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救国の巫女と破滅の騎士〜その2〜葵の忘却のアポカリプスより

救国の巫女と破滅の騎士〜その2〜   3015文字


手荒な歓迎を受けたリーシュは剣についた血糊を軽く振り落とすと、まだぐずぐず泣いているエレナを乱暴に拾い上げた。
「おい、モップ。中立とか言ってる神殿が随分な歓迎じゃねえか。さっさと中を案内してもらうからな」
「エレナは由緒正しき猫にゃ、お前みたいな失礼な奴は消えるにゃ!」
「モップのくせに、どこが猫なんだよ……」
「ニャニャー! お前、今エレナの胸触ったニャー!“せくはら“で訴えてやるにゃ」
ブンブンと長い耳らしき部分を振り回す自称・猫の攻撃を片手で受け止めつつ、周囲の気を探る。あれは暗殺者の独断だったのか、それとも、彼を始末するのにひとりで十分だと“フレイア“が舐められたのか。
どちらにしても気分の良いものではない。もし、巫女の護衛に他の騎士が抜擢されていたら手荒な歓迎は無かったかも知れないが。
「俺を呼びつけたど偉い聖女様のペットが、確か珍しいモフモフだったような」
「エレナはモップじゃないにゃ! 猫ニャー!!」
自称・猫は可哀想な事に鏡を見る事が出来ないのだろう。訂正するのも面倒になったリーシュは彼女の暴言を一切無視し、長い耳をつまんだままクレセント大神殿の中扉に手をかけた。
「んだよ、これ……くっそ重てえ……!」
扉を押しても引いてもびくともしない。一体ウォルトはどうやって中に入ったのか。
「どういう仕掛けなんだよ、このモップを投げるのか?」
「にゃにゃー!? エレナをあんな扉に投げつけたらぐちゃぐちゃのムニュムニュになるにゃ、そんなの嫌にゃ、エレナはイケメンの“はーれむ“を作って猫御殿でのんびりと余生を過ごすのにゃ」
「リーシュ!」
号泣するエレナに振り回されていると、大きな音と共にあれほど動かなかった扉が勝手に開いた。どうやら魔法で封印されており、神殿の人間しか開閉出来ない仕組みのようだ。
これも外敵から神殿を守る為の仕掛けなのか。色が変わった紋様を見つめていると、瞳をキラキラと輝かせた少女が勢いよく抱きついてきた。
「う、お!?」
「リーシュ、リーシュ、会いたかった……!」
彼の鎧には先ほどの暗殺者の血糊がついている。白いビスチェが血で汚れるなんて一切お構いなしなのか、少女は鼻から勢いよく空気を吸い込みリーシュの全てを堪能していた。
「お、おい……お前、離れろって」
また女性関連のトラブルに巻き込まれたら、上に何を言われるか。リーシュは咄嗟に抱きついてきた少女を引き剥がした。
しかし自衛も兼ねたその行動に不満を漏らす乙女が“ふたり“
「ほら、エレナの言った通りにゃ。イリアは何着ても変わらないにゃ」
「ぶー。どうしてエレナは感動の再会に水をさすのかなぁ、ええと、わたしに会うのは“はじめまして“ですね。リーシュ」
「俺はフレイアのリーシュ=フォレスト。団長から巫女様の護衛をしろと」
「わたしの事よ」
「──はい?」
またリーシュの口角が引き攣った。今日は厄日だ。何故こうも連続して奇怪な事が続くのだろう。

《救国の巫女》は、星の動きを詠み、過去・未来、全てを知っていると言われているが、歴史を変える事象に介入する事はない。
そのため、彼女の身柄は中立の立場を取るクレセント大神殿にて保護されてきた。

彼女の姿を拝見した人間は数少ない。ヴィクトールでさえもまだ謁見した事は無いと言っていた。だからとは言え、まさか噂の《救国の巫女》が少女だとは。
「えっと……あんたが、イリア=マグリアス?」
「そうだよ、わたしはイリア。ひとは《救国の巫女》だなんて言うけど、実際そんな力なんてないの」
だろうな、と言いかけた言葉を胸に呑み込む。クレセント大神殿は中立だ。この女がどういう人間だろうとリーシュにとって何も関係無いのだから。
「わたしの望みは何一つ変わらない。たったひとつだけ」
そう呟く彼女は真っ直ぐにリーシュのブラウンの瞳を射抜いた。魂まで吸い込まれそうなほど深く蒼い瞳に、彼の意識が一瞬だけ遠のいた。
はるか昔、彼女と同じ瞳の色を見たような気がする。何処で、戦場で? いや、戦に女が出てくる事など稀なケースだ。そんな大切な事を忘れる筈がない。
長きアルカディア歴の中で“蒼”の瞳を持つ女性は《救国の巫女》しかいない。それに彼女もはじめまして、と言った。けれどもその前に──

彼女の言葉に疑問を感じたリーシュは腕を組んだままイリアを見下ろした。例え見た目が危険性の無さそうな少女だろうと、メタトロン帝国やフレイアにとって危険な存在であれば、始末するしかない。
「巫女さん、最初に『感動の再会』って言ったよな、あんたは俺に会った事があるのか」
イリアの笑顔が急激に曇る。まさか地雷だったのか。ここで巫女様を泣かせたなんてフレイアに情報が飛んだら後が恐ろしい。
「いや、変な事言ってすまねえ。気にしなくていいからな、俺はとにかく何をすりゃいいんだ」
「リーシュ、貴方はフレイアではなく、これからはずっとわたしの側に居て欲しいのです」
少女の外見が一瞬で大人の女性へと変わった。声音だけではなく身に纏う雰囲気、表情、全てが。そこにモフモフと戯れていた少女の面影は無い。
妖の術にでも化かされた気分になるが、これが巫女の使える特殊な魔法か何かなのだろう。そう自分に言い聞かせ、すぐさま周囲への警戒を強めた。
「俺はエデンではなく、地上に光を取り戻す為に戦っている。平和そうな神殿で巫女さんの警護してる場合じゃねえんだ」
「ふふっ、そう言うと思いました。残念な事にクレセント大神殿は平和とは皆無です。皆がわたしの命を狙っておりますから」
「盾のおっさんが居るだろうよ……」
巫女の護衛として彼以上の適任は居ない筈だ。《堅盾のウォルト》との二つ名を持つ彼の魔装具は全ての攻撃を弾く。なのにまだ護衛を欲すると言うのだろうか。
「ウォルトは元々、【フレイア】にお返しするつもりです。“招かれざるもの“はこれからも強力になり増える。彼の力はメタトロン帝国にとっても、アルカディアにとっても必須」
「じゃあ、何で俺まで──」
「……リーシュは、わたしの事が嫌いですか?」
イリアは綺麗な顔をくしゃりと歪め、瞳を伏せた。
「んな事ねえよ……ただ──なんか、変なんだ。あんたを見ていると」
白い肩は小さく震えていた。巫女と言われても少女だ。大きい運命に翻弄されて怯えたくもなるだろう。
この血に塗れた両手でも、彼女の不安を払拭出来るのならば。ほんの少しでも。
「──ありがとう、リーシュ……貴方はやはり優しいひとです」










「──で、折角巫女様に謁見したのに、なぜお前は任務の内容を覚えていないんだ?」
フレイアの、宿舎にて、リーシュの土産話を聞いていたセシリアが呆れた様子で肩を竦めた。あれは全て夢だったのではないかと疑う程、リーシュ自身の記憶はかなり混濁していた。

一ヶ月前、団長に言われて確かにクレセント大神殿で巫女の護衛任務の勅命を受けた。入り口にいた《堅盾のウォルト》にも会っている。そこまで記憶はしっかりしているのに、巫女がどんな存在だったのか、本当に会ったのか全て記憶がぼやけている。たった一つだけ覚えているのが──
「なんか……モップに触った気がする」
セシリアが軽快に笑い飛ばし部屋から出て行った後も、リーシュは返り血のついた鎧とガントレットに視線を落とした。





もう一度、彼女に会える気がする。
あれは決して夢ではない筈だから。

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