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歴史から消えた皇子(8) 葵の忘却のアポカリプスより


歴史から消えた皇子(8)


メタトロン帝国の歴史において、リーシュという名の男子は存在していない。
空が割れたあの日、ウォルトはSランクの“招かれざるもの“に遭遇し重症を追った。
同日、帝国にも“招かれざるもの“が襲来し貧民街は半壊。逃げ遅れたウォルトの妻子を含む貴族街の住民ら大多数命を落としたという。

「リーザ皇女は今更何故この話を聞きたいと?」
「……個人的な話ですが、幼い頃からよくして下さったウォルトがフレイアから離れた真実を知りたかったのです」
メタトロン帝国の歴史を探究心と趣味の一環で管轄するディオギスは言いにくそうに目を逸らし言葉を探した。
「ああ……ウォルト様の犯した反乱ですか。あの方は自分らが城から離れた事で城下町に壊滅的な被害が出たと己を責め続けておりました。それは見て居られないほどに……」
「その、反乱の話が聞きたいの。ウォルトは何故父様──いえ、皇帝へ剣を向けずに投降したのかしら」
「謀反を起こした人間は極刑以外ありえません。ですが、ウォルト様の件でイリア様が個人的に皇帝とある《盟約》をされたのです」
「イリア・マグリアス……不思議な力を持つ巫女」
リーザは唇を結んだ。どれだけ修練を積んでも星読みの巫女には敵わない。腑に落ちないのは、彼女が何故立場を無視してメタトロン帝国、フレイアへ力を貸すのか。
「イリア様との盟約って」
「はい。暫くの間、クレセント大神殿にてウォルト様の力を借りたいとの事でした。皇帝もイリア様から《魔装具》を無償で授与した膨大な借りがありますし、大切なフレイアの団長を失いたくないが故にその条件を飲んだのでしょう」
ディオギスの説明を聞きつつ、魔装具を受け取ったメンバーを確認すると、1ヶ所だけ不自然な空白が残されていた。
何故その部分が空白なのか、誰に聞いても明瞭な返答が得られない。歴史の管轄をするディオギスでさえもだ。
当時の【ストラテジー】メンバーは一新されているので昔の話だから、と言葉を濁される。

まだ隠された情報があると睨んだリーザは一向に引き下がらない。ウォルトが治療中に、魘されたように呟いていた名前がずっと気がかりなのだ。同じ名前、美しい金髪の青年はあまりにも“彼“に酷似している。
「リーシュ皇子は、やはり史実には居ないのですね……」
「ええ。でも彼が皇子でなくて良かったのではないですか。皇女はアカデミーで共に勉学に励んだ彼の事を」
「もうっ! ディオギス、それ以上は言わないで下さいませ。貴重な情報をありがとうございます」
ドレスの裾を持ち退席した彼女の背中を見送り、ディオギスは溜息をついた。
「私もイリア様が何を仕掛けたのか気になっているのは一緒ですよ、リーザ皇女」
『ディオギス、余計な詮索はしない方が身の安全にゃ』
突然パソコンの横にちょこんと座っていた白いモフモフの姿にディオギスは飲みかけの珈琲を吹き出した。
『汚いにゃ! エレナのお肌がビチョビチョにゃ!』
「エ、エレナ……心臓に悪いから遊びにくる時は一言……」
ハンカチでエレナにかけてしまった珈琲を拭き取ると、彼女の黒い瞳がいつもとは違い、赤く光っている事に気づいた。
「……魅惑チャームか。残念だが、それは私には効かないよ?」
『……』
「エレナ、君なら何か知っているだろう。私はあの日、何が起きたのか真実を知りたいんだ」
『……』
普段は小煩いくらい動くエレナが全く動かない。赤い瞳が戻っていない所を見ると、彼女には今別の人格が降臨している。そして間違いなく何か重要な情報を持っていると踏んだ。賭けではあるが。
「いい機会だ。ずっと君の事を研究したかったんだ。私はこの溢れる好奇心をもう自力では抑えきれない」
『成程、お前は人間では無かったのか。それは完全に失念していた。あの事件について詮索するな。私から言えるのはそれだけだ』
声音はいつもと同じエレナだが、上から言い放つ言葉遣いは明らかに別の人格が混ざっている。
「教えてくれ。リーシュ皇子はどうして歴史から消されたんだ。イリア様も中立である立場を無視してフレイアに全面協力なさっている。これがクレセント大神殿の中で知れ渡ったらどうなるか!」
『この件に深入りすると、お前の記憶も消えるぞ。──愛するNoahを忘れたくは無いだろう?』
「何故、ノアの事まで……」
彼女はモフモフ。エデンにおいて最弱の召喚獣と言われているが、イリアの召喚したモフモフは能力が未知数。他者の魔力を感知しない。いや、魔力を感知しないのではなくもしや──。
「エレナ、もしかして君の魔力は」
『フニャア……そんなに激しく触られるとエレナグニャグニャのむにゅむにゅになっちゃうにゃ……』
ディオギスの手のひらでうっとりしているエレナはいつものエレナに戻っていた。しいて違う点と言えば大好きなイケメンのディオギスに触られて毛並みを少しだけ桜色に染めて喜んでいるくらいだろうか。
赤い瞳もいつもの黒いつぶらな瞳へ戻っていた。可哀想だがうっとりする彼女に用はない。ディオギスは閉ざされた空間にメモしている自身でかき集めたデータを照合し始めた。
「モフモフのエレナが召喚されたのは、あの日より後……その前はイリア様の横に何かが居たはずなんだ……」
思い出せ、イリアの肩に乗っている生物はモフモフでは無かったはず。
だが、それを確認しようにも記憶がない。まるで記憶自体に何か鍵をかけられているのか、ぽっかりと空白になっている。
当のイリアですら『エレナが初めて出た召喚獣』と話すくらいだ。やはり夢でも見ていたのだろうか。
こめかみを抑えて黙考しているとディオギスの周りを不安そうにエレナが飛んだ。
『ディオギス、頭痛いのにゃ?』
「いや、大丈夫だよ。有難うエレナ。イリア様に以前は違う使い魔が居たなんて言ったら失礼か」
『むむっ。エレナよりも立派な猫は居ないのにゃ。イリアは肝心な時にポンコツだから、エレナがさぽーとするにゃ』
白い耳を振り回してぴょんぴょん跳ねるモフモフはどう見ても猫とは無縁の姿。そう言えば彼女が自分を猫と言い張る理由も不明だ。
『そろそろ戻らないとイリアに怒られるにゃ。またくるにゃ〜』
神出鬼没のエレナはぴょんぴょん跳ねた後、姿を霧のように消した。召喚獣の事は専門外なので不明だが、多分術者が呼ぶと簡単に神殿まで戻れるのだろう。

「歴史から消えた、或いは消された皇子……か」
“彼“も召喚獣と同じようにふと消えたのだろうか。はたまた、誰も知らない何処かで生きているのか。確実に歪められた真実を誰も知らない。



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