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400mハードル:2位のライ・ベンジャミンの涙

 レースを終えたベンジャミンの目は少し赤かった。
「ちょっとだけ泣いた」
 五輪史に残る名勝負、いや死闘となった400mハードル。優勝したノルウェイのカーステン・ワーホルムは45秒94という前人未到の記録を打ち立てた。
 フィニッシュラインをまたぎタイムをみたワーホルムは、叫びながらユニフォームを引き裂いた。一方、観客席の我々は、言葉が出なかった。
 45秒94。
 言葉を失うほど、目の前で起きたことが理解できないようなタイムだった。
 
 胸の差で敗れた米国のライ・ベンジャミンはゴール後、呆然と座り込んだ。彼の記録、46秒17もこれまでの世界記録を0秒53更新するすばらしい記録だった。
「勝ちたかった。タイムよりも勝ちたかった。このレースを受け入れるのは時間がかかる」
 ベンジャミンは声を絞りだした。

 世界記録更新はまちがいなく、世紀の対決になることは五輪前から予想されていた。
 予選、準決勝(2人は奇しくも準決勝で対決した)と順調に駒を進め、臨んだ決勝。ベンジャミンは5レーン、ワーホルムは6レーンに入った。
「最初の3台で速く入って、ライにプレッシャーをかけたかった」とワーホルム。
 一方のベンジャミンは「最初の3台を速く入りすぎて、4台目がつまってハードルにぶつかる可能性があったから、少し刻んでしまった」と悔いる。
 その代償は大きく、そこでワーホルムに離された。必死で追いかけ、少しずつ距離を縮めたが、並ぶことができない。10台目を跳び越えると、ワーホルムは必死に腕を動かし、逃げる。顎が上がっている。必死だ。
 ベンジャミンも最後の力を振り絞って追いかけるが、その差は逆に広がった。
 0秒21の2位。
「数ヶ月前に誰かが俺に『五輪で46秒17で走っても銀メダルしかとれない』って言ったら、ブチ切れて部屋から追い出したと思う」
 ベンジャミンはそう話す。
 レース後、バックスクリーンにレース動画が映し出されると、ベンジャミンは座り込んで、食い入るように見つめていた。テレビのインタビューで、アメリカで応援する家族の姿が映し出されると、ベンジャミンはボロボロと涙をこぼし、「Sorry(ごめんね)」と言いながら、必死で涙を拭った。

「最高の選手が揃って、最高の舞台で、五輪史に残るレースの1人になれたことは光栄だ。でも負けた。レースを見直して、自分の何が悪かったのか、どこが悪かったのか、コーチと話し合わないといけない。つらい会話になると思う」 
 
 ドーハの敗北から23ヶ月。この日のために生きてきた。金メダルのために。
 しかしここで終わるつもりはない。

「4x400mリレーも走るし、来年のユージーンは俺の裏庭だ。この借りは来年返すから」
 
 


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