ひらめきは唐突じゃない_20190710


あんまり文章書く気分でもなくって、三日間、まともにnoteも見なかった。そんなんだったからどっぷりと、こころとからだを休めてから今日は復帰して、仕事にも行って、いつものペースに自分を落とし込んでいる。

自分の文章書くのも、ど〜〜〜〜でもよくなっちゃって、朝、仕事で久しぶりにキーボードを打つ手が新鮮だった。

こころが疲れているときって、文章が読めなくなる。逆に、文章が読めてるときは、すごい元気。おお、これがわたしの元気のモノサシか。

で、今日は元気だったので、読みかけの本をふたたび読み進めた。

noteの投稿も途切れちゃったし、もうど〜〜〜でもいいや〜〜ど〜〜〜にでもなれ〜〜〜〜、と思ってた矢先、またまた本に救われる事案発生。

(「本に救われる」って話はこのまえ書いたものを参考に。。。。ちなみに、この時からまだ読み切れていない本を今日、読み進めました。↓)

本は、又吉直樹さんと武田砂鉄さんの往復書簡エッセイ、「無目的な思索の応答」。おふたりのこっそりとしたやりとりが絶妙に好き。

今日は、「ひらめき」についてのふたりのやりとりでハッとした。

ひらめきって、「ピカッ」を待つ行為ではないと思っています。頭の中はいつもものすごくごちゃごちゃしていて、埃をはらったり、土を掘り返したりしながら、さまざまな素材をぶつけ合って、ようやくひらめきや切り口が生まれるのではないか、と。 (武田砂鉄さん)

素敵。

「ピカッ」っていうのは、マンガでよくある、頭上で電球が光るひらめきの表現のこと。ひらめきって神聖化されているよね、でも本当はそんな唐突なものじゃないんだよねっていう話。

救われたのは「頭の中はいつもものすごくごちゃごちゃしていて」という部分。

わたしも、頭の中が常にごちゃごちゃしている。すごい散らかっている。あるものごとを見聞きすると、連接して、また異なるものごとがポンポンと出現するのが一日中、止まってくれない。きっと今、わたしの頭をカチ割ったら、ふせんやメモ書きでいっぱいなんだと思う。でもそんな賢くないから、古いものに重ねってって、どれも貼ったまま、消化できず、散らかり続ける。

頭のなかいっぱいでしんどいな〜〜〜と思っていたけど、こいつらももしかしたらいつかの「ひらめき」素材になってくれるのか…?、と考えたらすこし愛しくなった。

突然、ひらめきが降りてくるというよりも、それまでに積み重ねてきたものと、その瞬間そこにある要素がぶつかって、なにかが生まれるということのほうが事実ですよね。それをただの幸運と捉えてしまうと、嫉妬にも繋がっていくのかもしれないとも思いました。 (又吉直樹さん)

こちらは、先の武田さんに対する又吉さんの応答。好き。

あ〜〜、わたしの頭ん中にもぶつかって欲しいなあ〜〜と思いつつ、その「ある要素」がぶつかっていただくには頭の中に、新たなふせんを貼り続けるしかないのだなと。でもなるべく、意味のあるふせんを。

時に、何かをひらめいた人のことを、とても簡単に、「うらやましい」とか「才能があっていいな」だなんて思ってしまうお粗末な自分がいるのもわかっている。

これは紛れもなく嫉妬。人は、簡単に嫉妬することができる。でも嫉妬は、自分が実現できていないことばかりに腹立たしくなるでしょ。結局は、自分の努力不足や不甲斐なさだけが明瞭化してしまって、なにも生まないし、悲しくなる。できれば嫉妬はしたくない。

「ひらめき」のその裏に、どれだけの努力があるかはわからないけど、そういう人たちにだって必ず、なにかしら積み重ねてきたものがあるはずだ。そういうことをいつもこころに留めておかないと、独りでに焦って、すっ転んでしまうだろう。今後は、コケるくらいで留めておきたい。

明日さえ乗り切っちゃえば、四日間おやすみなので。休日、洗濯とか掃除が済んだら、あたらしい本読んだり、散歩したり、あ〜〜なにしようかな。

また少しずつ、文章書かせてくださいここで。

おやすみなサイ


- aoiasa
20190710

▼〈 青い朝 〉を知らない人へ、最初に読んでほしいちょっとした文章

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青い朝
最後までありがとうございました。 〈ねむれない夜を越え、何度もむかえた青い朝〉 そんな忘れぬ朝のため、文章を書き続けています。わたしのために並べたことばが、誰かの、ちょっとした救いや、安らぎになればうれしい。 なんでもない日々の生活を、どうか愛せますように。 aoiasa