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子どもに「ごめんね」の気持ちばかり浮かんでくる



こんばんは、河北です。


▼このnoteを書いた人

保育士として人生捧げるも、働きすぎて自分を見失ったアラサー。
自分を犠牲にしない働き方やライフスタイルを探すなかで、フリーランスや保育士以外の会社員を経験。
現在はフリーランスで個人向けのコーチングやカウンセリング(対話業)を仕事にしています✌️


保育をしていて、

強い口調で怒る先生を見て子どもに同情してしまったり
カツカツのスケジュールで子どもにも慌ただしくさせてしまうことに申し訳なさを感じたり
めいいっぱい自由に遊ばせてあげられないことに辛くなったり・・・


こんなふうに、子どもに申し訳ない気持ちを感じたり「ごめんね」と思ってしまうことってありませんか?




私も保育士をしながらよく思っていた悩みです。


なんていうんだろう。単純に、仕事をする中で生まれる無数の悩みのひとつと捉えることもできたのですが、それとは違った気持ち悪さがあって。


その気持ち悪さの正体がつかめずにいました。ここ数年間それがなんなのか言葉にできず、ずっと引っかかっていて。


気持ち悪さの原因は「子どもと関わる仕事だからこそ」生まれている悩みであることは感じる。そして気持ち悪さの原因のアタリもつく。



ただ確信が得られずにいました。



ですが、最近になりいろんな保育士さんと深く話すようになったことで「やっぱりココだよな」と、答え合わせができてきました。




その気持ち悪さの原因は、


自分の幼少期と目の前の子どもたちを重ねてしまっていた


ということ。(このあと解説しますね!)



これが本当なら、人間関係がうまくいかない原因や仕事が辛くなる原因もぜんぶ説明がつく。ここと向き合うことで”保育士ならでは”の悩みも、場合によっては解消される気がします。




小さなころの経験は私たちの根っこを作る



保育士をしていると「幼少期は人間形成の基盤を培う時期なのだから、私たちの仕事は重要よ〜」と言われてきたことと思います。(だよね?)


それほどまでに幼少期の経験は、私たちの人生に大きく影響するということです。

どんな大人であれ、みな幼少期のあれこれを背負いながら大人になっていく。


よっぽど(よくも悪くも)人生をぶち壊すような経験があれば話は別かもしれませんが、私たちの基礎の部分は幼少期の経験が影響していることが多い。


いろんな要素が絡み合って私たちの根っこを作っています。




先ほど、

強い口調で怒る先生を見て子どもに同情してしまったり
カツカツのスケジュールで子どもにも慌ただしくさせてしまうことに申し訳なさを感じたり
めいいっぱい自由に遊ばせてあげられないことに辛くなったり

と一例として書きました。


なぜ同情したり申し訳なく感じたり辛くなったりするのか…。



そこには、子ども時代の私たちの”本当はこうしたかった”という気持ちが隠れている場合があるのだと。




例えばですが...

強い口調で怒る先生を見て子どもに同情してしまう時って、「そんなに怒らないでほしい」と感じていると思います。


じつはその背景には、保育士である私たちが「子どものころ怒られることに怯えながら過ごしてきた」という過去があったり。



他にも、

・カツカツのスケジュールで子どもにも慌ただしくさせてしまうことに申し訳なさを感じる
→もっとゆっくり関わりたい

本当は子どもの頃、もっと親とゆっくり過ごしたかった


・めいいっぱい自由に遊ばせてあげられないことが辛い
→制限なく遊ばせてあげたい

本当は子どもの頃、もっと気持ちを尊重してもらいたかった



こういうふうに、自分が幼少期にずっとほしかった気持ちや満たされたかった気持ちが、何十年もたってから目の前の子どもを通しあらわれてきている場合があるのです。


無意識のうちに、私たちは自分の幼少期と目の前の子どもを重ねて辛くなったり苦しくなったりするようです。


密接に関わりながら愛情を持って過ごせば過ごすほど、子どもに自分の幼心を重ねてしまい苦しくなるのだと。


そりゃあ保育をしていてしんどくなります。


長いあいだ、ずっと抱えてきた気持ちですもの。


ずっしりと、私たちの気持ちに負荷をかけることになってしまうのも同然だと思います。


このことに気づいた時、自分が子どもにたいして抱いていたありとあらゆる感情に説明がつきました。





私は対話を仕事にしています。自分自身も対話セッションは受け続けていて、自分の気持ちを整理したり考えを深めたりしながら、幸せに生きられる方法を探究しています。


対話をしていると「自分はこんなふうに思っていたのか...!」と気づくことがあります。


それは決して綺麗で前向きな気持ちだけではなく、苦しくて辛くて悲しい気持ちであることも。


この記事を通してあなたがなにかに気づいてくださったなら、それは後者である場合が多いと思います。



私も自分の幼少期と向き合うことはとても苦しくて、なんども目をそらして気づかないフリをして生きてきてしまいました。


だけど、この気持ちはどこかで向き合っておかないと、私たちは満たされないまま、なにかが枯渇したまま過ごしていくことになってしまうのです。


そんなのあんまりです。



いつか向き合わなければいけないのなら、それは1日でも早い方がいい。残りの人生のうち、幸せを感じる時間は1秒でも長いほうがいいもんね。


どんな悩みも、解決への1歩はその悩みの根本的な原因に気づくこと(自覚すること)だったりします。


それだけで解決する場合もあるくらい「気づく」ってほんとに大事なことなのです。


そしてこれらは、時間はかかるかもしれないけれど解決させていくことができる。


私もボロボロだったけれど、たくさん泣いて泣いて泣いて、少しずつ解決させてきました。


あとはこっちのもんです。強く生きていけます。



1人で向き合う作業は苦しくて怖いこともある。そんなときは一緒に手を取り合って進んでいこうね。



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◾️河北あおい

保育士として人生捧げるも、働きすぎて自分を見失ったアラサー。
自分を犠牲にしない働き方やライフスタイルを探すなかで、フリーランスや保育士以外の会社員を経験。
現在はフリーランスで個人向けのコーチングやカウンセリング(対話業)を仕事にしています✌️

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