自己肯定感との戦い:米国女子100mハードル、ラッセル・マサイ
チームスポーツと比べて個人スポーツは、勝敗の責任の所在がはっきりしている分、負けた時の敗北感が大きいのではないかと思う。
「ああしていれば、こうしていたら」と振り返らない選手はいないだろう。
米国女子100mハードルのマサイは大学時代から将来を嘱望された選手だが、全米選手権でハードルにぶつけたり、思うような走りができず、層の厚い米国でなかなか代表になることができなかった。
今年3月に世界室内に出場したが4位でメダルを逃すと、「全然自分らしい走りができなかった」としょんぼりしていた。
数日前にものすごくいい動きをしていたので、これはメダルもいけるのでは、と思っていたが、大舞台に緊張してしまったようだ。
ホテルでルームメイトで仲良しのタラ・デイビス・ウッドホールが女子幅跳びで金メダルをとり、その表彰式でマサイは一所懸命写真やビデオを撮っていた。
その横顔は少し寂しそうで複雑なものだった。
表彰式後に声をかけると、思わぬ反応が返ってきた。
「私はここで何も成し遂げられなかった。全然ダメ。自分は何者でもないし、何もできなかった」
陸上の、特に女子選手はこういった言い方をすることが多い。期待されて代表になり、メダルを絶対に取らないといけないというプレッシャーがあるのだろうか。取れなかった選手は「何も成し遂げられなかった人」というように、自然と思ってしまうようだ。誰もそんなことを言わないし、スタッフやコーチの多くは「次があるよ」と思っているにもかかわらず、である。
自虐だったり卑屈な言葉を言うことで、メンタルがそう言う方向に向かってしまう可能性があるのは分かっていても、つい言ってしまうのだろうか。
スポーツをしていると自己肯定感を保つのは本当に大変だ。
ただ過去にもこう言った言葉を選手から何度も何度も耳にしたことがあるので、マサイの頬を両手で挟んでこう伝えた。
「なんでそういうこというの?あなたは素晴らしい選手でしょう。大丈夫。五輪代表になって、あなたはメダルを取ります。だから下を見てないで顔を上げて」
もはや気分はマサイのおばさんかおばあちゃんの気分である。(黒人のおばちゃんたちは応援している選手にこんな感じで接することが多い気がする)
マサイは半べそだ。
「分かった?もう二度とそう言うこと言っちゃダメだよ」
「分かった」
ハグをして別れた。
昨日の予選でマサイは3組目で12秒53の首位通過、全体でも3番目で準決勝進出を果たした。
ミックスゾーンで目が合うと「あっ」とちょっと笑顔になり、「開会式前からフランスにいて、陸上がやっと始まったけど、私の出番まで時間が空いて、『やっと走れる』ってうれしかった。今日は安全に通過するのが目的でその走りができたと思う。ここから精度を上げていきたい」と教えてくれた。
準決勝は厳しい戦いになるけれど、前だけを見て自分を信じて走ってほしい。