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1ポンド人生のハーブソテー #夏の読書感想文 #ネタバレ注意

 じんせいとやらは、どうやらステーキであるらしい。

 私も一応創作まがいのことはするので身に沁みているが、創作物のタイトルというのはとんだ厄介物。私などはレベルミニマムのネーミングセンスをかき集めて振り絞って白目で、やっと、タイトルを付ける。
 「恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ」は、この本の一番はじめの章のタイトルでもあるが、一冊の本ぜんたいを貫くテーマでもある。つまりはこの本は、「恋ははかない」と言いたいのであり、あるいは、「プールの底のステーキ」を書いているのである。
 同名の章のなかで、主人公、八色朝見さんの子ども時代が描かれる。プールの底のステーキは、彼女が咀嚼しきれなくてこっそり吐き出した肉塊だ。人生の、いくら咀嚼してもどうしても飲みくだせなかったスジスジが、プールの底に静かに沈んでいる。この本は、それをじっと見つめて、描写している。
 おもしろいのは、朝見さんがほんの子どものころに、人生のスジスジにぶち当たっていること。さくさく噛み切れない、唾液ばかり出てあごだけ疲れ切って空回りするような、そういうちっとも綺麗に片付いてなんかないものが、この世に存在するということ。いやむしろ、そういうもので世界は構成されているということ。その感触はたしかなものとしてもう既にあって、おとなになってそういうものに遭遇する過程はぜんぶ答え合わせなのだ。子どもはくもりのない眼で正確に、世界の有様と自分の未来を見ている。もと子どもであったぼくたちは、かつて見た未来を答え合わせしている。
 表面の脂とソースの味がのどに流れたあとも、いつまでも口のなかに残って灰色っぽくかたまり、いくらあごを動かしてもくちゃくちゃと音がするだけで一向に小さくなってくれない硬い肉片。プールに吐き出したあともなんとなく、うしろめたさが背中に張り付いて気になってしまう。そこで一旦吐き出してしまった硬い肉に、もっと月日が経ってからも、また自分は出会うのだろう。だってまだ、のみこんで消化されたわけじゃないから。

 一度避けた問題には、どうしてもまた遭遇する。そのきっかけは「匂い」かもしれない。嗅覚は記憶と密接に関係している。名前のない香りでも、ぼくらの記憶という永遠に、ぼくらを連れ去ってしまうかもしれない。忘れたと思っていた一場面をも、ぼくらに見せにくるかもしれない。どうしたってさわれない、見ることも音に聞くこともできない、風が流れれば消えてしまうような、そんな一瞬の劇薬が。
 「透明な夜の香り」は、メルヘンティックでファンタジックでノスタルジックでありながら、ぼくらをぎょっとさせるリアリティで心の臓を鷲掴みにして揺すぶる。するするさらさら流れる風のなか、とりどりのハーブや花々の香りに包まれてうつらうつらしていたら、突然身体に蝮が絡みついてきてぼくらの眼をぎょろりと覗き込む。そのときに、ぼくたちはどういう反応をするのだろう。
 主人公の一香さんは物語の終盤、ある夜の匂いに忘れようとしていた過去の記憶を取り戻し、「甘やかされるのは、もうおしまい」と人生に向き合うことができた。でもそれは、一度避けた過去に再び薙ぎ倒されないだけの強さを、彼女が回復できたからだ。その強さを回復する過程で、さまざまな人間関係の絡みが、この小説では描かれる。
 私が興味深いと思ったのは、さまざまな取り繕いをすべて無効にしてしまう存在の前で、ぼくたちはどうふるまうか、ということだ。ありていに言うと、嘘を見破る存在、知られたくないことまで見破ってしまう存在の前で、ぼくらは怯えずに自然体でいられるのか、ということ。「透明な夜の香り」には、嗅覚が人並外れて鋭く、嘘の匂い、病気の匂いをも嗅ぎ取ってしまう朔さんという人が出てくる。彼は幼馴染の新城さんから犬とか獣と揶揄されていたが、なるほど獣は神さまに似ているのかもしれない。
 蓋し作者の千早茜さんはことばの選びかたが素晴らしい。単純なことばの並びが紙面のうえに浮かばせる鮮明な情景。月のない透明な紺色の晩、静かな庭の薫り漂う美しいあやしさ。とくとご賞味ください。

 ところでフェンネルというハーブは胃腸に良いらしい。スパイシーな独特の香りがするが、すっきりとしていて、どこか爽やかな甘みがある。ヨーロッパでは「摘まない者は悪魔だ」と言われるほど人気のあるハーブで、肉料理との親和性が高い。
 動物性の脂は胃にもたれる感じが少なからずある。こってりとしていて満腹感があって、たまにステーキなんて食べたら、もう、しばらくはなにも食べなくていいかなと思う。なるほど、じんせいとやらは、どうやらステーキであるらしい。


再三すんません。素敵な本の紹介ありがとうございます!



「透明な夜の香り」は声優の山下大輝さんによる朗読もあります。やばいです。耳が幸せになります。前編だけでも是非。(いやホントは本を買って朗読全部聞いてほしい…。売り上げに貢献してほしい…。(回し者ではありません))


蛇足:
「恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ」のなかに、「飛ぶ」という表現がありましたが、みなさん経験ありますか?あ、いま私異世界にジャンプしたなーと思うこと。そんなに大変なことでもなくて、「あれ、なんか思ってたんと違うわ」的なことです。私は「間違い」を「問違い」と書く世界からジャンプしたことがあります。あとほかにもいろいろあった気がするんですが些細なことすぎて忘れました。「それただのあんたひとりの勘違いじゃねー?」と言われてしまえばそれまでです。でも、いったい、両者の区別が、ぼくらにつくんでしょうか。



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