拝啓、3人の葵へ 第12話
◇ 12
それから1ヶ月、ほぼ毎日のようにわたしは合作に向き合った。
主人公キャラはすぐに完成した。わたし達が産み出す分身だ、せめて物語の中だけでも一緒にワクワクする旅をさせたかった。
当初は一緒に切磋琢磨していた6人の仲間を主人公のイメージとして充てていたが、やはり時の流れで彼(彼女)らとは疎遠になっていき、キャラへの愛着が薄れてしまった。
ならばともう一度設定を組み直す。
当時、2人だけ、わたしと恭さまの作り出す合作を楽しみにしていた人がいた。
「いつまでも完結するのを待ってる」「2人は全然違う文章なのに、合作ってどう転がるのか楽しみ」と双方から嬉しい言葉を貰った。
しかし、なかなか合作は進まない。互いの頭の中を覗き見している訳ではないので、ほんの僅かなズレで小さな喧嘩が絶えなかった。
わたしは気分屋の葵に指摘された通り、過去の色々なトラウマから怒られると萎縮して何も考えられなくなる。このままだと、また右耳の難聴が悪化するかと覚悟した。
『──ごめんな、葵』
喧嘩になると、苦しそうに恭さまがそう詫びるのが辛かった。
電話越しでもわたしが泣いているのだと理解していたのだろう。全く涙も流さずに、口を縛って絶えていたのに。
震える声を封印して、この場を何とか乗り切る為に違う葵にSOSを出すが、こういう都合の良い時は誰も助けてくれない。からっぽの本体で彼と真正面から向き合わなければならないのだ。
恭さまは何も悪くない!
悪いのは、ふわっと出来ると浮ついた考えのまま、合作という自分には雲の上のような場所に手を伸ばしたわたしが浅はかだったのだ。
「わたしが悪いんだよ、わたしが。ちゃんと、汲み取れていないから」
そうだ、小学校の頃に何度も言われたじゃないか。何故あのテストで点が取れなかったのか。主人公の気持ちを汲み取る問題だった。しかも4択で、確率は25%。絶対的な自信を持って選んだその回答は全て外した。
何故だろう。過去に遡っても何故あの時の主人公の気持ちの汲み取り方が違ったのか、今でも理解出来ない。
『いや、オレがキツすぎた。葵は、女の子なのにな。ゴメンな』
わたしにとても優しい恭さまは飴と鞭の使い方が上手かった。仕事では外国の方を相手に熱弁を振るう。語学堪能、後輩に慕われ、困っている人にすぐ手を差し伸べる。
以前わたしが精神崩壊した時も彼はわたしが一番欲しい言葉をくれた。
がんばれ、じゃない。
がんばらなくていい、じゃない。
葵は、オレの為に生きてくれ。
誰かに必要とされたくて暗い闇をトボトボ歩いていたわたしに、彼は颯爽と現れて光をくれた。
わたしはそれから彼の為に生きる。生きて、必ずこの合作を完成させようと心に決めた。
なのに、ちょっとしたズレで喧嘩になると地獄まで一気に落とされた気分になる。
そこで気分屋の葵が「ほらみろ、やっぱり無理なんだよ」と茶化してくる。彼(彼女)はわたしと恭さまの合作を快しとしていなかった。ただ、わたしの書いた文章が明らかにおかしいとすぐに訂正してくれる。
『どうした?』
「あ、ううん! 大丈夫だよ、大丈夫!」
『何が大丈夫なんや、声震えとるやろ。いいか、葵。オレと、葵は“相棒“なんやから、オレに言いたい事を腹に溜めるな。もし、これ以上言いたい事を腹に溜めるなら、オレとの合作はナシやで』
本気の声だった。
あれだけわたしは恭さまと合作出来る事に嬉々していたのに、一気に声が聞こえなくなった。
恭さまはその後も言いすぎた、ゴメンなとわざわざメールを送ってくれた。わたしは下手に返信する事が逆に勢いだけで返信するんじゃないかと考え、一旦敬愛している彼との距離を取った。
わたしにも、恭さまにも、きっと休息が必要なんだと思う。
楽しみにしていた金曜日のSkypeは無かった。元々、前日から「明日電話するからな、裸で正座待機しときぃや」なんて笑うメールが来ていたのに、あの喧嘩以来一度もメールはきていない。
仕事にも力が入らない。
社交的な葵がとにかく生きていく為の必要最低限の仕事をいつも頑張ってくれるのに、彼女が離れ、ユニフォームを脱いだ瞬間に涙が溢れた。
錆びついた自転車をキコキコ漕ぎながら15分の道のりを家まで進む。3つ並んだ攻めるような赤がとにかく目に眩しかった。信号が青になっても、何故泣いているのか、何に対して泣いているのか、自分でも分からない。
頭の中にいる葵からの助け舟は一切無かった。
それでも合作を途中で投げ出す事はしなかった。中でも厳しい意見をくれた読者がいる。
魂を込めた作品を途中で投げ出すならば、最初から書かなければいい。途中でエタる作品程見苦しいものは無い。
わたしは今もこの方の言葉を胸に抱いている。
辛い時は必ずここに帰るのだ。何作も書いてはダメ、書いてはダメで掃き溜めのようにサイトには未完の作品が転がっている。
ただ、未完になっている作品はどれも理由がある。
執筆する時間がないのかもしれない。
自分が描いていた展開からかけ離れたのかもしれない。
途中からつまらない、と感じてしまったのかもしれない。
読者から痛烈な批判を浴びて心が折れたのかもしれない。
馴れ合いに疲れて現実に戻ってしまったのかもしれない。
それでも、たとえどんな理由があろうとも、全部言い訳だ。命ある限り、作品は芽吹いている。
勿論、どの作品にも皆、並々ならぬ魂を注いでいる。よく血で文を書くという表現を見たが、本当にそうだと思う。自分の想いを伝えるにはそれくらいの覚悟が必要だ。
わたしは趣味レベルで需要のあるものから、という何とも気楽なスタートだったが、本気で作品に向かい合っている人達は違った。
まだ流れている涙を乱暴に拭い、わたしは鏡の前で聞こえるはずもない恭さまに向けて、「ごめんね」と言った。
恭さまは、最初からわたしの覚悟が足りない事を知っていた。
あれやこれやと優しい言葉と、時に核心を突く言葉でうまくやってきたが、根本的にわたしの覚悟がフワフワしているのに見兼ねて尻を叩いたのだ。
彼の相棒になる、それは並大抵の覚悟じゃ無理なのだ。
いっそこのまま合作の話はナシにして、お互いオフラインで気ままに執筆した方がいいんじゃないか。
『葵ちゃんの作品が読みたいな』
ふと顔を上げると、鏡には気分屋の葵がパンダみたいな顔で映っていた。泣きながら帰ったからマスカラは落ちているし、本当に酷い顔だった。
『もう一度頑張れよ、葵。辻村に言われっぱなしでまた“逃げる“のか?』
いいや、絶対に逃げない。あれほど魂を震わせてくれた人と、何もスキルを持たないわたしとで合作が作れるんだ。
死ぬ前に何があっても完結させる。それが、空っぽのわたしに色をくれた彼への一番の恩返しになるだろう。
私は夕飯も忘れてメールの文面を考えるのに、小説を書く以上の熱い魂を注いだ。腹に溜め込んだ黒い葵を全て吐き出す為に。