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森人族の国、シャルム(5) 葵の忘却のアポカリプスより

森人族エルフの国、シャルム(5)


「……」
『……』

白いモフモフの登場に二人は閉口したまま時を止めた。
『イリアは人使いが荒すぎるにゃ! エレナをこんな札に閉じ込めるにゃんて……』
色々突っ込みたいのを堪え、ソフィアはプリプリ怒る暗殺者の前にがくりと膝をつく。
「エレナ様、一体どういう──」
『エレナだと!?』
モフモフの名を呼んだ瞬間、何故か闇森人族ダークエルフが顔色を無くした。
戦闘スキルを持たず観賞用でしかない最弱召喚獣に需要はないのだ。そう考えると闇森人族ダークエルフがモフモフを知らなくても不思議ではない。
彼女の登場でこの事態が変わるとも思えないのに何故──。
ソフィアの心理を悟ったのか否か、エレナはきょとんとつぶらな瞳で見つめ返してきた。
『エレナはソフィアの力になるように言われただけにゃ。狭いところに入れられた所為でエレナの“きゅーてぃくる“な耳が潰れたにゃ』
自由奔放なエレナに困惑するソフィア。ちらりと視線を動かすと闇森人族ダークエルフの男は更に狼狽え、じりじりと後退し始めた。
初めてモフモフを見たとしても、この反応は異常だ。この小さな獣がとんでもない大魔法を使うとは考え難い。
『何と言う事だ……エレナ様が、かような姿に……』
『お前、エレナを知っているにゃ?』
『忘れておられるのですか……いえ、それが一番です』
『教えて欲しいにゃ。エレナは白くてきゅーてぃくるで愛らしい猫にゃよね!?』
ぴょんぴょん接近するエレナから逃げるように男は触れられないよう高く飛び、更に距離を取った。
『私から申し上げる事はありません。エレナ様お元気で』
そう言い残すと男はそのまま深闇の森へと消えた。
強烈な攻撃が来ると踏んでいたソフィアは緊張の糸がふつりと切れ、そのまま崩れ落ちた。秘術の乱用に禁札の解放。体力も魔力も完全にカラだ。
ソフィアの状態が良くない事を悟り、エレナは全身から魔力を《解放》した。眩い光と共にピンク色のツインテールを靡かせる森人族エルフの少女が出現する。気絶したままのソフィアをひょいと抱え、少女は大きな溜息をついた。
『全く、イリアは人使いが荒い。後で“チョコレート“を貰わなきゃ』















「はああ……」
「ソフィア様。溜息で美しい顔が台無しですよ」
今回の偵察は完全に失敗。無断領域侵入。国家レベルの大問題だ。

メタトロン帝国はシャルムと和解する為に大量の金と鉄や銀細工を中心とした物資を献上する羽目になった。
最初は招かれざるものアウトサイダーの研究結果について、【ストラテジー】から数名の学者を要望されたのだが、そこはヨハネス皇帝が頑なに断ったらしい。

おまけに、フレイアの精鋭騎士を二人失った事は帝国へ更に追い討ちをかけた。
今回の一件についての報告書と始末書はソフィアの使う【ストラテジー】執務室の半分以上を占めている。全く減らない紙の山にもはや溜息しか出ない。
「セシリアの状態はどう?」
山積みの紙で何も見えないが反対側のデスクで作業をしているであろうディオギスへ声をかける。
「来週には前線復帰しておりますよ。毎日治療室から抜け出して素振りやトレーニングをされていますし」
「……そう」
偵察に同行してくれた彼女にとんでもない傷を負わせてしまった。
一命は取り留めたが神経が焼き切れ、剣を握る事は絶望的と診断された彼女は一度フレイアから除籍された。
しかしその数日後、“お忍び“で治療室に来たイリアの魔法で奇跡の復活を遂げたのだ。
能力の低下は殆どなく、神経回路、身体面・精神面共にオールクリア。
本来一度除籍された隊員は戻る事はないのだが、セシリアの能力値、そして何よりもヴィクトールらの強い要望から復帰を許された。

中立にあるクレセント大神殿の巫女がここまでフレイアやメタトロン帝国に協力的なのかは未だ謎のまま。
全て失敗に終わった偵察においてイリアライバルから受けた厚意には感謝どころか足を向けて眠れない。
「ディオギスも忙しいのにごめんなさいね」
「いえ、ソフィア様の好感度ポイントを稼いでリーシュくんの研究をもう少しさせてくれないかな〜なんて」
「リーシュは研究材料モルモットじゃないのよ。そんな事したらイリア様も黙っていないんじゃないかしら?」
「リーシュくんが羨ましいですよ。麗しい女性達に言い寄られても全く靡かない」
ぶつぶつ嫉妬するディオギスを宥めつつ、積み上げた書類の間から覗く可愛い気配に気づいたソフィアの口元にふっと笑みが溢れた。
「エレナ様に求愛されているのに不満なのかしら」
「エレナ様は確かに可愛いですし、モフモフとしては文句なしエデン1番。ですが彼女は人間ではありませんし、好意を持たれるのは嬉しいのですが……」
『うう……ディオギスに振られたにゃ……』
「う、わっ!?」
山積みの書類の隙間からウルウル泣くモフモフの登場にディオギスは椅子ごと後ろにひっくり返った。ガタガタと大きな音と共に揃えた書類が虚しく宙を舞う。
傷心のエレナはソフィアの胸に飛びつきつぶらな黒い瞳を大量の涙で濡らしていた。ここまで感情豊かに行動するモフモフは多分彼女だけだろう。
「突然出てきたので驚いただけです。私はエレナ様をとても可愛く思っておりますし、本当に大好きですよ」
『にゃにゃ! ディオギス〜♡』
イケメンの笑顔に機嫌を戻したエレナは嬉しそうに長い耳をパタパタと動かし、柔らかい胸の谷間からディオギスの腕へと鞍替えした。
「今日はエレナ様の大好きなチョコレートを持って行きますね、後でイリア様と一緒に食べましょう」
『チョコレート! 一緒にいくにゃ』
騒がしい一人と一匹が出て行った事でソフィアの執務室は急に静けさを取り戻した。
全く減らない聳え立つ紙の山を見上げる。この書類に一人で立ち向かわなければならない。

結果的に“生かされた“
シャルムに行く際に、イリアから言われた言葉を思い出す。

『貴女はエデンの頭脳。死ぬ事は許さない。万が一敵に落ちる事があれば、その命をいただく事になるわ』

イリアが先を読んで暗殺者ではなくエレナを札に閉じ込めた理由。闇森人族ダークエルフはエレナと重大な関係でも有るのだろうか。
自分は猫と言い張るエレナだが、彼女には猫と違う誰か──シャルムの記憶があるのか。
全て推測でしかなく、肝心のエレナがソフィアをここまで連れてきた事を全く何も覚えていないので何一つ確認出来ない。
イリアにもとんでもない貸しを作ってしまったのであの札に秘められた意味も聞き出しようがないのだ。
「エレナ様を調べたいけれども、そんな事したら怒られるわよね」





偵察失敗によりシャルムとメタトロン帝国の全面戦争も危惧されていたのだが、頻発する招かれざるものアウトサイダー出現と、リーザ皇女即位と共に、二カ国の関係性が一気に好転する。

シャルムとの“停戦“の話も遠い未来ではない事を、この時のソフィアはまだ知らない。

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