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私は男の子でした

何年か振りに映画『チョコレートドーナツ』を見ました。原題は『Any Day Now』です。

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舞台は1970年代、ゲイのカップルが養子をもらうことの難しさを描いています。

裁判所ですら彼らが同性愛者というだけで理不尽な言い掛かりをし、法律を完全に無視して偏見だけでモノを言います。

今日はこの映画の感想というよりかは、私がLGBTQ+の人々についてどう感じているかを note したいです。こちらの映画は本当に素晴らしいですし、もっと多くの日本人に見てもらいたいです。


正直、欧米の文化に触れる前には同性愛者や性同一性障がいについてあまりよく知らなかったですし、お恥ずかしながらそういうのは病気だと思っていました。

メディアでは『障がい』なんて言葉を付けるものですから、簡単にそう信じてしまいます。

しかし、LGBTQ+のことを調べていくうちに、私にもその気質が過去にあったことを思い出しました。

小学2年生〜5年生まで、なんと私は男の子用の服を着ていたのです。自分は女みたいな格好はしない。男になりたいって思っていました。今でも短いスカートは履きません。着てもワンピースぐらいです。

家族と出かければ『ボク』なんて呼ばれ。やった!男の子に見えてるんだ!と喜びさえ感じました。

なぜそうなったかは全く覚えていませんが、男の子の服に惹かれていました。サッカークラブに入っていたので、男の子に囲まれていたのもひとつの理由かもしれません。

ただ、このトランスジェンダーは幼い頃に一時的になりやすいなんて記事も読みました。女の子に戻ったのはハンナ・モンタナの影響です(笑)キラキラ、カラフルメイク、ポップスター、恋愛…自分もハンナになりたい!と思ったのがきっかけです。

男の子の服を欲しがっても、親はむしろ喜んでいました。ふたりとも女の子の双子だったし、男の子が欲しかったのかもしれない。

ただ、もう少し大人になってもあんな感じだったら?どこまで受け入れてくれたんだろうと少し怖くなります。

ニュースでゲイやレズビアンのカップルが特集されると昔、父親は『気持ち悪い』『病気だ』などと言っていました。

でも……もし好きになった人がたまたま同じ性別の人だったら?好きな人と結婚してはいけないとか、あなたは病気と言われたら?

そんなこと言うなら、何十歳も歳の離れた人を好きになる人だっているし、ロリコンもいるし、親戚を好きになる人もいる。

今ではLGBTQ+が病気なんかじゃないって分かりますし、世の中の偏見を無くしたい。

ゲイやレズビアンだからって、ただ愛した人が同じ性別なだけで、ふたりの人間であることにみんなとなんら変わりない。

同じ性別だから結婚できないのもおかしい。子供を産むことが結婚の意味じゃない。子供を望まない異性のカップルがどれだけ多いか。映画みたいに養子をもらうカップルもいる。それは異性、同性は関係ない。

男女格差や人種問題が挙げられているけど、無意識の偏見や差別が多過ぎる。こんなんじゃ何も問題解決にならない。同性婚を当たり前にしないと。何か異議がある人?!

好きになっちゃったんだもん、それをどうしろと?

またトランスジェンダーについても。『障がい』なんて言葉を使う時点でもう偏見の塊です。

もうその人が男でも女でも関係ない世の中になってほしい。それにはメディアの力が必要です。もう時代は変わっているんだから、追いついて。

どうしてただでさえ悩んでいる人々にメディアはさらに追い討ちかけろと言うのか。そっちの方が病気じゃない?ただの無知で意地悪だよ、そんなのは。

知らないって怖い。知らないって恥ずかしい。

でも、実際にゲイの友達を持って知ったこともたくさんある。彼らから教えてもらったことは、彼らと出会わなかったら一生知らなかった。

かつてLGBTQ+を病気だと思っていた自分が憎いし、恥ずかしい。でも言い訳させてもらうと、メディアにそう思い込まされてた。

自分だってその一部だったのに。他人事ではなかった。

もし子供を持つ日が来たら。性別や人種という概念をどうにか追い払って育てたい。女の子だから〜、男の子なんだから〜、そんなのは間違ってる!

その子がどんな子になったって愛するし、『個性』を大切にしてあげたい。私はいわゆる男性が好きだけど、それはただの偶然。

人を好きになるのに苦しまないといけないLGBTQ+の人々の味方であり続けます。

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