常識的に振る舞う...とは?
私はつねづね常識的に振る舞える人間でありたいと思っている
何故そのように思うのか?
何故なら自分がどうも逸脱しがちな人間だから
幼い頃から他人と足並みを揃えるのが苦手
空気を読むのが苦手
わからない事、納得がいかない事をなんとなくやり過ごす事が苦手
そんなだから、非常識で図々しい人間と思われているんじゃないか?という自意識が強くて
何処にいても違和感
他人との距離感が掴めず、居心地が悪く疲れる
言葉を発する事も行動する事も怖くて足がすくむ
怯えて過ごしているにも関わらず、体格のせいか、顔つきのせいか?迫力が増したらしく、威圧感がありありだったようで
誤解されて更に傷心した経験多数
斜に構えて思春期を過ごした
大学生になり、地元も今までの自分も捨ててやる!と意気込んで都会の学生生活を追求する日々
概ねバブル時代の女子大生らしく楽しく過ごせたと思う(ただし、バイトもいっぱいして自分の稼いだお金で遊んでた)
私の人生のキラキラした青春
時代に乗っただけだろうと、若い女という理由だけだろうと、勘違いや調子に乗っただけだろうと
一度でもそんな経験が出来て、そんなに自己否定する必要もないじゃない!?って思えるようになった
意識によっていろいろな物事の見え方、感じ方も変化する
多少なりとも自己肯定感を持てると、余計な雑念に囚われず冷静な判断も出来る
周りを見まわしてみると
全く自分本意で非常識にも関わらず、意に介さない人も結構いる
ただ目立たないだけで、実は欠落した人、なんていっぱい存在する
しかも
時代や環境で、その時の常識はいとも簡単に非常識になる
そんな事が見えてくると
常識的に振る舞うとは、いかにTPOをわきまえる状況判断が出来るか?という事のように思う
不本意な事を受け入れる、とも違う
周りの顔色伺って忖度する、とも違う
その時々の場面を俯瞰してみてさりげなく対処する、とでもいうか
悪目立ちせず風景に溶け込む、とでもいうか
と思うけれど
なかなかね〜意識ほど自ら変える事は難しいのよね〜
あるがままの自分で、自然に他人と同調出来て過ごせたらいいんだけれどね〜
ついつい自己顕示欲が芽生えたりするのよね〜
サービス業に携わったのは、学生時代のバイトが最初
斜に構えて自己表現が上手く出来なかった私は、接客業なら訓練も出来るだろうと踏んで飛び込んだ
図らずも社会人になっても販売職になり、社会の経験がほとんど人に関わるもので
表面上のコミュニケーションスキルは上がった
だいぶ気負わずその場をやり過ごす事も出来るようにもなったと思う(それどころか、場の雰囲気作りまで気をまわす成長ぶり)
なんだけど、人の本質なんてそんな簡単に変わらない
接客業を長く経験して、人に多く触れて、自分の本質もわかってきて
変わろうとするより、自分を受け入れて自分なりの方法で他人と付き合うしかない
何故なら、人間社会に存在する限り、他人と関わらずに生活出来ないのだから
どうしようもなく揺るがない自分がいるのだから
という事で!
気軽に誘えたり話したりする気心知れた友達が少ない自分が、時々寂しく感じるけれど
感性や気の合わない他人とプライベートまで一緒に過ごす方が辛い自分を自覚して
けれども、TPOはわきまえて、せめて他人を不快な気持ちにさせない行動を心がける
今目の前の常識が絶対的でも、すべての人の共通認識でもない
ただそこで大多数の人がそれをルール、という認識ならば
汲み取る感覚は持ち合わせていたほうがいい
自分のパーソナルを理解していれば
それもそんなに苦痛じゃないし、自分を守るテクニックの一つだと思うから
"意識を変えれば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる ヒンドゥ教典より"
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