第24回 第二章 (『ノラら』堀戸から見た世界 ) ~オリエンタル料理のお店で~
『ノラら』
第二章:堀戸から見た世界
第二十四回
その店は市街地のオフィス街に位置していた。
僕らは近くのコインパーキングに
車を停めて店へと向かった。
店の前には写真入りのメニュー表が
大きなフレームに入れられて
イーゼルに立てかけられていた。
店の壁には木の枝で縁取られた
木製の小さな板が飾られていて、
そこには「本日の二種盛日替わりカレー」と
手書きで書かれた紙が貼ってある。
今日は、トマトとプラウンのカレーと、
パニールとほうれん草のカレーらしい。
「パニールって食べたことないかも」
と紗英さんが呟く。
「今日もまた日替わりにするん?」
「うん。
だってここのカレー美味しいんだもん」
吉岡さんは
「確かにあいつのカレーは旨いわ」
と頷きながら、
アンティーク調の扉を引いて
中へと入っていった。
店内を見て
まず初めに目に飛び込んで来たのは、
店のど真ん中に配置された
一枚板の大きな長机だった。
それを取り囲むように
背もたれの低い椅子が
十二席ほど並んでいる。
両サイドの壁際には、
四人席や六人席のテーブルが
思い思いに配置されていた。
中には壁に向って
ペアで座れる小さな机があり、
実際そこには
カップルらしき男女が二人で腰かけていた。
テラコッタカラーの土壁には、
額縁に入れられた趣味のいい抽象画が
いくつも飾られている。
照明の色合いのおかげもあり、
小洒落た雰囲気を醸し出している。
照明自体は天井の所々に
埋め込まれているので
空間はスッキリして見えた。
店内に漂うダウンテンポなBGMが
日常から離脱していくのを加速させる。
店の奥のカウンター越しから、
顎髭を生やした男性が
ひょっこり顔を出して
吉岡さんに向って軽く片手を上げた。
吉岡さんも彼に向って軽く頷き返した。
僕らは四人席に腰を下ろすと、
ようやく落ち着ける場所に
辿り着いたかのように
全身を座席にうもらせて、
めいめいに間の抜けた笑顔を浮かべあった。
吉岡さんが
壁際に立てかけられた
メニュー本を取り出すと、
僕と紗英さんが見やすいように
こちら向きに開いて見せてくれた。
メニューに並んだ写真を見る限りでは、
多国籍というよりオリエンタル料理を
扱っている店のように感じた。
「この、プラウン・ミーにしてみようかな」
僕の決定に紗英さんが横から
「ほんと麺が好きなんだね」と言って
笑いかけてくる。
「お前いっつも昼飯蕎麦喰うてるやろ?
毎回蕎麦て飽きへんの?」
「飽きないです」
僕の返答に吉岡さんは
「じゃなきゃ喰わんわな」と言って
ため息交じりに笑った。
お水を配膳しに来た女性に
各々注文し終わると、
吉岡さんはメニューを仕舞いながら
僕らに向ってこう訊いた。
「どやったライブ、楽しかった?」
紗英さんが僕を見ながら
「まあ、そうだね」と生返事をしたあと、
すぐさま吉岡さんに向き直り
「ヨッシーはどうだった?」と訊き返した。
「ライブ配信だと
色んな画角で見れるんでしょ?」
「うん、画角も自由に変えられるし、
観る場所も三百六十度自由に移動できたわ」
「何それいいなあ」
吉岡さんの説明に、
紗英さんが軽く相槌を打つ。
「さすがに地面の下から
見上げたようなアングルは無かったけど、
天井から見下ろしたような眺望もあったし、
舞台のバックからも一望できたで」
紗英さんの素直な関心振りに相乗して
吉岡さんのテンションが上がっていく。
「視覚コンテンツのスケールに
圧倒されてしまって否応なしに音楽が
BGM化してたとこはあったけど、
やっぱりそれでもピールの音楽は
ちゃんと良かったわ」
「そっかあ。ちなみに
一番良かったのってどんな曲?」
「せやなあ。俺が一番心にぐっと来たのは、
やっぱりラストの曲やな。
〝ウルトラスーパーとってもとっても
ベリーソーソーめちゃくちゃめちゃくちゃ
マッハシュアリーすこぶるすこぶる……〟
みたいな、今適当に言ったけど、
こんな感じで延々と一~二分
しょーもない形容詞を
英語と日本語で交互にお経読むみたいに
淡々と歌ってて、
その最後にやっと動詞が来て、
そのやっと出て来た
動詞を含むフレーズにだけ音色が付いてて、
そこだけ三回ほど繰り返し歌い上げたあと、
そのままその曲終わってもたやん?
それが逆にぐっときたねん。
あとその動詞のとこがな、
なんかよかってん俺的には。
開放感のあるメロディを
最後に付けることで、
今まで溜めに溜めてきた
単調な音の形容まで
浮かばれるっていうんかな、
緊張と緩和の法則。ううん、
またちょっと違うんかもな。
兎に角あの最後の
切なげなメロディと相まって、
すごい感動したねんな」
吉岡さんの熱弁振りに同調するように
紗英さんが大きく頷く。
僕は僕で、
その最後の動詞を含んだフレーズは
なんだったのだろうと気になったまま、
水を飲む吉岡さんの所作を
なんとなく見続けていた。
「そうそう、あとは、
ライブの中弛み辺りで
突然マッピングとかホログラムとかの演出が
きれいさっぱり無くなったとこあったやろ?
その時の演奏が結構面白いなと思ったかな。
あのとき使ってたカホンとか
ハルモニウムっていう楽器知ってた?
木箱みたいな上にデリが腰かけて、
そのケツの下の木箱を
両手でパコパコ叩いて鳴らしてた楽器
のほうをカホンっていうねんけど、
図体デカいデリが
あの上に座ってる姿が
結構かわいくて俺わろてもたわ。
んで、ナカジマが弾いてた
鍵盤楽器がハルモニウムって言うねん。
箱の前面部分をパコパコ煽がせながら
弾いてたやろ?
木箱で出来てるからかわからんけど、
アコーディオンよりもなんか
深みのある音がするから
俺結構好きやねんな。
ナカジマが地べたに座って演奏する姿も
なかなか渋かったしなあ。
その二つの楽器と、
あとは五人の鼻歌だけで曲が成り立ってて。
すごい異国情緒感がピールらしくって
嬉しくなってもてさあ。
あれぐらいちゃう?
機械音ひとつも使ってなかったのって」
紗英さんは笑顔のまま
さっきと同じような曖昧な返事をしたあと、
吉岡さんを見詰めたまま
にっこり笑って首を傾げて魅せた。
吉岡さんは照れくさそうに
彼女から視線を一旦逸らせると、
はにかんだ笑みを口元に含ませ、
またコップに入った水を
一口ごくりと飲み込んだ。
そこへさっきと同じ店員が、
注文したドリンクを持ってやって来る。
「パッソアオレンジとアイスチャイ、
あと炭酸水です」
「おお、さんきゅ」
「サモサチャートも出来てるんで
すぐお持ちしますね」
店員はそう言い残すと、
キッチンのあるカウンターへと戻っていった。
吉岡さんがすぐさま振り返り、
よく通るその声で
「あと、取り皿三つちょーだい」
と付け加えた。
「炭酸水て、渋いなお前」
「そうですか?」
瓶入りの炭酸水をグラスに注ぐ僕に、
吉岡さんがコメントする。
「車じゃなかったら飲むんやけどなあ。
まあ、たまにはチャイもええやろ」
サモサチャートが無事に取り皿とともに
僕らのテーブルに運ばれたあと、
僕らは軽くグラスを合わせて乾杯した。
「ここの店は何喰うても旨いから、
足りんかったらどんどん頼みや」
吉岡さんは潰れたサモサを
三つに取り分けながら
ちらっと僕のほうを見ると、
穏やかな口調でそう言った。
「これだと、
もさもさしたサモサもペロッと
あっさり食べれちゃうんだよね」
紗英さんはそう言って
取り分けてもらった小皿から
大胆な量のサモサを
スプーンで掬いとったが、
彼女の小さな口元は
それを一口でするんとおさめてしまった。
「うーん!」という
痛快な唸りとともに
彼女は眉間に縦皺を寄せて
目を閉じたまま
口の中の料理を堪能している。
ふと何の気なしに店内に視線を逸らすと、
中央の大きなテーブルに座っている
ワイシャツ姿の男性が目に留まった。
男性は軽く手を上げて
呼び寄せた女性店員に、
「あのメニューってなんですか」と、
僕らのテーブルに目配せしながら
問い合わせている。
「サモサチャートです。
潰したアツアツのサモサの上に、
トマトや玉ねぎを散りばめて、
さらにその上から
冷たいヨーグルトとタマリンドソースに
グリーンソースをかけて
スナックをトッピングしたものです。
チリソースはお好みでかけてもらえるように
別皿でお持ちしているんです」
店員の説明に至極納得したらしい男性は
二三度頷くと
「僕もそれ、追加でお願いします」と言って
控えめな笑みを浮かべ店員を見上げた。
すると女性店員は
「ああ…」と呟いて
注文の受付を少々躊躇ったあと、
こう付け足した。
「お客様はバタタバダを注文されてますんで…
もしよろしかったら、
そちらをチャート風にして
お出ししましょうか?
バタタバダもジャガイモを使った
スナック料理なんで、
サモサと同じく
チャートにしても美味しいですよ」
店員の軽妙な提案に、
男性は何度も小刻みに首を縦に振りつつ
「是非それでお願いします」と
爽やかに返答した。
店員が立ち去った後も彼は微笑んだまま、
キッチンの方を見遣っている。
テーブルに置かれたおしぼりを広げて
手を拭いながら店内を一通り見渡したあと、
もくもくと食す紗英さんの横顔を一瞥して
またにっこり微笑んだ。
そのとき僕は、
男性と僅かに目が合ってしまった。
彼は若干気まずそうにして一旦目を逸らすと、
居住まいを正しながら
また僕をちらっと見て軽く会釈した。
不意打ちの会釈に戸惑いながらも、
なんとなく会釈し返すと、
また男性は爽やかな笑みを口角に含ませて、
安穏たる自分の時間へと戻っていった。
僕らは僕らで、
出された料理に紛れながら
他愛もない雑談を交した。
雑談と言っても
吉岡さんと紗英さんの会話がメインで、
それを横から僕が聞いているという具合だ。
サモサチャートが食べ終わる頃には
僕らが各々に注文していた料理が
運ばれてきた。
吉岡さんがまじまじと
机上に並んだ料理を見たあと
「ちょっと食べてみる?」と
自分の皿を指差して僕らに尋ねた。
「いや、だいじょうぶ」
「僕はいいです」
紗英さんと僕の返答が被る。
「そおか?」
吉岡さんはきょとんとした顔つきのまま
シェアを拒まれたガパオ・ヌーアに
スプーンを入れる。
僕は僕で、混ぜそば風のプラウンミーを
フォークで混ぜ伸ばす。
エビの出汁(だし)と濃厚なタレが
湯気を放ちながら麺に絡み付く。
紗英さんは相変わらず嬉しそうに
スプーンをカシャカシャ鳴らしながら
早速カレーを頬張っている。
僕は絡み取った熱々の麺を
勢いよくズルズルと啜った。
出汁の旨味が鼻へと抜けていく。
噛むごとに快感を味わう。
この料理を生んだ国に
お礼が言いたくなるくらいに
それは旨かった。
僕は立て続けに麺を啜った。
「お前、めっちゃ旨そうに食うやん、
さすが日頃から蕎麦喰ってるだけあるなあ」
「堀ドン、それはヌーテロだよ」
「ヌーテロってなんやねん」
「ヌーハラって昔バズったでしょ?
日本人の麺啜る音が外国人にとっては
ハラスメントレベルなんだって。
あたしは啜りたくても啜れないからさ。
こうやって上手にズルズル啜る音聞くと、
そそられるんだよね。
だからヌードルハラスメントの
ハラじゃなくって食テロのテロでヌーテロ」
それやったら食テロでええやん、
ヌーテロ言うから
俺サバンナの中を突進していく
ヌーの大群想像してもたわ。
なにそれヌーって動物いるの?
バッファロー的な?
まあせやな、そんなかんじの動物や、
ヌーの大移動とかすごいねんで、
大群が一つの生き物みたいになって
広い大地を草求めて這い回るねん、
それも男と女に別れてやで、
最後には合流すんねんけどな。
へえヨッシーそんなことまで詳しいのね。
いや俺
ブラっとニューアースがめっちゃ好きで
毎週見てるねんけど、
つい最近それでヌーの特集しててん。
ああ、あたしもたまに観るニューアース。
「堀戸も観てる?
先週はなんや蟻の生態についてやってたで
何蟻やったかなあ」
若干ピンボケしつつある二人の会話に
参加を促される。
「僕見たことないんで」
吉岡さんの間の抜けた表情を見ながら、
こういうのも話の腰を折るって言うのかな
などと呑気なことを思う。
彼は、そうなんやそりゃ知らんわな
何蟻とか言われてもなあ…と呟きながら、
ガパオ・ヌーアを口に運んだ。
どれがガパオでどれがヌーアなのか
聞いてみようかとも思ったが、
それこそ話の腰を折るような気がしたので
止めておくことにした。
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