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5月30日のこと

先日、友人の計らいで乙武洋匡さんの講演会に参加させてもらった。

毎日本を読んでいるのに乙武さんの本は読んだことがなかった。
一瞬頭をよぎって、結局読まずに当日になった。

子どもの頃にお母さんから「乙武さんはおしゃれな人で、靴を履けないことが悔しいんだって。」みたいなことを聞いたことがある。ソースは不明。
最近義足に挑戦しているということは、靴も履けるようになったのかしら、なんて考えながら会場へ向かった。

■乙武さんの言葉

障害のある子どもが生まれた家庭と社会との関わり方、お母様の写真屋さんへの配慮、障害のある児童にとっての休み時間、知らないことばかりだった。

プライベートはぐちゃぐちゃだけど、社会をよくしたいと思ってる。

まさにそんな言動の友人を思い出した。
私を信頼して何でも話してくれて、私は知りたくなかったことも知って、結果、彼と仕事を続けることはできなかった。
でも、海のそばで初めて会った時、時を経て一緒に仕事をした時、語ってくれた ”社会をよくしたい” 気持ちに嘘はないんだと思う。


自立とは、依存先をたくさん持つこと。

私も、受け売りだけど以前から同じことを思っていて、身体障害のない方にも言えることだと思う。

子どもの頃は息苦しくて、家と学校以外の場所を探していた。
今は、お母さん、弟、彼氏、シェアハウス5件、友人の家いっぱい、、困ったら何処かに駆け込もう、話そう、と思える。随分楽になった。


選択肢を増やそう。

進学、就職、トランスジェンダーの銭湯やトイレ、交通手段、働き方、住まい。選択肢のない人がいるって今まで想像してなかった。

でもそういえば、私も10代の頃に選択できなくて泣いたんだった。
かつて当事者だったのに忘れてたなあ。


■みんなの質問

同年代の友人が、シルバー民主主義だと諦めて選挙に行こうとしません。

政治について積極的に働きかける友人も何人かいて、いくつかの糸口を見てきたけど乙武さんの言う ”多様な友達を作る” という手段は新鮮だった。

たしかに。私はこの前日に車椅子で生活する友人と会っていて、自分とは違う視界を覗かせてもらったと感じた。
道幅が必要なこと、エレベーターが混んでてもそれしか選択肢がないこと、車椅子を買うのにもひと苦労、電車に乗る時は駅員さんに伝えて、、五体満足の人と同じ行動をするためには、少しの時間を沢山使う必要があるように感じた。もはや時間でさえ平等じゃないのかもしれない。

未来の自分なんて想像がつかないけど、今いる大切な友人のためなら、原動力になるかもしれない。


本心では望まない学部を目指していて、モチベーションが湧きません。

こんな苦しみもあるんだなあ。
私は18歳の頃に進学自体を諦めて、大学に行く人も、浪人する人も、みんな恵まれていて羨ましいと思っていた。
進学するからって、みんなが自分の興味あることを深めている訳ではないんだなあって自分の無知を知った。


障害のある友達の恋愛が上手くいかず心苦しいです。

表に出ていないけど、同じ悩みを抱える人は多いと思った。
これに対して乙武さんはここで書けないエピソードを話してくれて、やっぱり会うっていいなあと思ったりした。本にも書けないし、YouTubeでも言えないことが聞ける楽しさ。


■障害とは

障害者 / 障がい者 / 障害を持つ / 障害がある
色んな表現がある。

私は、生きる上で世の中に障害があるという考えから、障害を”持つ”ではなく障害の”ある”という言い方をしたいと思ってる。

乙武さんのメルボルンでの暮らしを聞いていて、世の中がバリアフリーになれば人間に対する”障害”という言葉も変化するのかなあなんて思った。


<乙武さんのnote>

「自由に生きたい」と願う人は多くいます。でも、自由に生きるには、多くの選択肢が必要です。日本に、もっと選択肢を。 #選択肢を増やそう


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