大好きな街から引っ越します
こんばんは、河北です。
元保育士のキャリアコーチです。
突然ですが引っ越すことになりました!
今日が引っ越し前夜でございます。
ワクワクと寂しさが入りまじり言葉にできない感情のなか、ダンボールにまみれながらタイピングを走らせています。
今日は引っ越し前のおセンチな気持ちを残しておくとともに、人生の帰路に立たされている誰かのお役に立てたらと書いていきます。
少しだけ私の話をさせてください。
*
高校卒業と同時に田舎から大阪に出てはや13年。
地元に戻ることになりました。
転職回数は人並み以上あり、仕事を変えるタイミングはそれなりに。
そのたび地元に戻る選択も浮かんだりもしましたが「大阪にいる理由はないけど地元に戻る理由もない」とずっと大阪での生活を続けてきました。
人間関係をリセットするため大阪に来た
生まれてから高校を出るまでの私は、いつもなにかが枯渇していました。
部活も勉強も恋愛もそれなりにしてきたけれど、いつも一番にはなれない。
ゆいいつ誰か(何か)の一番になれるのは、恋人との関係だけ。だけど恋人ができても寂しさを埋め合うだけの沼っぽい恋愛になってしまう。
当時はうまく言葉にできませんでしたが、ずっと「何かの一番になって認めてもらうこと」や「誰かにとっての一番を手に入れること」を願っていました。
18になった私は、地元から少し離れた大阪にある保育学校に進学しました。地元からは通えない距離にある学校に。
理由はいくつかあるけれど、そのひとつに「地元を離れたかった」というものがあります。
人間関係をリセットして、誰も私のことを知らない場所に行きたかった。
私はとにかく自分の失敗が許せない子どもでした。少しのミスも許せない。
それは「一番になれないこと」と直結してきます。
だけど生きていれば大なり小なり失敗は起きる。
私の生きてきた地元には「私の失敗を知っている人」がたくさんいるように思えてなりませんでした。
それならば。
誰も知らない場所で人間関係をやり直そう。
今度こそ、失敗のない自分でいよう。
高校3年生の私は、そう思ったのです。
保育の世界ではそこそこ上手くいってしまった
保育学校でも保育士としても、今までの自分と違いなぜか”そこそこ”うまくいってしまいました。
いろんな形の中でやっと願っていた一番になれた気がしたのです。
だけど甘い時間はいつも長くは続かなくて。
スタートをうまく切れてしまったがために、失敗が起きるたび自分のアイデンティティがガラガラと崩れてしまい、年数を重ねるごとに自信を失っていきました。
そして失敗をするたび、逃げるように転職を繰り返すことに。
気付けば保育士として働くことにポッキリと心は折れてしまい、それが引き金となり仕事も恋愛も友人関係も全部がうやむやに。
私の人生は思い描いていたように進みませんでした。
このままじゃ私は死ぬまで幸せになれない・・・
漠然とした不安が心の中でどんどん大きくなっていきました。
幸せになれなかったのは自分がそれを望んでいたから
そこからコーチングを受けるようになり、自分の過去から未来にかけて自分の人生そのものにがっつり向き合うことになったのです。
そこで今までのぐちゃぐちゃだった人生は、自分が自ら望んでいたものだと気づくことになりました。
私の場合、
不幸な私が私らしい
自分だけ幸せになってはいけない
という強い価値観を持っていました。
だから気付かぬうちに、そういう自分になるように自分の人生を進めてしまっていたのです。そういう現実を作り上げていたということ。
自分自身で知らず知らずのうちに「選んできてしまった人生」ということです。
人生を変えるには、幸せになるためには、今までの自分がしない選択をしなければいけない。
そう思いました。
人生を変えるには痛みが伴う
話を戻しまして・・・
年末ごろからジワジワと「地元に帰る理由」が揃い始めました。
今までの私ならきっと、いろんな言い訳をつけて大阪にいたように思います。これまでかたくなに地元に帰ることを拒んできたので。
だけど、ここでいつもと同じ選択をするとまた似たような未来が待っているかもしれなくて。
だから今回はいつもと違う選択を。これが引っ越す理由です。
読んでくださっているあなたにも、人生の帰路に立つ瞬間があると思います。
私の場合は引っ越しだったけれど、仕事をやめる・やめないとか、起業をするとかしないとか。
そういう時は「今までの自分ならしない選択」をすることができると、またひとつ人生が進むのではないかと思っています。
不安な気持ちはたくさん出てくると思います。
だけど私を例にあげると、きっと大阪にいたまま(今までと同じ選択)では、今までの地続きにしか人生ができていかなくて。
今まで幾度となく「大阪にいる」という選択をしてきてあんまり上手くいかなかったのが証拠です。
きっと「そっちじゃないよ」と未来の私が教えてくれているのではないかと!
そんなふうに思っています。
**
いざ引っ越すとなると大阪が大好きでたまらないことに気づいて、ちょっとおセンチになっています。
私の第二の青春はぜんぶ大阪にある。
もっともっと大阪にいたかった気もするし、もう大阪の街で十分すぎるくらいがんばったと思える自分もいて、なんだか変なかんじです。
決して綺麗な思い出ばかりではないけれど、ここでしか経験できないこともたくさんできて、だからこそ出会えた人たちもいて。
大阪での生活はめっちゃ苦しかった!!
でもめっちゃ楽しかった!!
長い人生の13年間を
大阪で過ごせてよかった。
んもう、めちゃくちゃよかった!!
「地元に戻ったとしても絶対に実家には住まん!」と思っていたのですが、これも選択ということで。
いろいろと考えたのですが、しばらくは実家で羽休めをさせてもらい、これからどうするか決めていこうと思っています。
こんな機会でもなければ実家に戻ることもなかっただろうと思うと、本当に人生ってなにが起こるかわかんないよな、と。
あなたの人生も、爆速で好転していきますように。
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