲みた。
「待って」
彼女の行為は唐突で、私は困惑しながら思わず手を引っ込めた。すると彼女は、
「女の子は肌を出さないと美しくないわ」
と異様に冷たい目でそう言い放ち、私の首元の留め具を平然と引き千切る。私の全身を覆う布はするりと頭から肩を滑り落ち、地面に溜まった。布の下に麻のワンピースを着ていた私は、彼女の前では酷くみすぼらしく見える。強烈な日差しが照りつけ、まるで火に炙られているような痛みを感じた。彼女はそのまま私の胸元の生地を掴み、なおも引き裂こうとするから、私は彼女の両手首を掴んで、
「やめて、お願い。私は貴女とは違うの」
私は貴女とは違って肌が弱いの、そう言ったつもりだった。すると彼女はその美しさに似合わぬ酷く下卑た笑みを浮かべて、
「そんなの、見れば判るよ」
と言い、より強い力で今度は私の首根を押さえつける。彼女の背は高く、体重をかけて私をその場に跪かせようとする。首を絞められた私は反射的に彼女の腕を掴み、爪を立てた。彼女の腕は思いのほか筋肉質で皮膚も厚く、全く歯が立たない。
「やめて、放して」と言いたかったが、喉を押さえつけられて言葉にならず、呻き声ばかりを漏らしていると
「きちんと言ってくれないと解らないわ」
彼女はそう言って、可笑しそうに嗤った。
苦しさが怒りに昇華し、なりふり構わず振り解こうとした瞬間、腹に重い衝撃を受けた。一瞬、息ができなくなり、胃の中を掻き回されたような気持ち悪さが込み上げる。脂汗が噴き出し、腹の底から湧き上がる低い声と共に僅かな胃液を吐いた。数秒遅れて萎み切った肺が勝手に酸素を吸い始める。吸い込みすぎて咽せかえった。涙で霞む目を凝らすと、彼女は右脚の裾をはたいていた。まるで汚れを落とすかのように。そして、害虫を見るような目つきで私を見下ろし、鼻で嗤って立ち去った。さっきまで一緒に彼女に見惚れていた子供や大人たちも、彼女と同じ目で私を一瞥し、目を細めてくすくすと嗤いながら立ち去った。
彼女の豹変ぶりに頭の整理が追いつかなかった。感情も追いついていなかった。ただ涙だけが流れ、身体を起こすとぽたぽたと赤い雫が地面に落ちた。一瞬、血の涙を流しているのかと思って顔を触ったが、何の事はない、鼻血だった。

半ば茫然と家に帰り、母親にこの事を話すと母は「お前が悪い」と一蹴した。「あの広場は異民族の溜まり場で、ひとりで行ったお前に落ち度がある。そんな事は常識」だと。信じられない思いだった。身体の痛みよりもその言葉に一番傷ついた。そんな風に言われるとは露ほども思わず、本当に、全くもって信じられなかった。
常識と言うならば、どうして私は知らなかったのか。どうして誰も教えてくれなかったのか。私が……母の話を軽視して聞き逃してしまったのだろうか…………いや、そもそも本当に常識と言えるのか。私以外の皆は本当に知っている事なのか。もしそうだったとしても、其処で傷つけられた事は仕方がない事なの?自業自得だとでも言いたいの?そう思うと理不尽さと悔しさで涙が溢れてきた。本当に、そうなの——?答えの出ない問いが頭の中を堂々巡りする。
この時1ミリでも私の事を心配してくれたなら、私は良い子でいられたかもしれない。

それから数日の間、悶々とした気持ちを抱えながら家の中に引き籠っていると、母には怠けているように見えたのか、私に僅かな金銭を握らせ、食事の買い出しに行くように言いつけた。この時の私は自分の気持ちを上手く言語化できず、なのにわかってくれない母に苛立ちを募らせるばかりで、何となく悔しくて惨めな思いだけが心の中に溜まっていた。
家を出た私は、己の無力さにしくしくと泣きながら商店街に向かう。屋台が建ち並び、人々がそれぞれ思い思いの品を手売りする商店街。その片隅に黒い布を頭から被った怪しい男がひとり、地べたに座り込んで六弦の楽器を右脇に抱え、驟雨を奏でるように掻き鳴らしているのが目に留まった。口元しか見えず、表情がよくわからないその男は、独り言を呟くように歌っている。独りの世界に入り込んでいて、人の往来で騒がしい中、男を目に留める人は誰もいない。だけど私はその独特の雰囲気に、警戒心と共に興味を抱いた。荒んでいた私には妙に魅力的に見えたのだ。男の演奏は次第に速く乱暴になり、歌もまるで暴言を吐くかのような調子に変わる。そして辛うじて聞き取れたその歌詞に、私は一瞬にして心奪われた。
 自らの傷を愛せ
 屈辱を両腕に込め 敵を切り裂け
 母や父に癒やしを乞うな
 圧倒しろ 薙ぎ倒せ
動悸がして、身体が熱を帯びていくのがわかった。攻撃的で暴力的な言葉の数々。だけどそこに僅かな慰めも感じる。これこそが私の欲していた言葉のように思った。全身から汗が吹き出し、力がみなぎってくる気さえする。男は自分自身の傷や屈辱を歌っているようだったが、私は十分に共感した。心を射抜かれたような思いだった。恋に落ちたと思った。
この男が、今の私の指揮官だ。

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