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「生きてるだけで、愛。」を観て、「全部ずるい」と思った
深夜に載せるのはなかなかの不毛だとわかりつつもどうしても今載せておきたいので投稿ボタンを押してしまいます。
昨日、ひさしぶりに映画館へ。
ほんとは別件で観たい映画があってそれが上映終了間近だっていうから、慌てて、直近の休日のチケットをネット購入したのだけれども。調子乗って、ついでに気になってた「生きてるだけで、愛。」もポチってしまったってわけ。全くもう、欲張りさんなんだから。
(本命の映画のことはまた今度ゆっくり書くとして)
正直言うと、映画観終わった時の感情なんて言語化するべきではないなと思っているし、批評(レビュー?)とかできないうえに、他人様に「観ろ!」とも言えないので、単にわたしの感想文として読んでくださると、とてもいいですね。中学校で、ことあるごとに書かされるような感想文、くらいの、気持ちで書きます。
【 owabi 】ばりばりのネタバレです。ネタバレ苦手な方はこちらを読まず、ぜひ映画を楽しんでください。
主演
菅田将暉 × 趣里
この最高のタッグ、なんなんでしょうか。なんなんですか、ほんと。もちろん、存分にハアハアしてきました。最近、カラダの線が細いのに二重あごの女がタイプみたいです。すいません性癖です。
あらすじを少々…
生きてるだけで、ほんと疲れる。鬱が招く過眠症のせいで引きこもり状態の寧子と、出版社でゴシップ記事の執筆に明け暮れながら寧子との同棲を続けている津奈木。そこへ津奈木の元カノが現れたことから、寧子は外の世界と関わらざるを得なくなり、二人の関係にも変化が訪れるが……。
HPから引用しました。このHPや、イントロダクションの文章も好きなので、URL貼っておきます。気になったらみてみるといいよ。
http://ikiai.jp/sp/about/index.html
【 ほんの一瞬だけでも、分かり合えたら。 】
キャッチコピー。
一見、なんの変哲も無いようなフレーズですが、劇中でこれに続く言葉が素敵なんですよね。そうなんだよなあ、うんうん。と。わかりあうのはむずかしいね。
【 男のため息ってさ、ねむれなくなるうっとうしさ、あるよね 】
最初の方、寧子は、ぶん殴りたくなるくらいにとことん「めんどくさい女」として描かれていて、でもそれに対して津奈木はたいした反論もせず、二人がどういう関係性なのかだいたい理解できるようになっていました。
寧子は、自分が「めんどくさい女」だっていうことも、津奈木にどれだけめんどくささを振りかざしても許してくれることも、全部わかっていて、ちゃんと、後悔はしてる。でもやっぱりコントロールできなくて、自己嫌悪に浸るばっかり。そんな日々の繰り返し、疲れるよな。
疲れるんすよ。
あ、全然関係ないかもしれないんですが、最近文章と向き合うようになってきた故に、ちょっとグサっときた言葉があって、記しておきます。津奈木に、ゴシップ記事を無理くり任せた上司(?)が放った一言、
【 文学的表現とかいらないから 】
津奈木が出版社に就職した理由に、小説家を夢みていたことがあり、上司が皮肉って言うのですが、かな〜〜〜り刺さりました。小説家を夢みていたような人間が、消費されすぐに忘れられてしまうような文章を日々書くというのは、いったいどういう心情なんだろうか…。タイピングが早くなるというだけで、一ミリも自分の身にはならないだろうな。ああ、しんどい。
個人的には、ラスト30分の疾走感ある流れがすごくおもしろくて、つい、いろんな言葉を書き留めてしまった。
【 生きてるだけで、ほんと疲れる。 】
まさしく。疲れる。
「躁鬱」は、勝手に病んで、勝手に気分良くなって、勝手に頑張りすぎて、勝手に潰れる。自分でもわけわかんないくらい、寝て起きるだけの毎日が、ただただ疲れる。
「鬱病」はだんだんと理解が深まってきているように思えるけれど、どうしても「躁鬱」って、元気な(否、元気に見える)ときがあるから、はたからみれば完璧に「甘え」にしか見えない。それに自分でも「こんなの甘えだ」と思ってしまうのだから、底なし沼。
現実問題、鬱とは縁の無いハッピー人間がこの世には存在すると思うのだけれど、鬱の人って、ハッピー人間の無意識にしっかりと殺されているんだよなあ。
伝えるには難しいことを、ものすごくわかりやすく描いていて、少し救われたような気がした。鬱の人、やさしくされるの大好きだけど、ハッピー人間に対しては(自分とは違う世界の人間…自分は違う…やっぱダメなんだ…)という認識になりがちだから、如何しようも無い。
構ってほしいんじゃない、解ってほしいんじゃない、「存在してること」ただ知って飲み込んで、そのうえでほっといてほしい。
でも、ハッピー人間はいつまでもハッピー人間なので、最善策は、そもそも近づかないこと・離れること、なのかな。そんな風に思いました。
寧子は、ひょんなことで家族経営のカフェバーで強制的にバイトさせられるんだけど、その店はまさにハッピー人間の世界で、寧子はすこし希望を見出すも結局、まんまと、めためたに殺されてしまう。残酷すぎた。
わたしたちはこういうのを日頃から目にしているはずなのに、見て見ぬ振りをしているよな。
トイレにこもって、津奈木に電話する寧子も印象的。
【 今じゃなきゃ、ダメ。 】
殺され尽くして爆発した寧子が、店から飛び出して、身に纏った服を脱ぎ散らかしながら街を走るシーン。わたし、そこ、めちゃくちゃ好きでした。
同時に、これだけ吹っ切れて感情を爆発させることができる寧子が、すこし羨ましくもあって。
走り抜ける寧子のあとには、津奈木が、寧子の服を拾いながら追いかける。
寧子は、我武者羅に走る。
津奈木は、後始末するように追う。
このシーンはそのまま、今までのふたりの関係性を示唆しているのでは??、と勝手に思いました。ふたりの三年間が、そのままあのシーンに詰まってる気がしました。
【 鬱は? 】
【 終わった 】
【 今回は長かったね 】
津奈木が、マンション(アパート?)の屋上まで追いかけると、そこには、布ひとつ纏うことなく大胆に柵にもたれる全裸の寧子。しかし、津奈木はさして驚くことなく、寧子に自分のコートを羽織らせる。三年も一緒にいればこんなことは幾度となくあったんだろうな、ということがわかる。
【 いいなあ、津奈木は。わたしと別れられて 】
屋上での、別れ話(?)の、このフレーズ。
「津奈木はわたしと別れることができるけれど、わたしは、こんなめんどくさくて、生きてるだけで疲れるようなわたしと、生きてる限り別れることはできないんだよ」
という意味を含んでいるんだねきっと。
ちょっと、鬱の話する。
鬱は明確に「治った」というものが無いから、終わりも無い。
どうするかといえば、「うまく付き合っていく」のが一番じゃ無いかと思っている。人並みの生活をするには、うまく付き合うのってのが最も難しいんだけれども。
さらに、躁鬱の場合はもっと悲惨。寧子のしんどさがよくわかる。
躁の時(気分が高揚している時)は「大丈夫だ!もう大丈夫!鬱ってなんだっけ!なんでもできる!」って感じなので、これを「治った」と思いがち。そのくせ、急に鬱期に入ると、躁からの堕ち幅がでかすぎて、あらゆるものを失います。こうして、何もかもの自信を失い、抜け出せない無限ループの完成です。よく、「鬱が回復してると思った時こそ一番注意が必要」って言うのはこのせい。そうやってみんな自分で命を絶ってしまう。
鬱は、明確な定義も症状もないからどうしてもやっぱりグレーゾーンなとこあるけど、少なくとも、わたしの鬱はこんな感じだったので書き留めておきました。
それに、この映画はとっても鬱の人間のことをわかりやすく、そして、変に弄ったりせずに描いているから、すんなりと受け止めることができると感じました。あるいはそれが「寧子」のキャラとしての「鬱」だったとしても、そうやって捉えた人間の中にも何か残せているような映画なのではないでしょうか。
この映画を観ていると、も〜〜〜〜〜!こんなめんどくさい女なのになんで津奈木はずっと付き合ってるの〜〜〜!なんなの菅田将暉〜〜〜!手料理食わせるから彼氏になって〜〜!と思わざるを得ないんですが、そう思わせることまでも、たぶん伏線なんですよね。
最後に、寧子が「わたしのどこが好きで三年間も一緒にいたの?」みたいなことを聞くんだけど、それに対して津奈木が
【 意味わかんないけど綺麗なものが、また見たいって思ったから。】
って答えるんですけど、これがたまんない。このセリフ、恋人に向けるにはあまりにも綺麗で素敵すぎる言葉ではありませんか…?
や〜〜〜、ここで、寧子じゃなきゃいけなかった理由が解ってしまうんだねえ。だって、わたしなんかじゃ菅田将暉に「意味わかんなくて綺麗なもの」見せらんねっすわ、、、、寧子には敵わねえ、、、、。
津奈木、セリフ少なかったくせに最後にこの映画のすべてを持って行きました。持ち逃げのようです。ずるい。
そうか、そうなのか。
【 ずるい 】
ずるいんです。この映画、おそらく全員ずるいです。
寧子は、津奈木に依存して自分を正当化してるのずるい。
津奈木も、あらゆるところで波を立てないように生きていてずるい。
元カノは、自分の好きなもののためだけに平気で他人を傷つけてずるいし。
津奈木の職場は、人を殺してしまうような、そして消費され忘れるためだけに書かれたようなゴシップ記事で日々飯を食っているのに、それをまた、割り切っているところがずるい。
ハッピー人間たちは、自分たちが正しいってことを疑うこともなく、他人を傷つけたという意識もなく、これからもただハッピーに暮らしていくんだよ。ほんとずるいよね。
そして、映画で描かれてるようなことを身近に見てきたはずなのに、未だに見て見ぬ振りをしている私たちだって、ずるい。
恋人の話なのに、色恋沙汰をひけらかすような恋愛映画でもなく、誰かが死ぬわけでもなく、ましてやハッピーエンドでもバッドエンドでもない。余韻まで含めて、何かを伝えてくるような、そして誰かに何か伝えたくなるような映画。ひとりで観に行ったけれど、つい誰かと話したくなってこれを書きました。
だからさ誰か、観た人いたらコメントでもなんでも感想ください。他の人の見解も聞いてみたい。
ラストシーンは、部屋に戻り、寧子が全裸でひらひら舞い踊る。
それを津奈木がおだやかに見守る。
これが、津奈木の見たかった、最後の
【 意味わかんなくて綺麗なもの 】
だったんだろうな。
なんて
aoiasa
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