旅は少しだけ自分を強くする、と思う
車の免許もないし、ノミの心臓のくせに旅行が好きだ。くるりのハイウェイを聴きながらコロナ禍でインテリアと化した地球の歩き方をもう一度本棚から引っ張り出してみる。
数は少ないけれどいろんなところに出かけた。いく先で起きたちょっとしたトラブルさえも今となっては笑い話だ。
思い出深いのはフィンランドとパリに行った時だ。極寒のフィンランドでツアーのガイドさんに「なんでか知らないが日本人がありがたがって見る」と言われたオーロラをばっちり見て、早朝出発してパリへ向かったのを鮮明に覚えている。シャルル・ド・ゴール空港に着いて、ホテルまでタクシーで行こうと乗り場まで向かうとスタッフの人が何やら忙しない。なけなしのリスニング力で聞き取るとどうやらほとんどのタクシーがストライキで来ないので、高速鉄道で行けとのことだった。空港から出ている高速鉄道はあまり使わないほうがいいと、全幅の信頼を寄せている地球の歩き方に書かれてあったので、どうしたものかとまごついていると、颯爽と一台のタクシーが現れた。スタッフの人も察したのか、もうこれに乗れ!今がチャンスだ!と荷物をトランクに積む。そこに居合わせた西洋の女性も乗り合わせることになった。いや、これ果たして無事に着くのだろうか、女性とグルで知らんとこに連れて行かれたらどうしようとドギマギしているうちに、無事にホテルに着いて胸を撫で下ろした。
ユホクオスマネン監督の「コンパートメントNo.6」を見た。
恋人に旅をドタキャンされ、失意のうちに始まった寝台列車の旅で相席となったのは粗野な労働者のリョーハという男性で…、というお話なのだが、これが本当に素朴で、繊細で大変に愛おしかった。携帯もスマホもない、いやでも顔を突き合わせる寝台列車の旅で、相手の知らない繊細さや、新たな一面を知る物語に惹きつけられた。〇〇人はこうだ、※※人はこうだから、という偏見や個人の属性など、イメージをとっぱらって、少しずつ優しさを持ち寄る姿はアキカウリスマキ監督の作品を彷彿とさせる。
旅と物語が進むにつれ、恋人との距離がどんどん離れていく。それでも北端駅にある、ペトログリフを見に行く。リョーハと共に。豪雪の中、2人ははしゃぐ。そして一期一会の別れ。たったそれだけのことなのに全てが愛おしく、大切にしたいと思える時が流れる。
世界は広い。
まだ日本人とというだけであらぬイメージを持つ人がいる。決めつけ、皮肉を言う人もいる。一方で世には優しさを持って接してくれる人もいることも事実だ。
フィンランドのホテルで、スーツケースが壊れてしまい、ガムテープを貸してくれたスタッフの人、フランス語も英語もからきしなのに行ったレストランで「日本語が少しわかる、大丈夫」と言ってくれた店員さん。カナダ旅行で英語の発音を馬鹿にされた後に入った八百屋さんでにこやかに接してくれたアジア系のマダム。マカオのツアーで知り合った、名前も知らない大学生。
その一つ一つの思い出が私を形作り、心を強くさせていく。
暗闇があるから光が明るく見える。冷えた心に染みるのもまた、人の温かい心、草の根の交流なのだ、と気付かされる、そんな映画だった。
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