自分なりの正解を見つけていけばいいんじゃないか
最近「正しさとは何か」という話に
よくクライアントさんとなるんです。
正解と思えるものが
無数個落ちている中で
どういうふうに
自分にとっての正解を見つけていくか。
これ、
めちゃくちゃ難しいなあ
と思っていて。
私たちは小さな頃から
先生や親の言うことが
「正しいであろう」
と思いながら生きてきたわけで。
先生や親に認めてもらったり
正しいと言われる正解を
考えたことはあるけれど
自分にとっての
正解を考えることって
私たちはしてこなかったと
思うんですよ。
ちょっと話が飛ぶようなのですが…
私ね、
かつて自己肯定感とやらは
母のお腹の中に落としてきたのかと
思うくらい
自己否定の激しい人間で。
当然、
「人よりも生きにくい気がする」
ということはずっと感じていて。
大人になって
保育士になったわけだけど、
私の生きにくさの原因は
自己肯定感の無さだと思っていてさ。
保育士時代のモットーは
「自己肯定感の高い子どもになってほしい」
だったのよ。
自己肯定感さえあれば
自分の選択に自信を持てて
なににでも挑戦できて
自分で人生を切り拓いていける子になる
そう思っていて。
ーーー
自分で人生を
切り拓いていける子になってほしい
だから
とにもかくにも自己肯定感!!
ーーー
と思ってたところがあった。
とにかくそういう方程式やと思ってた。
今もそれは間違っていないと思っていて。
(深ぼるともっと繊細で複雑だけど)
話を戻しまして、
「どういうふうに自分の正解を見つけていくか」
ってことなんやけど。
私のちょいとガバガバなこの理論。
の、太字部分。
自分の選択に自信を持てて
というところ。
自分の選択に自信を持つことができれば
なににでも挑戦できて
その選択の繰り返しによって
自分の正解が見つけられると思うんです。
私が子どもと関わるときに
何を意識してたかな〜って
思い返したのね。
先に答えを教えないことを
めちゃくちゃ意識してたと思うんよ。
子どもたちが
自分で考えることをしてほしくて。
子どもたちが
体験の中から感じたことを
大切にしてほしくて。
子どもたちが考えて
出した答えや
体験して感じたこと
これらがめちゃくちゃ
大事やと思ってた。
ほんでもって、
それを私たちの価値観で
正しい・正しくない
良い・良くない
と判断せずに受け止めること。
この積み重ねによって
自分の考えは持ってもよくて
自分の選択に自信を持てて
なににでも挑戦できて
自分で人生を切り拓いていける子になる
ってそう思ってた。
本気で保育士してきたけど
今でもそれは思ってる。
子どもに「正解」を与えすぎると
お絵描きの時のクレパスの色さえ
先生の指示がないと
選べない子どもになってしまう。
その事例も目の前で見た。
ほんまに怖いな、って思った。
子どもたちはどんな時も
先生の指示がないと
先生から正解を出されないと
動けなくなっていく。
いつも自分じゃない誰かに
正解を求めたくなってしまう。
赤のクレパスも
緑のクレパスも
黒のクレパスも
正解なのに。
答えは自分の中にしかないって
ほんまに思う。
私たちもさ、
自分の考えを持っていいんよね。
そのためにも
正解を外側に求めないことが
大事かと思っていて。
外側っていうのは
SNSで見る情報や
誰かが言っていることなどなどね。
それには練習が必要やなって思う。
私たちは真面目におりこうに
生きてきたと思うから。
疑問を感じたことに
自分なりの答えを見つけておくこと
まずは
自分なりの正解を持ってみること
ここから始めてみよう。
うん。
これらの積み重ねだと
感じているので。
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