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かの者の生まれ変わり(葵の忘却のアポカリプスより)
「今年の入団希望は千八百人とのことです」
「……ご苦労」
赤い甲冑を身につけた精巧な顔の男に報告を済ませると、ほんのりと頬を朱に染めたエルフの少女は後ろへ下がった。
【焔】は、空中都市エデンにある首都メタトロン帝国内の部隊であり、最強の部隊のひとつ。
彼らはそれぞれ神に認められし魔装具と呼ばれる武器を屈指し、魔物から人々を救ってきた英雄だ。しかし、最前線での戦いは常に熾烈を極め、命を落とす者も少なくはない。
何処からともなく出現する“招かれざるもの“
果たしてこれが何であるのか。そして、何が目的で突然エデンを襲い始めたのか。
数百年経過した今も、“招かれざるもの“について、何一つ解明されていない。
もう一度エルフの少女が纏めた書類に目を落とす。若い兵士達の写真と経歴がずらりと並んでいた。年々、魔物との戦いにおける最前線である【焔】への入団希望が増えている。しかし、中でも団長自ら振るいにかけ、己の命を守る力を持つ者のみ選別するので、結局入団出来る者は1割もない。
憧れと現実は違う。そして、自分の命を大切に出来ない者に、他者を守る力など。
「また小難しい顔をしておるのお、ヴィクトールよ」
「ウォルト様、戻ってくださるのですか?」
「儂はイリア様に命を救われたただのおいぼれぞ。【焔】は、これからお主が育てるべき」
世代交代じゃの、と豪快に笑うウォルトの視線には今も生ぬるい訓練をしている若い兵士達が視界に入った。
「ふむ。前途多難じゃの」
「察しの通りです。今年の希望者も家族を、大切な人を、国を守りたいと語るのですが、肝心の自分の命に対する貪欲さが見えず」
かつての「英雄」に救いを乞うものの、明瞭な返答は無かった。ただ、彼はぽつりと、
「儂のようになってはならぬ。敵前逃亡しないが故に、一番大切なものを失い、そして……希望も何もかも全て失った。よもやイリア様の成長のみが儂の生き甲斐ぞ」
その言葉に、ヴィクトールは面を引き締めた。
ウォルトが退陣する切欠になった“招かれざるもの“の大襲来。あれは、予期されし未来であり、絶対に避けられぬ事だ。
何度もクレセント大神殿から、『これから大厄災が訪れる、早く守りを固めるように』と指示があったにも関わらず、当時の【威】団長の考えに身を委ね過ぎた結果、メタトロン帝国は大切なものを失った。
国は半壊、女子どもは謎の黒き炎に身を焦がし人口の半数以上が死に絶えた。そして同時刻、最前線で“招かれざるもの“と対峙していた【焔】はこの事実を知り愕然とした。
何故我々が最前線で戦っているのに、核から攻撃されたのか。愛する妻とまだ幼き子を、自分の命を賭して守るべきものを失った当時の【焔】団長ウォルトは発狂し、国へ反旗を翻した。
反乱は失敗。即死罪が決定的となったウォルトの命を救ったのは、中立のクレセント大神殿にいる巫女のイリアと呼ばれる少女であった。
彼女がたった一言
『あなたの力が必要なの、わたしの為にその力を貸して』と。
鬼神と呼ばれし強面のウォルトがたった一度流した涙と、小さな白い手が彼の頭を撫でた光景に、イリアは救世の巫女の生まれ変わりである、と今世まで語り継がれている。
ヴィクトールは当時ウォルトの右腕と謳われており、彼が【焔】の団長になる事に意を唱える者は誰一人とて居なかった。
「今年は筋の良い者はおったかの?」
「……ひとりだけ。出生は不明で、ディオギス殿からの推薦だったかと」
「ふむ、【威】からの推薦となると嫌な予感しかせんのう」
ウォルトの妻子を殺された原因は彼ら【威】の戦術予報が間違えていたからと他者に矛先を向けなければウォルトは己を維持できる状態では無かった。今もディオギスと呼ばれる頭脳派の家系に強面をさらに顰めている。
「あの金髪の男です」
ヴィクトールが軽く顎で示した先に、一人だけ【焔】の象徴である赤いマントを嫌い、腰まである金色の髪を風に靡かせる若き騎士が視界に入った。一際目立つ青のマントを着用している。
既に規律から脱している彼を、これからどう育てようか相談しようとあぐねいていた所に、ウォルトが偶然視察に来たのだ。これを使わない手はない。
別に素人達と手合わせせずともウォルト程の実力者であれば相手がどの程度の戦力を有しているのか知るのは容易い。
「ウォルト様?」
「何故……リーシュ皇子が……いや、皇子はあの時に……」
「え、ええ、彼は確かにリーシュ。リーシュ=フォレストという名の騎士です」
「ううむ……彼はヨハネス皇帝のご子息に酷似しておる。この事は、リーザ皇女も知っておるのか?」
「いえ、確かにリーシュが【焔】に入団する際に皇帝と皇女に謁見しておりますが、特に……」
二人は互いに腕を組みながら首を傾げた。名前も同じ、容姿も同じ、そして──青のマントに銀の鎧。まるで、今にも18年前に招かれざるもの“に喰い殺された皇子が生まれ変わったようにさえ見える。
不思議なのは年齢だ。当時のウォルトはまだ50歳、ヴィクトールは38歳。そして共に訓練に励んでいた皇子は20歳であった。そして今他の兵士らと訓練をしている騎士はどう見ても20代後半と言ったところだ。
仮に皇子が生きているとしたら、年齢が全く噛み合わない。
「不老不死の呪いであれば可能性はあり得るが……」
「──考えても仕方ありません。あの時、皇子はメタトロンを守るべく己の命を賭けたのです」
【焔】は皇族、貴族、平民関係なく全ての屍の上に成立している。そのことを常日頃忘れる事なく戦いに向かい、死者へ最大限の敬意を込めて弔う。
あの時に、リーシュ皇子が犠牲になったことを今更誰も掘り返しはしない。例え目の前にいる同じ名前の騎士が生き写しに見えたとしても、彼は彼であり、皇子ではない。
亡くなった者の影を関係ない他人に投影する事は失礼に当たる。だから、ヴィクトールも彼が【焔】への門を叩いた時に声を失ったほどだ。
「さて、せっかくじゃから、儂も手合わせしてもらおうかのう。おい、そこの金髪の若造!」
嬉々としてリーシュと別の兵士との訓練を邪魔したウォルトは愛用の《グレイブシーザー》を召剣し、何度も立ち向かってくるリーシュの剣戟を笑いながら片手で捌いていた。
ウォルトが楽しそうにリーシュを鍛えている様子を見て、昔の訓練を思い出したヴィクトールの厳しい表情が僅かに綻ぶ。
◇
「ぜぇ……ぜぇ……なんだよあのクソジジイ。全く攻撃が当たらねえ」
「流石……【堅盾のウォルト】の名は月日を隔ても健在とは。手合わせできた我々は幸せ者だぞ」
「あんなん、インチキだ。空間が歪むなんて一体どうなってんだあのジジイの力は。もうおいぼれじゃねえのかよ!」
「こ、こら。ウォルト様はだなあ……」
リーシュの止まらない悪態に、同じ同僚の【焔】紅一点、セシリアが周囲に視線を巡らせ慌てる。しかし、地獄耳のウォルトはいつの間に近づいていたのか、片手でリーシュのマントを掴み、ギリギリと首を締め上げた。
「威勢がいいのお、今年の新米は」
「ぐ、るしい……じぬ……」
「そう言えば、こちらのお嬢さんは《召槍》しておったが、お主は何故魔装具を出さなんだ」
魔装具についての問いにリーシュはだらりと両手を下げ抵抗をやめた。先ほどまでの覇気は一体何処に消えたのか、彼は突然表情をなくしていた。
あまりの豹変に驚いたウォルトもぱっと手を離す。彼はそのままドスンと床に落ちたが、受け身も取らずただ一点を睨みつけていた。
「むう、そんなに強く締めておらんがのう」
「……ウォルト様、魔装具の話は、ヴィクトール様にお尋ねくださいませ」
魔装具。神に認められし武具の一種であり、それに認められなければ“招かれざるもの“と戦うことは出来ない。否、攻撃が通じないのだ。
そしてさらに、【焔】に入団すべき絶対条件のひとつでもある。まさか、ヴィクトールが一人で勝手にその慣しを変更したとは考え難い。だが、目の前で死んだような顔をしているリーシュと言い、彼を庇おうと必死な女性の態度を見るからに、リーシュは何らかの事情で魔装具を使う事を赦されていないように見えた。
「深い事情がありそうじゃの」
「私のような下の人間が貴方様のような身分の方に言葉をするだけでも痴がましいのですが、どうか、リーシュをそっとしてくださいませ……お願いいたします」
再度綺麗な赤髪を地面に擦り付けて悔しそうに唇を噛み締める美女の言葉に、ウォルトはそれ以上追求する事はなく、無言で踵を返すしかなかった。
ヴィクトールに尋ねるのは簡単だが、元々お忍びで今回は【焔】に良い駒が入ったか確認したのみ。
あの槍使いの女性も筋が良かった。魔装具を出さなかったとは言え、リーシュという名の騎士も他とは比べ物にならない速さを持っている。
【焔】には生き延びてもらわねば困るのだ。彼らが生き続けること、それが亡くなった者達への供養となり、そして国が存続する事が彼らへ送る花となるのだ。
クレセント大神殿への足取りは軽かった。まさかここまで収穫があるとは思わず、そしてリーシュ皇子に酷似した男を見てついつい魔装具を引っ張り出してしまった。多分、魔力濃度の歪みを感知した大神殿の大神官らに後から苦言を呈されるだろうがどうでもいい。
「じいや、嬉しそうね?」
「はい。イリア様の成長と共に、もうひとつ儂の生き甲斐を見つけました」
「そう、それは良かったわ。じいやにはいつか【焔】へ戻れるように、わたしも頑張るからね」
「さすればイリア様、いい加減モフモフではなく、もっと上位の召喚魔法の契約又は神聖呪文の勉強をしては如何でしょうかな?」
「うーん、ちょっと最近耳が聞こえないなー。さ、エレナ行こう。今日は美味しいプリンを作ってもらったからね~」
モフモフと呼ばれる一番魔力の低い召喚獣を頭に乗せ、イリアはスキップしながら食堂の方へと逃げた。かと言って、彼女が逃げた所で自分が追わずとも周囲にいる神官達がこぞって彼女を止めるのが目に見えている。
毎度恒例行事のように魔法の授業をサボる命の恩人に小さな溜息をつき、ウォルトはふと空に浮かぶ金色の月を見上げた。
「ふむ……今宵も月が綺麗じゃ。──のう、サナ、クオン」