各藩が熾烈な情報戦を繰り広げる時代〜「江戸城の宮廷政治 熊本藩細川忠興・忠利父子の往復書状」を読んだ
相変わらずスパイファミリーにはまっている。そうしたらこの本を読むのを思い出した。
時は関ヶ原の戦い以後の話。
愛妻を悲惨な形で失った戦国大名・細川忠興(物語開始時点で三十七歳)。その妻の遺した末息子・細川忠利(物語開始時点で十五歳)。親子ふたりは協力し、熾烈な情報戦が繰り広げられる江戸城の宮廷政治を駆け抜け、細川家の安泰のために奔走する——!
この物語は、関ヶ原の戦いの直前、家康への謀反への加担を疑われた細川忠興が、まだ幼名の「光」と名乗り江戸の徳川家のところへ人質として赴いていた忠利に、徳川家康の後継者である秀忠のご機嫌を徹底的に取り、彼に取り入るよう指示するところから始まる。
さらに忠利はその手紙を受け取った直後、実家がのちに西軍を形成する軍勢に攻められて、母親(細川ガラシャ)が死んだことを知った。母は西軍の人質になりそうなのを拒絶したのである。家康への謀反を疑われている忠興が忠利を徳川家に人質に出しているという前提を考えると、母は細川家の潔白を証明し、末息子の命を奪われないためにも、絶対に、命に代えても、西軍に人質には行けなかっただろう。
父の窮地を救い、母の仇を取りたかったのだろうか。まだ十代の少年の心に去来したものはわからない。だが、少年は家康と秀忠のために奮闘しまくる——。
このドラマチックなお話が小説じゃなくて一般向けの学術書なのである。
「半沢直樹」みたいなドラマになりそうだな〜、と常々思っている。合戦は関ヶ原の戦いと、大坂の陣と島原の乱くらいしかないため、大河ドラマにしては絵面が地味そうだが、大奥みたいな枠でNHKにやって欲しい感じだ。
この話は、徳川家康・秀忠・家光の治世期の大名がどんな様子だったのかを活写している社会史の学術書である。
反面、この話は、我が強くて頭が切れ、家族に対する愛情が深いために過干渉になりがちな父・忠興と、病弱だが温厚で真面目な性格で、父の愛情を迷惑に思うときもあるが基本は父を大事にする息子・忠利の親子の三十年間の物語でもある。
重松清の「とんび」と同じ匂いを感じるので面白い。美しい母は死んでしまった。頑固者で愛情はたっぷりある父と、優秀でまっすぐな息子が、あっちぶつかりこっちぶつかり、時に大げんかしながら、時に幕府の上層部の怖さに親子共々震え上がりながら、時にライバルの黒田家に対する嫌味(悪口)をいいながら、時に世間の噂話をしながら、時に家族や友人のことを気遣いあいながら、時に真面目に戦や政治のことについて激論をかわしながら、手紙をつづる。
父の忠興は非常に愛情表現が不器用かつ、戦国の価値観が抜けない古風な人、しかも他人の評価を気にする神経質なタイプで、忠利のためにと思って面倒な「爆弾」を仕込んできたりする。忠利も忠利で、人質生活を経験したせいか、気を使い過ぎてしまう悪癖があった。周りの大名からその様子がシュール過ぎて引かれてしまったこともある。それで、末っ子なせいか(正確には同母には妹がいるし、異母だとさらに下にいるのだが)、処世術に長ける反面、褒められてまんざらでもない風を見せる愛嬌があったり、父親に甘えん坊なときもある。
読んでいると、忠利の性格に、両親にたっぷり愛されて育ってきたんだろうなあ〜、という印象を受ける。
私は細川ガラシャの本をいくつか読んだことがあるけれど、冷静にその年表を見てみれば、夫婦がいろいろと大変で、離婚まで考えたのは忠利が生まれた直後、忠利の妹(多羅)が出来る前までだった。父が「政治犯」になった細川ガラシャの人生を考えると、心が壊れるのは当然のことだったろうし、忠興もどうしたらいいのかよくわからなかったのだろう。だから、嵐がさってしまえば、そのあとは本当に普通の仲睦まじい夫婦に戻り、愉快に子供たちを育てていたのかもしれない。
本書で、忠興はおそらく亡き妻のことを念頭に、「有力者の娘を妻にするのはやめておけ」と孫の妻選びの際に言っている。細川ガラシャは織田家の有力者である明智光秀の娘だった。もし有力者であれば主君に謀反を起こす可能性がある。巻き込まれた自分もつらかっただろうし、一夜にして世界が全て敵となった愛妻の壮絶な苦しみを見ていたからなのだろうか。
だが、すでに世の中は忠利たち新しい価値観を持つ人間が家光の下に集まり、将軍に謀反を起こすなど考えられないように精神的にも体制的にも変わっていった。かつての忠利の父母の苦しみのようなことは二度と起きない。
ただ、「とんび」と決定的に違うところがある。
人間の営みは常に悲劇の要素を含んでいるから、最後、忠興と忠利は死別する。親の忠興が先に死ぬのではなかった。子の忠利が早死にしたのだ。忠利の病弱な体に藩主の責務は重過ぎた。だが、忠実にその責務をこなし、最後、島原の乱を戦い抜いて、莫大な功績を持ち帰りつつ、そのままついに事切れた。
その時の忠興の慟哭は、この本のクライマックスであり、読者も落涙を禁じ得ない。
大変に面白い読書体験だった。