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【2025新春ドラマ】『スロウトレイン』感想|一人では生きていけない私に

ドラマを見て、最初はタイトルに「人は一人では生きていけない」と書いていた。でも、「人は」は主語が大きすぎるなと思って消した。そして、主語は「私は」だと気づいた。

ドラマのあらすじ

鎌倉に住む葉子(松たか子)、都子(多部未華子)、潮(松坂桃李)の姉弟は、交通事故で両親と祖母を一度に亡くした。月日は経ち、二十三回忌の法事の帰り道。都子が突然「韓国に行く!」と葉子と潮に告げる。この告白をきっかけに、三者三様の姉弟に、“人生”という旅路の分岐点が訪れる。
それまでの「3人での幸せ」から、「それぞれの幸せ」と向き合っていく葉子、都子、潮――。
そして物語は日本の鎌倉から韓国の釜山へ。
変わりゆく時代の中でも普遍的に在り続ける「家族」を通して、痛快で、ドキドキして、最後には思いっきり笑顔になれる、宝物のような新時代のホームドラマ『スロウトレイン』をどうぞお楽しみに!

新春スペシャルドラマスロウトレイン 公式サイト

感想

私は、人とのつながりを避けて生きてきて、結局身の回りに全然人がいない。そういう生き方をしてきたから、一人ぼっちになっても仕方がない。一人で生きていく覚悟や、一人で生きていく勇気が必要だと、ずっと思っていた。

「人は一人じゃ生きていけないよ」と言ってくれる人だって、いつ私の元からいなくなるかわからないだろう。いなくなったとしてもその人の選択だから、私に引き留める権利はない。いなくなりたいと思わせるだけ、私にはたくさん理由がある。私だって、私自身から離れてしまいたいときが、幾度もあるのだから。

そう思って、心のどこかに、ずっと「一人でも生きていけるようにならなければ」と考えていた。

でも、ドラマを見て、「一人でも生きていける」という人は、一人じゃないから言えるのだというようなセリフを聞いて、思い当たる節があった。

私も、完全に一人ぼっちなわけではない。今の自分の生き方だと、いつかきっと一人ぼっちになるだろうから、一人で生きていける覚悟が欲しいと思っていた。一人ぼっちになるような人間だと思っていたから。

だけど、一人になることを覚悟や勇気と呼ぶのであれば、本音は「一人になりたくない」だと、「誰かと一緒に生きていきたい」という、私を主語にした気づきが胸に刺さってきた。


自分がやらない理由を、できない理由にして、自分に原因があるように見せて、本当は誰かのせいだと思っていて、でも自分がやらない理由が自分にあるのを一番自分がよくわかっていて。

登場人物の誰かに共感する、というよりも、それぞれの人のそれぞれの姿と心に自分が重なる瞬間があって、そのたびに胸に刺さってくるものがあった。

「一人ぼっちになりたくない」という私の、誰かに見られたくない、恥ずかしいと思ってしまう、気づいていたけど気づかないフリをしていた、自分の本音まで、あらわになってしまった。


だからといって、「人は一人では生きていけないよね」とか、「家族っていいよね」とか、そういう物語だった、とはまとめたくない。「誰かと生きていく」のは家族かもしれないし、恋人かもしれないし、仕事でつながっている人たちかもしれないし、袖振り合うも多生の縁かもしれないし。

でも、帰ってくる場所と、帰ってこられる場所があるということが、幸せなのではないかと感じる。それが現代社会では“家族”という形が多いから“家族”になるし、たしかに家族の物語ではあるけど、決して家族でなくてもいいわけで。

誰かと一緒に帰りたいと思える場所が、私も欲しいと思えた。

私にとっては、そんな物語。

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