予祝

私は予祝をするときは『まだ何も変わってない』現状の内にワクワクしてもうそうなっている自分やカズさんに乾杯をします。

何でそんなことをするのか?

それは『もっと』私もカズさんも幸せになっていくと『楽しい』からです。『今』とても幸せいっぱい。でも、『もっと』幸せが広がったら『更にもっと』幸せになりたいと思うようになります。それが『大事』でありいっぱい『幸せ』になっても良いんだーイエーイ🙌と思うと本当にその楽しい事が後から起こります。

これは私のまたお話になるのですが、とあるスーパーの求人を見て一番興味が惹かれるモノが有って何を思ったのか『パン』🍞のスタッフになりたいと思ったんです。

他にも業種は色々あり、レジもあれば、鮮魚も有って、掃除もあります。その時の私はと言うと、まだ離婚調停中の真っ最中であり仕事をしておらずただひたすら『絵』に没頭する日々を送ってました。

まだ祖母👵の死を悲しんだり、喪失感もあり、無気力もあり何もする『気力』がありませんでした。それが近くのスーパーで偶々『あー、これだ!』と思ったらしく何を思ったのか急に『カズさん、私パン職人🍞になる!』って宣言。カズさんは『えっ?』と言うも何でも応援してくれます。私のやりたいことを1番に考えてくれてどんなことも『それは葵ちゃんには出来ないよ』とは決して言いません。

むしろ逆でどんなに私が突拍子のことを言ったとしてもカズさんはただ一言『やってみたらええやん』って言ってくれます。その言葉を聞いた私は『何で反対しないの?』って言っても『反対する理由何処にもないやろ?だって、葵ちゃんがやっとやりたいことを見つけ出して行動出来るのに反対する意味が分からない』って。

あーそうなんだ。そうなんだ。

私は今まで周りの人に反対されたりして自信を失い、やることを否定されたり、周りの目ばかり気にしてたって事に気が付いた瞬間だったのです。

カズさん曰く要するに何でも良いわけなんです。私が何に興味が出てきて何をやりたくなってどうしたらワクワクしたりドキドキしたり毎日笑顔で幸せに過ごしていけるのかって事だけなんです。私が仮に『会社を立ち上げたい』と言ったとしてもカズさんは否定は絶対しないで『どうしてそう思ったの?』と聞いて私は『何かやってみたら楽しいと思ったから』と言うと『ふっ。なんやそれー』とは言いますが、『そう思ったらやってみたらええやん、応援するよ🎵』って。占いしたくなったと言うと『一緒にタロット習おうか?』と言って一緒にタロットの勉強して数えるくらいしか占ったことはないけどそれはそれで『楽しい』と思ったから『行動』してみただけに過ぎません。

ただ一言、『ムッツリはあかんよ(笑)』ってしょっちゅう言われます。

はぁ?って思うと思います。ムッツリスケベのムッツリでは無くて『ムッツリ』=『黙っている』なんです。つまり、『やりたいことを黙っている』とそれは『ムッツリ』です。『ムッツリ』していると応援したくても応援出来ないし、知らぬ間にすれ違いや勘違いや何か『良いことじゃなくてむしろ悪いこと』しか起こりません。

要するに『何でも遠慮せず何でも言って欲しい』って事なんです。私はコミュ障だから『言えない』人だったのです。

何でそもそも『ムッツリ』になってしまったのか?と言うと『出る杭は打たれる』と言う通り、よく『打たれまくられた』のが『ムッツリ』になってしまっただけに過ぎません。色々ありますが、秋田に住んでいて小学生の5年生の頃、私は『部落長』というリーダーみたいな感じで小さい下級生を連れて一緒に登校するって感じで、偶々小学生の1年生の男子があるとき私にこう言ったのです。『学校に行きたくない』って。

私はどうしても部落長として学校に連れて行かないといけないので『どうしてそう思ったの?』って聞きます。そうしたら『だって、学校遠いもん。一時間も歩いて行けないよ』って。私もそれはとてもよく分かりました。私も一年生の時は同じ気持ちでした。

誰よりも家と学校が離れていて一時間も歩いて行けないよって。心が折れそうなのをずっと辛抱して、我慢して、歩き続けるしかないって思ってました。と言うのも『のろま』だったからです。

以前の上級生達は性格が余り良くなかったのか私に石を投げつけて『のろまなんだから、早く歩かないとこっちが遅刻してしまう』って言われました。

そんなこと言われても私は足が確かに速くなかったので、兎に角何度も何度もその『いじめ』に耐えるしかなかったのです。そして帰り道は今度は違う上級生達が通せんぼして帰してくれませんでした。

そしてやっとその『いじめ』から解放されたのは小学生の三年生になって上級生達は卒業して中学生になったからです。兎に角、辛くてもひたすら耐えて耐えて涙も出てもどうしようもなかったのです。

祖母や祖父に言うと心配かけてしまうので兎に角『黙っている』しかなかったのです。家もすぐお隣で祖母が留守にするとお隣に預けられてその上級生達と遊んだり少しの時間を過ごさないといけないという苦痛の時間があるので下手に『いじめられている』と言えなかったのです。

それが今思うと最初の『ムッツリ』でした。しかし、不思議なことに色々な上級生達がいじめして『ムッツリ』しているのにその日のうちに家に親と一緒に訪ねてきて『ごめんなさい』と謝りに来て何かお詫びの品を貰いました。それも1回だけでなく上級生だけではなく同級生にも同じ事が起こりました。

それだけだと大した『いじめ』に至ってないのかもしれないのですが、私にとって『心』の傷がドンドン増えていきました。

なので一年生の男の子をランドセルはお兄ちゃんに持たせて何をしたかというと『いじめ』では無くて『助ける』事をしたのです。『いじめ』とは人を傷付けてもしかしたら一生心のトラウマにしてしまうくらい恐怖を与える行為でありそれは誰しもしてしまうことかもしれません。しかし、私は立場が下の人を『いじめ』をする事は出来なくてむしろ『守る』べき存在だと思ったのです。

なので一年生の男の子をランドセル代わりに背中に背負う事で『いじめ』をしないで一人の男の子を『助ける』事で遅刻してしまう結果にはなったのですが特に咎められる事にはならず『良い行い』をしてたので校長先生は感心して全校生徒を体育館に集合させて私の『良い行い』を全校生徒の前で発表、『葵さんのように皆さんも良い行いをしましょう』と言ってくれたのは良かったのですがそこで『出る杭は打たれる』の言葉通り目立ちすぎる結果になり同級生の反感を買い学年で孤立するようになりました。

それから人目を引く行為をせずに何もしないでいようと思っても中学生になって転校先で歌で先生に褒められて『第二のマライヤキャリー』と言われて下級生に『歌ってください』っとまた目立ってしまいそれ以降もう目立つまいとクラスでひたすら身を隠して籠もるようになりました。

つまり、小さい頃の『心の傷』が私のコミュ障を引き起こし対人恐怖だったり『ムッツリ』にしてしまうように変わっていき『明るすぎる性格』から『かなり暗い性格』に変わっていき『根暗』になっていきました。

例えで言うと明るすぎる性格は『100ワット位の明るさ』でかなり暗い性格は『豆電球』までじぶんを変えてしまったんだなって思いました。

つまりカズさんのお陰で『豆電球』から少しずつワット数が上がっていき今では『100ワット位』の明るさまでに変わりました。カズさんに『元々明るい性格の人なのに何でそんなに暗いんだ?』って逆に疑問を持たれて今思うとその『心の傷』がドンドン、ドンドン自分を暗く暗く根暗にしてしまいそれが人生を更に暗いモノにしてしまったのかもしれません。

話はまた『パン職人🍞』に戻します。

結果を言うとパン職人🍞になれませんでした。とても面白い話ですが『パン』が売れすぎて困ってて人手が足りないって面接で言われたから私はとても真剣にパンの作る仕事をひたすらプレゼン並みの話までしたのに落とされました。何でかと言うと『余計なこと』を言ったにしか過ぎないからです。

周りの目を気にして『今離婚調停中の真っ最中で住所変更が出来なくて社保に入る場合って大丈夫ですか?』と言うような正直者だったので多分ですが、私は『面倒くさい人』と思われたのかもしれません。普通に考えると『ハイリスク』の人を雇うより『ノーリスク』の人を雇った方が良いに決まってるよなぁって思いました。

なので落ち込んでいたらカズさんもドンヨリな雰囲気になってしまってこれはまずいって思って『ひすいこたろう』の本で偶々『予祝』のことが書いてあって、あの有名な『武田鉄矢』が売れない時期があったそうで、お母さんにこんなことを言われたのが『あんたは貧乏神が憑いている。早くお祝いしないといけない』と予祝することになり、結果ブレイクする事が出来たと言う逸話が有ってそれに『あやかりたい』と思ってまねすることにしました。

そうしたら偶々徒歩10分位のデイサービスに転職する事が出来ました。それも正直に事情を説明して理解して貰うことが出来て何とか就職する事が出来ました。

つまり『予祝』する事で全て上手くいきました!

これは使えると味をしめた私はドンドンカズさんと予祝しまくってドンドン『幸せ』にドンドン『豊か』にドンドン『笑顔』が増えてもっともっと『幸せ』になり『幸福度』が上がりました。

そのお陰で何もかもが上手くいき離婚が成立、結婚して妊娠して出産してと『とんとん拍子』に進みました。

今でもとても『幸せ』ですが私はもっともっと『幸せ』になりたいので『予祝の歌』を歌って夢を叶えています。

誰にでも夢は叶います。可能性は無限大。

やるかやらないかだけです。

出来なくても取りあえず『予祝』をしてみると人生はとても大きく変化が起こり、とても『幸せ』なことしか起こらなくなります。

これからも私とカズさんは多くの人に『勇気付け』して色々な人達に救いの手を伸ばして『幸せ』になるお手伝いをしたいと思っています。

それが夢が持てなかった私の『大きな野望であり大きな夢』です。

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