雨は憂鬱か
あの頃、雨というものはかならず憂鬱だった。
眠りから覚めると同時に目を開けずとも
「今日は、雨」とわかってしまうから、
そうなるとあとはもう駄目だった。
行くべきところに行かずして済む理由をいくつか、
ふわふわと頭に浮かばせる頃、大抵、
生真面目で冷酷なスヌーズが安易な私を急かす。
目を開けたとて
部屋に差しこむ光さえ、やる気が無いように思えた。
家の中ならまだしも、外はもっと駄目だった。
普段の、ひろがりのある青には
くすんだ白がべたりと塗りたくられ
空間の閉塞が、やはり憎らしかった。
歩けば衣服のすそや肩が濡れ、整えた髪は乱れ、
私のリュックはいつも傘の恩恵をうけられず。
白い靴下に、どろが跳ねないかなどを、気にして歩いた。
電車やバスに乗れば、生ぬるい湿気が肌にうすく貼りつき、
となり合った人の傘でさらに濡れてゆく足元。
そういう日は全てを諦めながら過ごした。
…
昼過ぎまで、いつぶりかの雨が降りつづいた。
「今日は、雨」とわかったことにさえ心が湧いていて、
憎むべき憂鬱な雨のことなどはとっくに忘れていた。
そして私は、いつもであれば二度寝してしまう時間にカーテンを開け
水が落ちアスファルトを打つ、そのさまをしばらく眺めていたが、
それらが異世界のように思えるのもおかしかった。
雨が、すこぶる心地よい。
初めてではないにしろ、
改めて「雨は心地よい」と思った。
とはいえ、私にも行くべきところがあったのならば、
やはり憂鬱に噛みつかれていたのかもしれないけれど。
からだとこころを大切にするようになってから、
時間はずいぶんゆっくりになって、私にやさしくて、
追うでもなく追われるでもなく、きちんと寄り添っている。
自分の生活にいちばん近い、さまざまなものに対して、
「心地よい」と思えるくらいが本当は、ちょうどいいのではないか。
雨音に、忙しない日々を想った今日の朝。
そもそも、これほど水に恵まれて生活しているのに、それを憎むだなんて。
まったく
罰当たりな生き物なのだから。
20180206
- aoiasa
#日記 #エッセイ #写真 #コラム #ライター #随筆 #詩 #ブログ #恋愛 #note #photo #essay #執筆 #朝 #青い朝 #aoiasa #デザイン #design #イラスト #illustration #手書き
最後までありがとうございました。 〈ねむれない夜を越え、何度もむかえた青い朝〉 そんな忘れぬ朝のため、文章を書き続けています。わたしのために並べたことばが、誰かの、ちょっとした救いや、安らぎになればうれしい。 なんでもない日々の生活を、どうか愛せますように。 aoiasa